ミノルタの黒歴史「Vマウントシステム」(長文)
ミノルタの魔境「ベクティス」
ミノルタの「α」がSONYに引継がれ18年が過ぎ、忘れ去られるはずのカメラブランドとしての「ミノルタ」も昨今のフイルムカメラブームでその命脈を保っています。
しかし、そんなミノルタがカメラメーカー全盛期に闇に葬ったシステムがあります。
それがミノルタVマウントシステム「ベクティス」です。
この『Vマウント』はAPS専用レンズ交換式カメラ「ベクティスS-1」用にミノルタが開発したマウントです。
後に廉価版の「ベクティスS-100」、デジタル一眼レフ『Dimage RD 3000』にも採用されました。
APSとは
初心者の方も耳にしたことがあるであろう「APS」、カメラのイメージセンサーサイズを思い浮かべたかと思います。
しかし、ここで言う「APS」ほ、アドバンストフォトシステム、1996年、各カメラメーカーが共同で開発したフイルムカメラの規格を指します。
因みに、イメージセンサーサイズ「APS-C」はこのシステムのフィルム(IX240) サイズが由来になります。
このシステムは
・フィルムが小型なのでカメラも小型化できる
※概ね135フィルムの0.8倍
・密閉カートリッジで、フィルムに触れずに装填できる
・撮影済みのフィルムは装填できない
・撮影途中でフィルム交換ができる(対応カメラのみ)
・撮影時のデータを磁気的、光学的に記録し、現像所でこのデータに基づき補正される
等々のメリットがありましたが…
・35mmフィルム機がまだまだ主力
・同時期登場の「デジタルカメラ」がシェアを伸ばし、自宅プリントが普及
そして…
各カメラメーカーは約20年前に撤退、その10年後、フィルムの製造を終え、終焉を迎えました。
つまり、このAPSカメラを購入しても、
・APSフィルムの入手が困難
・入手しても期限切れから10年以上経過
・現像を対応している窓口が少ない
という事になります。
また、1985年登場のα7000以降、プラボディーが一般化して、その頃のグリップ等に多様されたポリウレタン系素材が、経年劣化して加水分解しベタついたり割れたりと不具合を生じています。
力の入れ方を誤ったミノルタ
当時、ニコンもキヤノンもAPS一眼レフカメラを登場させましたが、ミノルタは力の入れ方が違いました。
ミノルタは1996年6月、世界初のAPS専用マウントという偉業(?)とともに、初のAPS一眼レフカメラ「ベクティスS-1」を登場させます。
ベクティスS-1は専用のVマウントレンズをマクロから望遠、それも、標準レンズ、望遠レンズは廉価版と高価版の2種類、計5本のレンズ群を準備
※後に3本を追加して計8本(後述)
ボディーもレンズも防塵防滴仕様
レンズは電子制御
他にもカメラガード、アングルファインダー、水中ハウジングシステム、等のオプションも用意と 力の入り方が他メーカーと異なりました。
翌年にはS-1の廉価版、『S-100』と便利ズームレンズ、『Vレンズ25-150mm f4-6.3 』を発売
後に、世界唯ニのAFレフレックスレンズ「V REFLEX 400mm F8」も登場させています。
1999年にはVマウントデジタル一眼レフカメラ『Dimage RD 3000』と『Vレンズ 17mm F3.5 RD』
を発売しましたが、その後の展開はありませんでした。
闇に葬った?
闇に葬ったは言い過ぎに聞こえますが、そんな事があるのでしょうか?
ベクティスが登場したのが1996年、そして、Vマウント最終機、RD3000が登場したのが1999年10月です。
下の表は2001年発行の『アサヒカメラニューフェイス診断室ミノルタの軌跡』と2003年に発行された『ミノルタカメラのすべて』に付属した年表です。
如何でしょう?ベクティスの欠片もありません。
先述のとおり、ミノルタは新マウントを作ってまで気合いを入れ、このベクティスシリーズを登場させました。
その最終型が販売されてから2年後の年表に記載が無いのです。
当然この表はミノルタの全面協力の元に作成されています。
APS規格はフィルムカメラの正常進化の姿でした。
フィルム自体が今までの0.8倍、つまり、単純に体積を求めると0.512倍、今までの半分の体積のカメラを目指していたのかもしれません。
しかし、時代は突然変異種ともいうべきデジタルカメラの登場と共に、カメラメーカーのみならず、家電メーカーをも巻き込んで激動のコンデジ市場を形成したのです。
それは小型軽量化の為に生まれてきたAPSフィルムカメラの市場と丸かぶりして、その市場を蹂躙し、フィルムカメラを排斥したのです。
そして、一眼レフもデジタルカメラに移行しました。
ミノルタはこのデジタルカメラを見据えて作ったであろうVマウントを捨て、Aマウントでのデジタル一眼レフカメラ開発に勤しみます。
Vマウントを闇に葬ったのです。
魔境に入る者達
当時、このベクティスがどの程度売れたのか確認できるデータ等は見つかりませんでしたが、今までの市場やジャンク棚を確認すれば、当時はそれなりに売れたことがわかります。
闇に葬られても、市場にはその残骸を確認することができます。
それらの殆どは二束三文でヤフオクやメルカリに漂っています。
しかし、このカメラやレンズは時代の波に乗れなかっただけで物が悪かった訳ではありません。
広大なカメラ界隈にはこういったジャンクなものを好物とする人々が存在します。
まず、カメラやレンズはヤフオク!やメルカリで安価に出回っており、コレを入手するのは難しくありません。
次にAPSフィルムですが、コレもヤフオク!やメルカリで探すと1本1000円〜2000円でヒットします
当然、10年以上前に期限切れのフィルムです。
探せば専門店で店頭で販売している所もある様です。
そして、現像ですが、私は近くのヨドバシカメラに持ち込んだ所、担当者が調べて対応してくれました。富士フイルムに送って現像する様です。
という事で本体やレンズは二束三文で入手できますが、フィルム購入から現像までは費用がかかる上に、費用対効果も望めませんが、一応撮影ができます。
マウントアダプターという選択
2022年9月、この界隈に激震が走りました。
夢のアダプター、ミノルタVマウント→SONY”E”マウントアダプター、『MonsterAdapter LA-VE2』がクラウドファンディングに登場したのです。
クラファンの最初の50個は179ドル、その後の150個は199ドル、それ以降は219ドル。
それまでにも、マウントアダプターという選択肢はありましたが、自作か、MonsterAdapter LA-VE1というAFの効かない選択肢しかありませんでした。
※正確には私が個人輸入したイタリア製Vectis→Eマウントアダプターが存在します。
電子制御レンズという性能が足かせとなって、このVマウントレンズをジャンクと化していたのです。
しかし、この『MonsterAdapter LA-VE2』により、対応カメラを使用すればVマウントレンズでオートフォーカスが働き、本来の姿のVマウントレンズが蘇る事になります。
MonsterAdapter(モンスターアダプター)は、2020年に設立した「深セン魔環光電テクノロジー」社のマウントアダプターブランドになります。
現在は焦点工房が正規代理店になり、Amazonでも購入できます。
しかし、この20年以上前の黒歴史レンズの為に、ワザワザ3.5万円のアダプターを購入する人が何人いるでしょう。※少なくとも当初の50個は売れてますが‥‥
人間とは‥‥
常々思う事ですが、自働車の自動運転一般化が目前に迫っている現在でも、自動車にはMT車を提供するメーカーとそれを購入するユーザーが現存します。
コンマ何秒を競うレースの世界でセミオートマを選択している以上、合理的にMT車がAT車より優れた面はありません。
しかし、人間は合理的思考をするだけではなく、不合理を楽しめる生き物、いや、不合理を楽しめる所が人間らしさと言えるのではないでしょうか?
ジャンクレンズ使いの私からすれば、このVマウントレンズほど魅力的なレンズ群はありません。 全種8本しかありませんが、ジャンクレンズという呼称に見合う安価な6本に、揃えるのに困難な2本があるという絶妙なラインナップ
実際、このVマウントレンズを使用すると、『悪くない』というのが率直な感想です。
V LENS 22-80mm f4-5.6 と
V APO LENS 80-240mm f4.5-5.6
は当時の標準と望遠の上位レンズですが、ヤフオク!やメルカリで、カメラとレンズのセットで1000円で見つかります。
このレンズセットは相当売れたのでしょう。
先日はヤフオクで100円+送料でした。
つまりレンズの単価で言えば100円以下です。
私は風景写真がメインなので、重箱の隅をつつく様な隅々の描写を云々語る気は毛頭ありませんが、AF性能以外は現代のレンズと遜色のないという感触です。
最後に
いかがでしょう。今から28年前に満を持して登場し、デジタル化の波に飲み込まれ、その5年後には闇に葬られた時代の徒花「ベクティス」
界隈では忘れ去られること無く、時を経てマウントアダプターが登場し、現代のカメラでVマウントレンズが蘇りました。
このVマウントシステムが発展する事は無いでしょう。
今後、この「ベクティス」という言葉に出会い、興味を持った方が諸々検索して、このNoteにたどり着き、そんな方の参考書になれば幸いです。