血の縁
母方の親戚とはあまり縁が深くない。
と、思っていた。
社会人になるまでは年に2回、お盆と正月に顔を合わせるくらいだった。
伯父(叔父)、伯母とは話はするのに、名前を呼んだことはないし、なんなら知らない。
いとことは遊んでいたけど、その場にいるから遊ぶくらいの関係性。
ちなみに、嫌いとか仲が悪いとかではない。
数年前、1番目の伯父が倒れ、そのまま寝たきりというかほぼ植物状態になった。
そしてその少し後には2番目の伯父が急逝した。
私は母親から行かなくても良いと言われたこともあり、1番目の伯父のお見舞いに行ったことはないし、2番目の伯父の葬儀にも参列していない。
薄情と思われるかもしれないし、大人になった今の自分もそうだなと思ってしまうのだけど、それが私たちの普通の距離感だった。
社会人になってからはお盆や正月に母親の実家(祖母の家)に行くことも少なくなって、顔を見る・見せる機会も減った。
というかほぼなくなったに近い。
祖母にはお年玉や敬老の日のプレゼントは贈っていたけど、直接やりとりしていたわけではない。
そんな祖母も先日亡くなった。
97歳だった。
みんなに大往生だねと言ってもらえた。
そういえば「大往生」ってなんとなく90歳を超えてから亡くなった所謂長生きな人に対して言いがちだし、自分もそうなんだろうなと思っていたけど、実際どういう意味なんだろうか。
調べてみると「天寿を全うすること。少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。」ということらしい。
祖母は「大往生」だったのかなあ。
そうだといいなあ。
少し話が逸れました。
祖母が亡くなる前、母親たちは祖母の家の片付けをしていた。
昔ながらの古い家で奥に座敷があって、その部屋は1番目の伯父が使っていた時のままだったらしい。
ゲームソフトやCDにレコード、でかめのアンプなどがたくさんあったという。
母親から片付けている時の話を聞くと、伯父の好きだった物が少しわかり、それと同時に忘れていた記憶が蘇ってきた。
小さい頃祖母の家に行くと、伯父はプレイステーションのゲームをたくさん見せてくれた。
好きなソフトを持って行って良いよと言われて選んだのは、テイルズオブエターニア、ディノクライシス、ファイナルファンタジー、霊刻だった。
今思えば、伯父からソフトをもらったことが、テイルズシリーズを知るきっかけだったんだなあ。
そして霊刻を選ぶ私たちのセンスよと思った。
祖母の家に行った時のご飯と言えば、祖母の炊き込みご飯と地元の名物のお吸い物。
毎回作ってくれていて、小さい頃は「またこれか」なんて思っていたけど、今思えばとても美味しくて贅沢な味だった。
もう祖母の炊き込みご飯を食べることはないのだなと思うと、寂しい。
こうして思い返してみると、縁が深くないとは言うものの思い出がまったくないわけではないみたいだ。
むしろ私が忘れていただけ、感じ取れていなかっただけなのかもしれない。
物事の大切さはこうやっていつも通り過ぎてから気付く。
だけど通り過ぎたからこそ気付けることもあるのだろうな。
先日祖母の葬儀が無事に終わった。
叔父、伯母、いとこたちが勢ぞろいして、ありきたりではあるけど「こういうことでもないと、もうこんなに集まれないね」などという話をした。
久しぶりに会ったからと言って、ぎゅっと距離が縮まるわけでもないけど。
常に会える距離でもないし、元々そこまで頻繁に会うわけでもない、言ってしまえば、ただ血が繋がっているという関係性だけど。
それでも「この先もう会うことはないのかもしれない」と思うと心臓がぎゅっとなる。
「ただ血が繋がっているだけ」ということをどう捉えるかは人によると思う。
その事実に縛られる必要はないとは思うけど、だからと言って他人みたいにまったく何の関係もないように過ごすことは難しい。
私は今更この縁をさらに深めようとは思っていない。
だけど、祖母が亡くなったことをきっかけに、今までよりは確実に「どうしているかな」「元気だと良いな」と気にすることが増えた。
これも祖母が繋いでくれた「縁」なのかなあ。
傍から見たらうすーいあさーい関係性かもしれないけど、これが私と母方の親戚にとっての「縁」なのだと思う。