戻れない明日
「わ~、おうちがゆっくりうごいてる~」
そう言った姪っ子の視線の先には、昔ながらの我が家の屋根と、冬晴れの青空にゆったりと流れる白い雲があった。
私が住んでいる地域は北国にありながらもあまり雪が降らない。降ったとしても積雪量はそこまでではなく、どちらかというと凍結の方が怖い。しかし今年はいつになく雪が多かった。
雪を見るとはしゃぐのは子供の性。朝から雪遊びがしたいと騒ぐ姪っ子に、黒地に「ZOZOTOWN」の文字が浮かぶダンボールで作ったソリを与えた。
真っ白な雪の中ではしゃぐ色鮮やかなジャンプスーツと、真っ黒なソリ。なかなかなコントラストである。
ひとしきりソリ滑りを楽しみ、疲れたのか飽きたのか、雪の上に寝転ぶ姪っ子。
そこで、冒頭のあの発言である。
はじめは何を言っているのかわからなかった。
姪っ子の近くに行き、同じように空を見上げること数秒。
やっと理解した。
なるほど。
雲の流れ方で、家がゆっくり動いているように見えるのか。
子供の感性というか素直さはすごい。
姪っ子のこの発言を今こうして文章にしているだけでも、なんだか鼻の奥がツンとして、心がしんわりとあったかくなるような感覚がある。
大人になった私たちが当たり前のように感じていることも、彼女らにとっては初めて見て聞いて体験することで、そしてそれを素直に言葉に出来る。
私もそうだっただろうか。
ジャンプスーツの少しの窮屈さを。
はしゃぎまわって火照った体に感じる雪の冷たさを。
口まで達してやっと気付く鼻水の感触を。
あの頃感じていたであろう「冬」を、素直に言葉に出来ていただろうか。
これから姪っ子は色んな「初めて」を経験していく。
そして、新鮮に思っていたことが当たり前になって、なんならその当たり前にすら気付かないような歳になる頃。
きっとこないだの私のように、小さい子供の、素直で自由な発言にハッとする日が来るだろう。
そんな時、幼かった頃の自分の感覚を、たった数ミリでも良いから思い出してほしい。
朝起きて目の前に広がる銀世界に心躍る気持ちを。
ひんやりとした空気の中で触れる雪の冷たさや空の青さを。
歩きづらいブーツが踏みしめる雪の感覚を。
被った帽子の内側に響くジャンプスーツの擦れる音を。
別に冬に限ったことではないが、1回しかない「初めて」を大切に生きてほしい。
年齢だけは立派に大人になった、叔母からの願いだ。
私はもう感じることが出来ないから。
だけどそれが大切なことだったというのは知っているから。
姪っ子の明日を思うと楽しみなようで羨ましいようで切ないようで、なぜだか泣きそうになる。未来のある子供って、眩しいんだなあ。
そんなことを考えながら、楽しそうにゴロゴロと転がる姪っ子を見る。
真っ白な雪に映える鮮やかなジャンプスーツが、やけに眩しく輝いて見えた。
姪っ子の明日は、私がもう戻れない明日だ。
なーんて、勝手にエモーショナルでセンチメンタルになっている私を、無造作に置かれている「ZOZOTOWN」の真っ黒なソリが、そっと現実へ引き戻した。