もうエロしか無いよ!
noteを始めて2年ほど経過したかと思うが、僕はそれ以前からもずっと色々と文章を書いてきた。Twitterであったり、Facebookであったり、初期衝動の勢いで書いた黒歴史 of livedoorブログの怪文書であったり様々だか、もちろん音楽活動をしていたので作詞も10年以上続けている事になる。
僕の作る歌詞には度々性的な描写が見られる。しかしながら、セックスとかク○ニとか直接的な表現は全く無いから、気が向いたら安心して聴いてみて欲しい。
"あなたと私の愛の巣ユートピア
Come here!! 奥の部屋"
"あったかいパンの上で溶けて
君の中でトロトロになるから"
その他諸々。もちろん暗喩的に性表現を含ませた歌詞を知らず知らずに女子が口ずさむのを想像してニチャニチャする為にこの様な作詞をしていたわけでは決して無い。
このような性的表現が増えていった経緯には坂本慎太郎の「すべるバー」などの歌詞の影響もあるが、根因となるものは、僕自身歌を通して聴き手に投げかけたい主義や主張がほとんど無い事にあったと思う。
歌詞のメッセージ性の強さは度々ポップソングを評価する上で重要なファクターになり得る。その上で、作り手が伝えたい主義主張が無いって致命的じゃない?そう思われてもハッキリとした反論は何も出て来ないが、自分ではこうならざる得なかった原因は把握しているつもりだ。
自分の周囲の人には感情が豊かな友達がめちゃくちゃ多かった。映画を観て泣いたり、大盛り上がりを見せるライブを観て泣いたり、漫画や小説でも泣ける友達もいる。とにかく作品に感情移入して涙腺を揺さぶられる人は僕の周囲には沢山いるが、僕自身はどうかというと、全くもって作品で泣くなんて事が人生において無かった。例外を挙げると妻夫木聡の泣き演技は秀逸すぎて貰い泣きした。
他人に感情移入して共感する能力が著しく欠落しているのか、親しい友達が涙ながらに苦境に立たされている現状を相談してくれているのに、その姿を前にして、冷静に、もちろん真剣に話に聞き入っていた事もあるが、あくまで第三者としての姿勢が崩れそうになることは無かった。
ここでひとつ自分自身に疑問も出てくる。
映画や小説などで感情が揺さぶられた事の無い人間が、不特定多数に向けて魅力的な歌を歌えるのかって疑問。無理じゃね?
実際に二十歳くらいの頃はバンドをしてる先輩方々から「もっと熱くなれよ」的なニュアンスのアドバイスを多数貰った。当時の先輩方からすれば、その若さでこの歌詞の内容の無さはヤバイだろ、とかそんな所だったんだと今では思う。
そこで、僕が唯一感情が露わになるトピック。それが色恋沙汰である。僕の周りにいるミュージシャンは割とワンナイトでセックスしたり、彼氏や彼女が居ようが、なんか積極的な異性がいたら取り敢えず一緒にホテル行ったりという人が割と一定数居たので、その辺の人たちと比べると僕は相当ピュアで童貞の様な恋愛しかした事ない。
女の子に振られた回数はもう覚えてないくらいあるけど、自分から振った回数はゼロな上に、自分が振られた日には、その度に最低でも1〜2週間は律儀に凹んでいた。
こんな人生観で20年以上生きているので、歌詞を書こう、文章を書こう、とペンを持つと、女性関係の事しか思い浮かばなくなる。
そして色恋を文章に書こうとして、初めて気付いたのが、「好き」とか「愛している」とか言う言葉の薄っぺらさ。
このひと言は面と向かって口に出されれば昇天しそうなくらい嬉しい単語ではあるが、文字に起こした際の信用の無さはピカイチだと思う。
「好き」とか「愛してる」って感情を文章にしようと思ったら、それらの単語は最後まで封印して、外堀から固めて圧倒的な説得力を構築してからでないと、全てが嘘臭くなってしまうと僕は思ってしまった。
その拗らせた思考回路が、僕の回りくどさや、なんかネチョネチョした感じに、かなり起因しているように感じる。
今年で三十路になり、政治とか経済とか、色々なモノに興味を持って沢山の情報や知識を蓄え、年々頭でっかちになるかと思いきや、今現在絶え間なく脳内から溢れ出ているモノはエロスだけ。プラトニック・ラブとか考えられない、肉体関係ありきの恋愛大好きなスケベ人間に成長してしまった。
因みに両親は2人とも公務員で、母親は小学校教師、父親は社会科の教員免許を持った県庁職員。僕はどっちの遺伝子受け継いでるんだろう。パパ、ママ、ごめん。