見出し画像

感情って鼓動みたいだと、そう思った。

家族でも恋人でも友人でもないけれど大切な人が、ひき逃げにあった。

生きているけど、容態はわからないらしい。

一報を聴いたとき、全く動揺していない自分にきがついた。

彼女のいのちを、生き方を、その身から世界に放っている生命力を知っているから、「あぁ、そういう方法があったか。」と、なんだか妙に納得してしまって。

けど、感情は色々と浮かんできて、それはだいたい、彼女自身とは全く関係ない、とても個人的な、自分自身のことだった。

例を挙げるなら、未だに差別をしている人々への怒りとか、未だに戦いを焚きつけては戦争を続けようと足掻いている集合想念への哀れみとか、轢き逃げする人のきもちって全くわからないけど、そもそも、法律で抑制されていなかったら色々やっちゃう人たちは、本当の意味では理性を使ってないよなぁと思うきもちとか、そんなようなことで、そういう雑念を感じている自分を見つめながら、ゆっくりと、ひとつひとつを眺めていった。

そうしたらね、ネガティブな感情って、そういえばなんであんなに嫌われてるんだろう?と、ふと問いかけてみたくなったの。

楽しいとか、嬉しいとか、しあわせとか、そういう感情は尊ばれて、保存され、受け継がれてゆこうとするのに、悲しいとか、苦しいとか、こわいとか、そういう感情は、なるべくなら陰に葬り去って、表に出ないようにする人たちが、わたしの世界には存在する。

アレってなんでなのかな?って、純粋にそう思う自分にきがついた。

片一方の感情だけは太陽みたいだと喜ばれて、片一方の感情は、陰のものだと嫌われる。

どちらも、感情には変わりないのに。

不思議だなーと思ったから、両方をいっぺんに感じてみることにした(*^^*)

明るい感情と、暗い感情。

ポジティブな感情と、ネガティブな感情。

両方を感じている自分を、いのちの全部で観察した。

そうしたらね、ビックリしたの!

ガヤガヤとしたいろんな音と、いろんな色を持つ感情が、どんどんひとつの音にまとまって、最後は、ドクン、ドクン、ドクンっていう、音に変わった。

なんだこれ?と思って、ずーっとそれを聴いていたら、ハッときがついた。

鼓動だ。

いのちの、生きる鼓動。

寄せては返す波みたいに、陰と陽は引っ張りあって、重力をつくっては、わたしたちのいのちの鼓動を、この世界に生み出していた。

とてもとても、不思議だった。

感情は、鼓動みたい。

そう感じる感覚が、生まれて初めてだったから。

それは、拡大と収縮を続ける生命の音と色だった。

その振動で震えて、骨も細胞もなにもかも震えて、その体で大地にたち、そうして世界中が同じように震えているのだと、どこかでわたしたちは錯覚する。

世界もきっと、同じように、喜んだり悲しんだりしているのだと。

でも、観察してるとよくわかるの(*^^*)

人間としては楽しい遊びな、「一喜一憂」よりももっともっと大きな流れで、世界は流れてる。

だけど、決して機械的な、無感動のなかにあるわけじゃなくて、全ては生き生きと、生命の情感を生きている。

そう、まるで、鼓動そのものみたいな。

鼓動だとわからないくらいの、遠い恒星たちのような長い鼓動もあれば、げっ歯類たちみたいな、早い鼓動もある。

そういう幾重もの鼓動が重なりあって、倍音のようにわたしの宇宙に響いていて、そのハーモニーがわたしの世界の全調和だから、ひとつも欠けていいものが存在しない。

その、鼓動、という世界の音と、わたしたちが持つ感情、というものが、同じ音をしているなんて思わなかった。

それは、陰だけでも、陽だけでも、聴こえない音。

両方が揃って、ひとつの生命に宿り、バラバラだった色と音がひとつの生命として行き始めたとき、初めてその音が世界に響く。

感情は鼓動みたいだと、そう思ったとき、外の世界に聴こえていた音が、わたしの中で生きはじめた。

様々に心を揺らしては、起きた摩擦をおさめられずに戦ったり、ぐるぐると舞い戻ったりを続けているわたしたちは、生きていることを感じ続けたくてそうしていたのかもしれない。

全ての感情が調和した音は、ずっと自分のなかに在るのに、刺激がないと自分が生きているのかわからくなって様々な出来事を起こしては、一喜一憂しているのかもしれない。

そして世界もまた、そんなわたしたち人間を通して、生きている、という感覚を感じているのかもしれないね(*^^*)

病床に在りながら、わたしに今、このことを伝えてくれた彼女に、心から感謝です。

そしてここからは余談だけど、最近、わたしにはおきにいりの祈りの文句がある(*^^*)

生命は生きるまで生きるし、死ぬときに死ぬ、というのを何度も何度も生身で触れさせてもらってきたなかで、ホメオスタシスの働きを何にも邪魔しない音として、わたしのなかに言葉として生まれてきた祈りだ。

世界の全てのいのちが、全うされますように。
そして誰よりもわたしがまず、そう在れますように。

あなたの鼓動を、わたしに聴かせてくれてありがとう(*^^*)

2020年4月21日 日本

地球に暮らす、さやかより♪







いいなと思ったら応援しよう!