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日本と水と、田んぼの神さま。

 水は流れ

 清らかなるままに

 全ての記憶を生命の輪に運び続ける

 山から流れ 幾重にも別れて

 細く太く 海を目指すそれは 

 川となり、わたしたちの生命を潤し続ける。


あれは、5月の初めごろのこと。

15分のお散歩をしようとそとに出たら、思いのほか帰れなくなって、うっかり2時間もお散歩をしてしまったのだけれど^ ^

その時ね、水張りの始まった田んぼの畦道を歩いていたわたしに、ふと、川の神さまと、田の神さまが、話し出してきたのです。

曰く、

 川はいのちを育むもの

 それは意識を繋いでいる

 はじまりからおわりまで

 神の意識が途切れることなく在るように

 水は 様々な不純物と共に 

 最も純粋なそれを写し

 生命の元に流れ続ける

 その意識は 穢れることなく

 全てを清め 流れて 

 はじまりとおわりを与えつづけ

 今日もこのように在り続ける


田の神さま・・・

人間向けの呼び名とか、正直わたしはなんでもいいのだけど、人間たちが長い間、「田の神さま」として扱ってきた一つの”流れ”が仰るには、田んぼってね、元々は、その、川の流れを、人々の暮らしの中に引き込むためのものだったんだって^^

物理的には、山からの、贈り物である様々なミネラルを。

意識的には、全てが移ろうこの世において、はじまりからおわりまで変わることなく渾々と湧き出でる最も純粋な水、という生命の意識を、運び、伝えるものとして。

清らかなる水の流れを田に引き込み、お田植えの動作で土地との交わりを果たしたわたしたちの祖先は、稲穂の実りを神さまと自分たちの双方でいただくことによって、この先、どれほど袂を分かつとも、本当に大切な意識は決して廃れることがないように・・・

と、そんな祈りが、稲作の真意にはあるそうです。
(一応、歴史的な稲作の伝わり方は教養くらいの感じで知ってはいるのだけど、田の神さまによる、時空を超えた弥生時代現地授業でした。笑)

衝撃的だったのは、

「肉体の腹を飢えさせないために、稲作を伝えたわけではない」

と、そんな風に言われたこと。

曰く、人間には、肉体のお腹の飢えよりも意識上の飢えの方が、余程堪えるものなんだって。

そのあたりは、肉のない、神さまの仰ることなので、補足が必要かな、という感じがあるのですが、要らぬ補足をすると音が歪むので、伝わってきて、言葉になったものだけを、ここに書き記しておきたいと思います♪

「神さま」っていうと、日本においては八百万の神々として、身近なものだったはずなのだけど、現代のわたしたちにとっては、少しファンタジーに近い存在に感じるものなのかもしれないな、とも感じます。

実際、わたしとしては、流れをとらえて神として置きながら、放置して、都合のいい時だけお願いごとをしてくるような人間たちの意識が繋がる「神々」という存在は、吐き気を催すほど苦手で。

もっと自然な方がしっくりと、いろんなところにフィットするのだけど、人間の日夜の暮らしに添わない、もっと大きな規模で、全体としてそっているような自然にはない感性がとても新鮮で感激したので、ここに、地球に暮らす一つの視点の窓が交わしたコミュニケーションとして、noteに書こうと思ったの^ ^

ちなみにわたしの普段のSenseだと、例えば、火山の噴火は

「新しい土壌と資源を生み出すための循環だから、資源が枯渇するかもってそんなに心配してるなら、いっちょ爆発しようか?」

みたいな感じだし、洪水は、

「生命が飲んだら病気になるような意識を垂れ流して、自分たちで浄化もできずににっちもさっちもいかなくなっているようなら、いっちょ洪水起こして、川底から土地まで全部を洗い清めて、海まで流してしまおうか?」

みたいな感じだし、海からの漂着回遊ゴミは、

「海でたっぷりと余分な意識を洗い清めた後に、分解微生物の多い陸に、再利用物質として還元してるだけ」

と、いう感じの感覚なので、自然界の人間生活へのそいかたは、人間が望むよりもずっとダイナミックで、中途半端さがなく、先を見据えたやり方なんだな!と、そんな感想を持っています。

そういうのに比べると、人間が信仰してきた神さまというのは、荒ぶることはあっても、なんだかんだ、人間の日夜の生活にそうように存在してくれていて、優しいよね。

尊重と崇敬の意は万物に対して持っていても、基本的に全く信心深くないわたしは、田の神さまがなんなのか、この日まで全く知らなかったのだけど、調べてみたら山の神さまが、人の生活のそばに降りてきた形、なんだって。

春になると降りてきて、秋になると(?)お山に帰るらしい。

そういう、生きて暮らしていても全く知らない人間、という世界のことを、旅をしているとわたしは自然に知るのですが、今回は自分の地元の田んぼの畦道を歩きながら、そんな人間の暮らしと、日本、という國を知りました。

水と田。

わたしたちの中に当たり前にあるそれらに、よかったらみんなも、心を寄せてみてね。

言葉は違えど、本当は、言葉すら、いらずに。

それぞれのなかに、自然に伝わるものが、あるんじゃないかな、と思います^^


2020年5月19日 日本

地球に暮らす、さやかより♪







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