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生命の言の葉あそび。

遊んだり、眠ったり、日向ぼっこしたり、お散歩したり、毎日の、生活をしたり。

そういうことと同じくらい、わたしは考えることが大好きなのだけど(そして同じくらい"かんがえない"ことも好き。笑)、最近は、"病氣"という状態の、人間的認知について考えている。

移り変わる自然は情緒を孕んで、人間はそこに生命の本質をみつめたりするけれど、自分自身は変わらないように‥‥正確にいうと、"変わっても、変わらないように"働くのが、人間らしさを生む動力なようなきが、わたしはしていて。

ほんとうは、"病氣"という固定の状態は自然には存在しなくて、ただ、移り変わる景色のように、ものごとの変化があるだけ、なのが事実で、固定して、味わいたい人間が、それを留めるために、"病氣"と名付けて、その状態の再生を可能にする、ファイル化が生まれただけ、のような。

今年の夏は、久しぶりに日光がからだに強くて、すこしお日様を避けながら生きていた。

こういう状態にあるときわたしは、本当に思いっきり、恋い焦がれる。

動物でも、太陽でも、食べ物でも、人でも。

"死ぬほど好き"

という言葉は、たぶんわたしみたいな生き物のためにあるんじゃないかな?と、そんな傲慢を宣うくらいには、どんな状態に置かれても、わたしの"好き"は、なかなか枯れない。

だけど、困難があればあるほど燃えるタイプというわけでもなくて、ただ、わたしの好きは真っ直ぐに一途すぎるから、すこしだけ、生命の創造のspaceを空けてくれる"嫌い"という、その距離感が与えてもらえたおかげで、知らなかったことを知り、見えなかった世界を、わたしは見ることができた。

それはいったい、病氣、なのか、恩寵、なのか。

"好きなものだけで生きたらしあわせ"

を、たぶん、生まれたときから地でいってるわたしは、与えられる様々な変化のおかげで、"実は好きときづいていなかった、新しい世界"を、自分のなかにみつけ続けた。

変化は残念ながら、だいたい、自我には痛かった。

けど、その痛みは、人間の魂には癒しで、そして、わたしのなかの人間ではない全ての部分は、生命は最初からなんにも、傷ついてなどいないのだ、と教えてくれた。

"これが完成形である"

という単なる未熟な思い込みの指標から外れたものを、人間は様々に分類して、ラベリングして安心しようと試みる。

その状態が、本当は、わたしは"病氣"の本質なのではないかと思う。

世界が変化して、"外れたもの"が現れたときに、それを全受容するのではなく、ただ、"理解するため"というエゴで、ラベリングして、区別して、頭の片隅に片付けるための方法を得て、"それは自分ではない"と言いたい不安を隠したまま、歪んだ理解を示そうとする、暴力的エネルギーの、隠れ蓑。

それだと、病におかされているのは、"病の人"と"その人を病と認知する人"、どちら、なのだろうね。
(やっぱり、この世界の多くの創造は2、から始まっているものが多いのだなぁ)

こ難しいことをつらつら書いてるけど、わたしが今回の考察のなかで、一番ときめいたのは、これらが全て人間の「情緒的感性」に関係しているなぁと、観じたところ。

目には見えない、聞こえない、言葉にはならない、曖昧だけれど、なによりも鮮やかにハッキリと在るような、そんな領域の理解を言葉にすると、情緒、になる感覚がある。

辞書で言葉をひき、作品を読んで言葉を味わい、自分のなかで、言葉が生きていくなかで、ときどき、言葉が新しい人生、を教えてくれる。

人間のつかってきた言葉のなかに秘められた様々が、自分の全てで、新しく地球に生まれてくる。

それが、わたしにとっての"言葉をはなす"ということなのだけど、考察は、そうやって言葉が生まれてくるまでの、楽しい実験で、わたしの濃密な、生命のひとり遊びだ。

「楽。」が座右の銘な人生なので、途中式は存在しないこたえ、みたいなものばっかりがわたしのなかにいつもあって、一足跳び理論が人生に落ちるまでは、大好きな考察をたくさん重ねる。

それを、どんな場所で、どんな風に、誰とするかを、わたしは選べる。

真理の探求、真実の探究には一切興味のないわたしは、言葉も遊び道具なのだけど、わたしにとっての"遊び"は、祈り、とイコールだとおもう。

そのくらい神聖で、聖別した空間で、わたしは生命の遊びを実行する。

そして、それがわたしの日常だ。

死ぬほど恋い焦がれては揺れる情緒も、平安なしあわせも、現れるすべてはわたしの生命で、くるくると、ひとつの輪のなか。

たったひとりの生命のなかに、全ての輪廻が存在する。

そして、本当は、なんにもない。

ぽっかり空いた宇宙を胸に抱いて、人間は長い夢をみてる。

その、ながいゆめのなかで、本当に目があったときに嬉しいから、わたしは笑顔のある世界に生まれてきたのだと思う♪

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