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食べることがよりよく生きることにつながる、というほど大袈裟ではないかもしれないけど、の気づき

「お昼外に食べに行かない?」と連れ。
「暑いからいやだなぁ。ごはんがあるからチャーハン作ろと思うけど食べる?」
「冷やし中華食べたかったんだよな~」
「冷やし中華か。それはウチでは作れないな。。。わかった、行こう」

某中華店に到着。
ビール、焼き餃子、冷やし中華、焼きそばを二人でオーダー。

連れはビール飲んでと餃子をつまんだのち
「やっぱり冷やし中華美味しいな」
感想を聞いてもいないのに、ポツリと話し始める。
そういえば昨夜、コンビニで買ってきて冷やし中華食べてたよなと思うが黙っておく。

「昨日の冷やし中華、不味かったんだよ」
ちなみに連れは割と何でも美味しいと食べるという意味で味覚が大雑把。
よって美味しいは当てにならない。
代わりに、不味いというときは本当に不味いのだと私は思っている。
きっと恐ろしいほど不味かったんだろう。。。

「そうなんだ、そんなに不味かったんだ。」
「うん、あれは不味かったなぁ。今日のは美味い」

いつもは無口で、こちらから話題をふらないと会話がないのだが、今日は美味しいものを食べてご機嫌の模様。
相手が勝手に機嫌がよいと、なんとなくこっちも機嫌がよくなる。
三人前を頼んでしまった餃子、最後は二人で譲り合いながら完食。
美味しいものを食べると、相手への思いやりも生まれるのかもしれない。

美味しいものをいただくって大事なのだなと、最近思うことが増えた。
なんでもいいからお腹を満たせればいい、とか、予算に合わせてこれぐらいの価格で食べるとかだけが続くと、カロリーやある程度の食品としての栄養は満たされるが、あまりに続いたり、あまりにジャンキーなものだと、それは一種のセルフネグレクトじゃないかと感じる。

濃い味付けや化学調味料で麻痺した味覚から解放されて食材本来の味を感じたり、盛付け・食器や雰囲気といった目や音の心地よさでわくわくやリラックスがあったり。
もちろん、だれと一緒かとかどのようにゆったりとかとか、どのような装いやマインドでそこにいるのかとか、要素とバランスは無限。

また、どんなに美味しいものでも、自分の気持ちが落ちていたり、体調が思わしくないとそう感じなくなる。

食べるということは、身体的にもメンタル的にも自分を大事にすること・いたわることにつながるのだと思う。

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ケィティ(Katy)
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