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「自信がないという、自信」があるひととの会話

よくある話だ。
慎重派でリスク感度が高く、何をやるにも不安が付きまとい、できたことよりもできないこと・できなかったことばかりに、気持ちが向く。

「できるかどうか、自信がありません」
「何をやるにも自信が持てません」
伏目がちに、時には眉間にしわを寄せて、口角を下げて、ため息交じり。

自信がないことに自信があるのですね、と言葉をかけると、口元がゆるみ、眉間が広がり、一瞬目を開き、前から上に目線が伸びる。

自信がないっていってもいろいろパターンありますよね。
たとえばやったことがないから自信がないのか、
かつてやった時にうまくいかなかったから自信がないのか、
と続けてみる。

「やったことないからですね。どうしていいかわからない」

やったことがなく、どうしていいかわからないのですね。
やったことがないことをやる人はみんな自信があると思うのですか。
自信がないとあなたはやらないということでしょうか。
はじめてのことで経験して、自信ができたということはないのでしょうか。
とやんわり、ゆっくり尋ねてみる。

どうしていいかわからないということは、何が不安かもわからないで、漠とした感情に「不安」というラベルを付けて、考えることを放棄した状態。
もちろん、その先には進展も変化もなく、閉塞が待つのみ。

「自信がない」とシャッターを降ろしてしまうと同時に「不安」と思考停止の鎧で自分を防御する。
そうすればもう自分は傷つかないと思っているかのように。

だが、「自信がない」と「不安」を口にすればするほど、チャンクの大きなこれらの言葉は自分自身を傷つけ、自己肯定感や自己効力感を下げる。

だから、自信と言う切り口ではなく、その人の具体的な、できていることと、これからできるようになりたいこと、他人の力を借りること、他人に任せる・お願いすること、などに対象を分けてみてから、考えてみてほしい。
今現在、不安なく当たり前のようにやっていることも、最初から自信があって始めたのか、あのころに戻って考えてみてほしい。
どのようにできるようになってきているのか。

やること。
もちろん無茶苦茶がむしゃらにやればということではない。
現状を分析して、今までの成功事例を参照・応用すれば、「やりよう」は生まれてくる。
みんな、できる子なのだ。
やるか・やらないかの違いが、「どのように」の違いが、「いつ」の違いが未来の違いになるだけなのだ。

これもよくある話。
リーダなんてやれません。やったことありません。
みな口々に言う。

ところが、たとえ一人きりで仕事をやっているようでも、考え・組み立て・工夫してやる以上は、自分自身が自分のリーダでもあるのだ。
チームでやっていればなおさらだ。メンバー各人の潜在リーダ的な動きがあるからこそ、生産性や創造性を発揮していくのだ。

やっていない、できないと思い込むのは簡単だが、現実世界ではすでにやっている・できていることを亡き者にすると、自分の才能を自分で殺すような結果を招くかもしれない。


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