【#1 Only One】 「はじまり。」 福岡大学硬式野球部MG北野華蓮さん
こんにちは!
学生スタッフ応援団の秦野です。
学生スタッフの価値とは何か。
学生スタッフとは。
発展途上の大学スポーツ。
大学4年間をそのスポーツにかける選手たち。
そんな選手たちを"支える人"が存在しています。
今回はそんな”支える人”にスポットライトを当てていきます!
チームに必要不可欠な学生スタッフ。献身的にチームを支え続ける存在がいるからこそ、日々の活動ができているのではないでしょうか。
チームにとって『Only One』の存在である学生スタッフの方々を、学生スタッフ応援団としてスポットライトを当てていきます!
というわけで、今回取材させていただいたのは福岡大学硬式野球部でマネージャーとして活動している4年生の北野華蓮(きたのかれん)さんです。
高校・大学と硬式野球部のマネージャーとして過ごした北野さん。7年間のマネージャーの経験がどのように今に活きているのか。
今回は、第1話「高校時代の北野さん」についてお届けします!
ちなみに....
今回の取材を担当したU.S.L.メンバーの松原と北野さんは、同じ高校の硬式野球部に所属していました。松原が選手で、北野さんがマネージャーで、共に甲子園を目指して、野球に明け暮れていました。そんな関係である2人の"雑談のような取材"をお楽しみください!!
それでは、どうぞ!!
[松原]
まず自己紹介からいきましょう。
[北野]
はい。福岡大学硬式野球部のマネージャーをしております北野華蓮と申します。現在、大学4年生で、最後の秋季のリーグ戦の真っただ中です。
今日はよろしくお願いします!
[松原]
お願いします〜!
マネージャーを始めたきっかけ
[松原]
じゃあさっそく本題入るか!
高校の時にマネージャーやってくれてて、中学校でしていたこととか高校でマネージャーになったきっかけとかも聞けたらいいなと思うんだけど、教えてくれますか?
[北野]
はい、中学時代は元々私も野球部に入っていて、男子部員が多くいる中、女子部員は私1人で過ごしていました。その中で続けてきていたし、お兄ちゃんが野球してて、生活の中に野球があったので、もう自分の中では高校でも野球部に所属するっていうのは結構自然な流れだったんですよ。
でも、実際そんな私高校が学区外だったのであんまり高校の野球部のことを知らなくて。入学してみたらマネージャーをとっていない。っていうことがわかって(笑)
それでどうしようってなったんですけど、でもどうしてもその野球部に所属したい、野球と関わりたいという強い思いがあったので、これなんかもう、行ったもん勝ちだなっていうのがあって。通い続けて、監督にものすごい鼻で笑われたり、「とってないから」って言われたりしたんですけど。
[松原]
そんなこともあったの!
[北野]
ありました(笑)
機嫌が悪くてその日。いきなり早く帰れ!ってキレられたりしたんですけど、自分が1年生の時に3年生のマネージャーの方がいらっしゃって。引退だからいなくなられるじゃないですか。だから、通い続けたら監督もさすがに折れるんじゃないかなっていう気持ちがあって、毎日通い続けて、特にマネージャーになりましたっていう正式な発表もなくもう自然な流れで。
[松原]
そうなんだ。
[北野]
「あ、お前もう、マネージャー!」みたいな感じになってました(笑)
[松原]
折れてくれたんだね。やっぱりそこでね。
[北野]
けど、一番は学校にグラウンドがないじゃないですか。どこにあるのかも分からないし、地名も分からない中で、私、地元から 1 人で高校に行ったので、周りに知り合いもいなかったので(笑)グーグルマップでまずグランドを探してそれを見ながら自転車で行きました。
高校野球での思い出
[松原]
高校野球でマネージャーして自分たちの代も含めて3年間で何が一番思い出として残ってる?
[北野]
3年間ですか。そうですね。遠征とかいろいろ連れて行ってもらったと思います。それもそうなんですけど、やっぱり3年間はマネージャー制度が確立してなかったじゃないですか。だからもう選手と同じように扱われる感じがあって。雨が降った時は一緒に水取りしてとか、新しいグラウンドになって、あのすごくきつい1.5km続く坂道を毎日こいだことが、やっぱり自分の中では3年間やり遂げたことかなと。成績うんぬんよりも毎日毎日の地道な活動の方が私は思い出です。
[松原]
なるほど。カッコいいね。めっちゃええやん。
[北野]
全然です(笑)
[松原]
なんでそこまでやれたかって言ったら、やっぱり野球に対する思いみたいなところ?
[北野]
はい。それと、自分の性格が、始めたことは最後までやり通さないとすごい嫌な性格なんで、それもあってやるからにはちゃんと最後までやり抜きたいし、中途半端にやるんじゃなくて、一生懸命取り組みたいっていう思いがあったから、そのマネージャーとしてもその選手のためにどこまでできるかっていうのがあったんじゃないかなって思います。
大学でもマネージャーを続けた理由
[松原]
たぶん高校でもそうやってマネージャーをしていて、楽しいって思いもあったと思うけど、きつかったという方が大きいかなと感じているんだけど、それでも福岡大学入ってマネージャーになったきっかけって何かある?
[北野]
そうですね、実は私はマネージャーをするつもりがなかったんですよ。
[松原]
そうなの!?
[北野]
高校でマネージャーをやって、やっぱり大学ってなると学生最後じゃないですか?もともと私すごいスポーツ好きなので、自分がプレーヤーで何か部活に入りたいなっていうのがあったんですよ。スポーツを自分もやりたいっていう気持ちと、その間に野球部があるのにやらないのはちょっと違うんじゃないかっての自分の中にあったんですよ。考えて福大だったら、素晴らしい技術を持つ選手が集まっていて、全国の舞台をより目指せる環境であり、高校時代に果たせなかった全国大会出場を大学で果たしたい、そして、高校よりも高いレベルでやるのは自分の経験もさらに積めるんじゃないかなっていうのがあって、大学でもマネージャーをすることを決めましたね。
[松原]
高校に入るときは入るために大変だったと思うのだけど。大学のときはなんかもうスムーズには入れたりしたの?
[北野]
大学ではマネージャーが少なくて。高校と同じで大学でも私の1個上にマネージャーがいないんですよ。でもどちらかといえば、大学の野球部側としては入って欲しいというのがあって。でも部の携帯に電話をかけるとき、すごく緊張しました。
今回はここまでです!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
明日の投稿では、福岡大学硬式野球部での北野さんのマネージャーのお仕事、そしてそこに秘められた想いについて投稿します!
ぜひチェックしてみてください!
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