文化を残すということについて。

菅新政権が発足してから、大きな注目を集めてきたのが、河野太郎規制改革担当大臣であろう。
その中でも特に世間の関心を集めたのがいわゆる「はんこの廃止」である。
多くの手続きがオンラインで済ますことができるようになった現代でも、押印のためにわざわざ印刷して、紙でなければいけない手続きも多く存在してきた。
その中で、河野大臣の「はんこ廃止」の号令は、多くの国民の共感を得た。
しかしながら、やはりその流れに逆行する人たちもいる。

政権与党にもなれば、多くの業界団体とも関わりがあるだろうし、支持者たちの利益の保全を目指すことも当然だといえる。

ただ、彼らのこの主張は全くの的外れといえよう。

今回の河野大臣の「はんこ廃止」の号令は、行政手続きの中で、オンラインやその他の方法であれば、もっとスムーズにできるはずなのに、押印を必要とすることで余分な手間や無駄な時間を増やしているものについて、押印を不要とすることで効率化や省力化を図るというものだと私は理解している。

つまり河野大臣は「はんこ文化」を別に無くそうとしているわけではない。

「はんこ廃止」に反対する彼らは「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」だそうだ。彼らが守りたいのは、はんこが有用に使える制度や文化ではないのか?彼らが「日本のはんこ利権を守る議員連盟」なら話は別だが、行政改革の足を引っ張るのは国民のためになるといえるか?

日本のはんこ文化は素晴らしいと思う。芸術性も高く、親しみもある。彼らがはんこ文化を守りたいなら、面会する人に名刺を渡すのではなく、相手の手帳にはんこで自分の名前を押せばいい。

で、ここからが書きたかった本題である。
文化を残すとはどういうことかということだ。
私は基本的に、文化でさえも淘汰されるものだと思う。
文化は私たちの生活に最も密接に関わっているといえるだろう。であるならば、より良い文化が出てくれば、それに取って変わられるのも仕方がない。
ただ、そんなに単純にいかないのも文化の特徴だ。
我々の生活に密接に関わるからこそ、文化には愛着が湧くし、残したいと思う。
しかし、ここで「文化を残す」ということは利権を作って守ったり、補助金で支援していくということではない。
文化というのはそれを形作ってきた人が有用性を見出して築いてきたものである。
つまり、「文化を守る」ということはその有用性を見つけ、活用していくということだ。
伝統工芸でも同じことが言えるだろう。
伝統工芸ならではの有用性(例えば芸術性や使いやすさ、長持ちするなど)があったとしても、他のものに取って代わられたのならば、それは仕方ない。
伝統工芸を作るということも、商売として成り立たなければ続けられないだろう。
よく、伝統工芸を守らなければいけないという人がいるが、それは傲慢であると私は思う。
伝統工芸のようなものは長年の経験を必要とするものが多い。
衰退してゆく伝統工芸を守るために、自分が時間をかけて技術を習得し、繋いでゆくのか?
もしその覚悟がないのであれば、文化の中の1人である私たちは、ただの一消費者として、伝統工芸が商売として成り立つように、使い続けるしかない。


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