サイゼリヤの必要性


僕が鹿児島に来て、もうすぐ丸2年が経とうとしています。

鹿児島に初めて来た時のことを思い出していたのですが、鹿児島にサイゼリヤがないということを初めて知った時

「まじか、、辛いな、、」

と思った記憶があります。

ですが今になって振り返ってみると、この2年間で、鹿児島にサイゼリヤがないことを嘆いたことなんてほぼありませんでした。

その理由は、鹿児島で友達がいないからだと気づきました。

学生時代、何か友達と話したい時に決まって行くのはサイゼリヤでした。
今はコロナ禍でなかなか難しいかもしれませんが、コロナ禍が落ち着けば、且つ自分が地元に帰ることができれば、またサイゼリヤで友達と仕事の愚痴を言い合ったりしたいなと思っています。

僕にとってのサイゼリヤは、ご飯を食べる場所であると同時に、友達と過ごす場所としての大きな存在感を持つお店です。

なので、サイゼリヤが好きな人と友達に恵まれている人は同義である場合が多いのではないかと思います。

サイゼリヤの必要性を感じなくなった今、学生時代の自分が友達に恵まれていたことに改めて気づかされました。

またサイゼリヤで友達と楽しい時間を過ごすことを目標の一つとして、いつか地元に帰れるよう頑張りたいと思います。

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