「医学的な依存症」と「依存」は別の言葉だと気づいた。(ゲーム依存症について考えるシリーズ②
Amazonで適当に検索し、この本を読んでみた。
読了後の感想のような記事となる。
◆医学的依存症
この本で、依存物とか、依存症とかそういった言葉で、語られている。
正直、かなり偏った内容となっているように思えたし。
作者は、ほとんど、ビデオゲームや、インターネット、コンピューターに詳しくないのだなという印象だ。
おそらく、依存症治療においては、依存物から遠ざけて絶つことが、重要な治療法として確立されているので、対象の詳しい仕組みを理解しなくても、治療が成立することもあるだろうと思う。
例えば、スマホがない場所に連れて行って、数日過ごさせるという場合。スマートフォンの仕組みや、スマートフォンゲームの仕組みを治療者が詳しく知る必要はないし、下手すると、それらを調べようとして、依存症状態に進んでしまう可能性がある。
なので、依存症治療者は、依存症になりたくないので依存物に詳しくなることを避けるだろう。
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この本は、依存物と依存症を語った後、スマホは依存物なので、注意しましょうという本となっていて、新書だからか、内容は薄い。「スマホは依存物である」という認識を持つことで予防しましょうという感じだ。
それらを従来の規制されている依存性物質と話を絡めている。
この本の中で、診断基準の話がでてくるが、ワインとグラスの話が少しでてくる。グラスは依存性物質があるわけではないが、ワインを入れる媒体となる。
つまり、従来の依存性物質の場合は、ワインの中のアルコールという化学的に定義できて、元素記号も分かっているような物質を指定して、これが依存物質だと、できたが、
ゲーム依存性や、インターネット依存性、スマホ依存性などは、そういう風に定義できないということだ。
こう考えると、本からは外れるが、ゲーム依存性は、化学物質的な依存性より、ギャンブル依存症に近いように思える。
ギャンブル依存症は、摂取した物質ではなく、そういう場所や、機械や、行為によって、自己の脳内物質があーだこーだして、それを破滅的に繰り返すようになってしまうわけで、じゃあ、スロット台や、競馬場は、鉄とかコンクリートだし、馬は動物である。
つまり、全体的な構成と、設計者の狙いによって、そういうものを意図的に設計している。
ゲームの場合は、開発者がどこまで意図的に設計しているかわからないが、売れるゲームや流行っているゲームをマネしてつくれば、まあそういうものができあがる。
おそらく、ゲームメーカーのデザイナーが正直に語る本でもでれば、その人を夢中にする設計が公になるだろうし、パチスロの設計者は、もっとひどいレベルで、設計しているだろう。
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ただ、この本を読んだ感じ、医学的依存症というのがあって、それを防ぐには、依存物を遠ざけて絶つのが正攻法である。というのは歴史的にもそういうことになっているのだろうが。
これでは、僕がおもう依存症という概念が扱いにくくなってしまう。
そして、こちらの方が一般的には普通だと思うが。
つまり、医学的ではない意味の依存症だ。
ただ、ややこしくなるので、依存と書くことにする。
◆依存関係にある
昔は、本を買って読んでいた人が、全部kindleにしてしまったとすると、本を読もうとすると、スマホを使うことになる。
これは、本を読む行為が、スマホ使用に依存している。
スマホがなければ本を読めないからだ。
昔は、時計を身に着けていた人が、スマホがあるから付けなくなったとか、目覚まし時計を置かなくなったとすると、
この人は、時刻を確認したり、目覚ましを利用するのにスマホを使うようになり、この文脈ではスマホに依存している状態となる。
つまり、依存関係であるとはAがBの成立の土台となっており、Aが崩れると、もうBも崩れてしまうということだ。
この場合、スマホがなくなったら、本を読めないし、目覚ましもなくなる。買えばいいけどね。
こうやって汎用的なコンピューターが、さまざま機能で利用されることにより、楽をして、めんどうなことを避ける人間は、もっとも労力の低い方向に流れていくことになる。
その結果、あれもこれも、スマホを利用して、代替した結果、スマホが土台となってしまい、スマホがなくなると、他が成立しなくなってしまう。
これが、スマホ依存といえるのではないだろうか。
こういったパターンの依存に関する定義も、別に普通に通じる話だろう。
◆
つまり、
・アルコール依存症など化学物質と治療の歴史をもつ、医学的な依存症という言葉と、
・汎用機器が、多機能ゆえに、他の道具をつかわなくなり、それの利用に集中し、依存関係が大きくなってしまうという意味の言葉と
違う言葉なのに、なんかごっちゃにしてしまうということがおきやすいかもしれない。
・もう一つは、ギャンブル依存症を形成する、意図的な設計の問題だ。こちらも、やめられなくなるように設計されている構造で、スマートフォンのゲームはその設計をとりいれているだろう。
こう考えると、「やめられなくなる」という表象の現象は似ているので、混同してしまいそうだが、
実体はそれぞれ違うので、扱う対象で、言葉や意味を吟味しないと、別のことを知らずにしゃべっていることになりかねない。
おそらく、全体的なまとめを考えると、
汎用的なコンピューターを使った、道具の置き換えにより、利用的な依存関係が大きくなり、
そのコンピューター上でのソフトウェアによって、偶発的にも、そして、意図的にも、やめられなくなるような結果が生じるということだろう。
◆ゲーム内報酬の設計と、現実生活への影響
僕は、最近思うのは、ゲームの設計で、人を夢中にさせる一つは、数字が増えていくことと、それに関与することに思える。
ほとんどのゲームは、そうなっている。
これは、ゲーム報酬の設計だと思う。
そして、そういったゲーム内報酬の設計が、ゲーム設計者の意図を超えて、現実生活に影響をあたえ、問題化しているのが、ゲーム依存症という話ではないかと思う。
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Dependence
Addiction
Reliance
Dependency