現金払いの方がいい。
お金は、もはや概念になってしまっていて、現金が何を指すのかを定義しないと文章も書けない。
とりあえず、従来の物理的な、金属のコインと、紙のお札のことをいいたいのだが、
これは、何だろう。フィジカル貨幣といえばいいのだろうか。
こう書くと、逆に新しいもののようであるが。
で、フィジカル貨幣を使う方が、人間らしくて好きである。
だって、僕たちは、生まれてからそうやって生きてきたからだ。
もしかすると、これから生まれる子供たちは、こういった経験をせずに、電子マネーやスマホ決済が基本になって、フィジカル貨幣に対しては、逆にしっくりこないと思うのかもしれない。
そもそも、お金は概念であって、デジタルだったというのが、本当の所だろう。
だから、お金がデジタル貨幣になったのは、新しいことというより、本来の姿に近づいたのだと思う。
今まで、実態のないお金に、物理的な形を与えて、それを扱うことで分かりやすかったのだと思う。
お金をデジタルのまま扱う方法がなかったから、道具でそれを補っていたのだ。
お金は、ようやく本来の姿に、デジタル状態に戻ったのだ。
だけど、なんだか、納得できない。
お金がフィジカル貨幣の時は、まだなんだか説得力があった、
しかし今や、単なる数字になってしまった。
こんなものに、人は操られているのかと思うと、バカバカしく思えてくるところもある。
本当に単なる情報でしかないのだ。
しかし、それはずっと前から、そうだったのだ。
銀行屋や、国の偉い役人はそんなことは知っていたのだ。
庶民だけが、お金の価値を誤解していたのである。
それはフィジカル貨幣だから、そう思い込めた。
今、こうやって、デジタル貨幣化して、お金の本来の姿が明るみになってしまったわけで、このまま、人類を騙すことは無理ではないだろうか。
それとも、まだ、僕らはこのデジタル情報の数字で、人の命令に従ったり、人を指示したりできるのだろうか。
こんなものを「集めて」、満足できるのだろうか。