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遺書に変わる断末魔

私は今から自殺する。自殺してやるのだ。これは決して逃げではない。闘いなのだ。彼らに屈したとは思いたくない。だからこそ遺書は残さない。そうすれば私の死の原因が復讐すべき相手に届かない。彼らはどうせ勝手に解釈し、過ちを繰り返す。そんな事知ったこっちゃない。私と同じ目に合えばわかるだろう、遺書を書かないという少しの恩赦を与えているということにも愚かな彼らは気付かないだろうが。私は逃げるわけではないが、この世に生きるのには酸素が足らないだけである。私は私の生きやすい桃源郷を探すことにする。幸い私には近しい者がもういない、だから決行するのだ。
愚かな人間ばかりの世の中で私もまた衆愚の一員なのかもしれない。しかし黒い羊に成り下がったわけではないぞ。まぁもし私を黒い羊にしたものがいるなら正義の裁判員である死神の使いが来るだろう。

〇月〇日 人気女優が自殺か?

ほらほら予想通り群集は勝手に私の動機を誹謗中傷に考える。私は何も言っていないのに。結局皆、自分がどんな低俗な行いをしているか、その身にわかっているのだ。それでもこうやって問題が起きてからさも自分は関係がないように声高に宣言し、勝手な解釈からまた新たな被害者に向かって糾弾する。まぁ因果応報でこそあるが。しかしこの行為こそ鏡のように反射し、清廉な純白さを自ら黒ずめていることに気付かないことには滑稽さを通り越して薄ら寒さも感じるな。仮面の下は如何に黒いのかを自ら宣言しているのかわかっていないのだろう。

そしてこの大して私のことを知らないのにここぞとばかりにお悔やみを述べているのにも笑いが込み上げて仕方ない。別にこれ位赦してやるが。しかしなぜそんなしたり顔でコメントを打てるのか。それこそ私を出汁にしている証拠みたいなものだろ。私の親友や親が死んだときはさすがの私も1日は何もできなかったよ。やはり板の中の人間を知った気になっているのは遺憾だな。私の何を知っているのか。まぁ騒いでくれればそれでいいのだが(笑)

まぁ1カ月も経てば、この話題も消えるだろう。所詮人の死は何かに影響を与えるのではなく、暇つぶしであり、1話題に過ぎないのだ。本当に問題意識を持っているのは一部で、ほとんど持ったと思い込んでいる自分に酔っているだけだろう。そんなもんだ。しかし私はそこでは終わらせない。なんのために断末魔を拡散したと思っているのだ。あれを聴けば何人かはこちら側の世界に到達するだろう。私は覚悟もなく、取り返しのつかないことをしたという後悔とそれを正当化した人間が猜疑心に苛まれて、天使の皮を被った死神に追い込まれる姿を見たいだけなのだ。機会があれば私が迎えに行ってもいいな。おっとまずは一人目がこちら側に来たな。

さぁ後何人がこの地獄に落ちてくるかな。楽しみだ。


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