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スポーツ界をより笑顔で溢れるようにしていくためには

突然ですが、皆さんは体罰やパワハラとはなんなのか、なぜなくならないのか、境界線はどこなのか、そんな疑問を持ったことはありませんか?
今日はシンポジウム開催前ということもあるので、それについて少し話していきたいと思います。

そもそも体罰・パワハラって?

皆さんは体罰やパワハラと聞くとどんなことを思い浮かべるでしょうか?
きっとこれを聞くと暴力というのが真っ先に頭の中に出てくると思う。実際に1980年年代から放送されているスクールウォーズでは体罰が正当化されているくらいだ。しかし近年では暴力は少なくなってきている気がする。

暴力が問題視されるようになった今

昔とは違い、暴力が問題視され、少ししただけで仕事を失ってしまう、そのような社会情勢になった今、今度は手を出さない体罰が問題になっていると思う。
練習中の罵声、連帯責任による全員坊主や、試合に負けたから罰走などこれら全てが体罰やパワハラに含まれるのではないか。私はそう感じている。そして、それが正当化されることはあってはならない。

また、人の立場になり考えることも重要だ。
「自分だけができる、それならこいつらも出来るだろう」となり、それができなかった時にイライラしてしまうことが多いのだと思う。
自分の行動によって、その選手がスポーツを嫌いになってしまうかもしれないということを一度考えて行動に移すべきなのだ。
指導者をしていて、自分のせいでスポーツが嫌いになったという人が出て、嬉しい人はいないはずだ。

体罰やパワハラの境界線とは

このトピックに関しては私自身も正解は分かっていないですし、正解なんて今はないと思っている。ただ、受けている側の人が感じたら、側から見てそう感じたら、体罰・パワハラになるのではないかと私は思っている。
しかし、これに関しては本当に難しいところで、私も日々試行錯誤している。

また、これは指導者の方々からしてみても本当に難しいことだ。私も最近指導を始めて感じたが、甘くし過ぎると、雰囲気が緩くなってしまい、選手が成長しない、逆に厳しくしすぎると問題になってしまう。その中間で指導をするのはとても大変なことだなと心底感じている。
だからこそ、指導者の方々も一人で抱え込むのではなく、みんなで考えていけばよいと思う。

なぜいつまでも改善されないのか

話は戻り、改善されない理由としては子供が声を上げることができない、体罰・パワハラにあっていると気付いていないということが挙げられるだろう。
例えば、学校の部活であれば、声を上げたら先生に歯向かうことになり、自分自身の進路に関わってきてしまうのではないかという不安や、自分1人だけが思っていることでこれを言ったら部員に迷惑がかかってしまうのではないだろうかなどの不安からなかなかおかしいことだと言いづらい環境が出来上がってしまっている。
そのためには声を上げやすい環境をみんなで作っていくこと、声なき声に気付き、救うことが重要になる。

そしてそのためには仕組み作りをスポーツ界全体で、していく必要があるのだ。

また、昔からの風潮で高校の部活ならこのくらい当たり前、強豪校なら普通だという先入観からそもそも自分達が気づいていないこともあるだろう。気付いてないならそれでいいじゃないか、そのような人もいるかもしれない。だが、それが当たり前だと思っている人が指導者になれば、その人に教えられる選手は苦しい思いをすることになってしまう、どこかでこの悪循環を止めなければいけないのだ。

そのためには今の指導者が変わることはもちろん、後々指導者になる私達学生の意識、認識を変えなくてはいけない。
スポーツが好きなことはみんな変わりない。決して体罰・パワハラをしている人がスポーツを嫌いだとは思えない、だからこそ勿体ないと思う。みんなで教えてあげるべきではないだろうか。

そのためにこのシンポジウムを含め、私たちは行動に移していく。
皆さんも共に変えていきませんか?
是非ご参加お待ちしております。

【シンポジウム開催】

3/22(月)19:00~
4人の登壇者と共に、当事者・有識者の視点からパワハラ・体罰問題について考えます。
貴重な機会、ぜひお越しください!
申し込み、イベント詳細はこちらから↓
peatix.com/event/1843101

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