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「ダバダ〜♪」と歌って飲むアレは


「いいのよ薄くて。このくらい薄い方がいいの。ションベンコーヒーでいいの、好きなの」


そう言いながら母はいつも
午後の早い時間にインスタントコーヒーを飲んでいた。
「はー、おいしい」と。嬉しそうに。

牛乳もたっぷりいれて一緒にタバコをおいしそうにふかす。
コーヒーの銘柄はいつもネスカフェゴールドブレンドでタバコはセブンスター。
あの茶色い蓋の四角い瓶のを開けるときの音と香り
そして換気扇に吸い込まれていくタバコの煙
そのふたつはわたしのなかの母の思い出の根底にいまも色濃く横たわっている。


母は無類のコーヒー好き「だった」「らしい」
なぜ過去形でしかも伝聞でしかいえないのかといえばわたしの物心がついた頃にはもう母は家でドリップコーヒーを飲まなくなっていた。

子供の頃にわたしが母の大切なコーヒーミルを砂場に持ち込んで砂をゴリゴリひいてしまってダメにしたからひけなくなったという話もしょっちゅう聞いていたが、かつて喫茶店の学校に通っていたときにコーヒーを飲みすぎて胃に穴を開けてしまったため飲めなくなったとか、二日酔いの空きっ腹に飲みすぎたのがてきめんにわるかったので胃に穴を開けただとか、酒の飲み過ぎで血の塊を吐いたからコーヒーもダメになったのだとかいろいろなことを言っていたので正確なところはわからない。

とにかく胃に穴が空いてからはまともにまともなコーヒーを飲むことがなくなってしまったということだのだろう。

わたしの生まれる少し前の話だったらしいので、そりゃ、わたしが知っているはずもない頃のエピソードなのだけれど。


だからわたしは母のいれたちゃんとしたコーヒーの味はほとんど知らない。
そんな理由でダメになったからなのか、ごく稀に外で飲むときもやたらと文句が多かったことはよく覚えている。


そんな母が日常的に飲み続けていたのが、マクドナルドのコーヒーと家でいれるかなり薄いインスタントコーヒーであった。


「かなり薄い」とはどれくらい薄いのかといえば、
マグカップ一杯にティースプーンすり切り一杯の粉を使うくらい。
作ってみるとけっこう薄い。


標準ではティースプーン山盛り一杯(約2g)にマグカップ1杯(190ml)らしいので、すり切りだとその半分強くらいになってしまう。


再現したことがあるのだが、かなり後悔した。
薄い。
なんかわびしい。

これを母はあんなに嬉しそうに飲んでいたのかと思うとさらにわびしくなった。


そのわびしさに耐えきれなくなり、少しづつ粉を追加してみた。
少しずつ、わびしさが減っていく。

せっかく美味しく飲めるようにできているものなのに、薄くしすぎたら美味しい1杯を楽しめず、美味しくない2杯を飲まなくてはいけなくなるようなものなんじゃないのか? あ、いれすぎた。濃すぎてもなんだかえぐみのようなものがでてしまっておいしくない。

すごく後悔した。この感じ、あまり知りたくなかった。
この、濃くしてみていっているこの感じも、なぜか知りたくなかった。
すごく、すごく後悔した。


その日から悲しさと侘しさをインスタントコーヒーに感じるようになってしまい、以来何年何年もインスタントコーヒーを避けるようになってしまっていた。

わびしいと思ってしまったことへの罪悪感なのかもしれないが、とにかくその感情の苦味が、溶かされる前にカップの側面にくっついちゃったインスタントコーヒーの粉のように黒々と気持ちの中に残ってしまっていたのだ。

あれ、よっぽどしっかり水につけたりチョコチョコこすらないととれないんだ。



しかし、あれから数年経った今。
現在授乳中のわたしは、すこし母の気持ちがわかるようになってしまった。
アレは我慢でもなんでもなくて母はそれでいいと思っていたしちゃんと美味しく感じていたんだと今ならわかる。


あレは、コーヒーは飲みたいけど胃潰瘍も気になるし、こどもがまだ小さい頃はカフェインの心配もあるしという母の妥協点で譲歩点だったのだろうというのが体感としてわかるようになったのだ。

味は欲しい。
でも、少しじゃ嫌だし、たくさんは怖い……この感じだ。

そしてぎりぎりを攻めたその味にいつしか慣れていき、それはそれで美味しいと思えるようになったのだろう……それに唯一それくらいの贅沢はゆるされていたかったんだろうなと、わかるのだ。わかってしまったのだ。


専業だった母はあまり自分のものも買わずにいたし、父は酔うと暴れるし乞われるとすぐに他人に酒をのませてしまう。食っていくのがやっと…というよりも食うや食わずくらいの給料なのに、だ。


母はずっとずっと、限界だったのだろう。

そのときのお供が、心の慰めが
彼女曰くの「うっすいションベンコーヒー」だったのだろうなといまならわかる。

エクセラではなく、ゴールドブレンドであることで保たれる何か。
お嬢様育ちだった母が、困窮の中で得ていた唯一の贅沢で、息の継げる瞬間だったように今ではおもえてならないのだ。

ほんのちょっと、ほんのちょっと自分のための「上質のもの」を取り入れられるだけで世界は変わることを、今やわたしも知ってしまっているのだ。


それは、強制収容所の中のユーモアと類似している。
それがあるだけで、人は「人としての気持ち」をとりもどせる。
わたしがさんざんマズいと言っていたアレは、そういう類の何かだったのだ。

今でもたまに、思い出す。
母があのうっすいコーヒーを作るための粉を入れながら、小さな声で歌っているのを。
ダバダー♪ って。
うん、あの曲、すごいよね。
違いがわかる気分になるもの、わかる、わかるよ。


今のわたしが、あの頃の母に会いにいけるのなら、きっとこう告げるだろう
「離婚しちゃえ。その方が絶対楽になるよ」と。
そうして抱きしめて、胃に優しいコーヒーを一杯、差し出すだろう。


でも、あの頃の母はもうこの世にはいないし、わたしも時間を遡れるような力は持ち合わせていないので、今はただ追悼のような気分で薄いコーヒーを飲むことくらいしかできないのだけれど。

そして、わたしが好むのはゴールドブレンドじゃなくて、「ちょっと贅沢な珈琲店」のほうだ。


そう。わたし母はじゃない。母じゃないんだ。

だから、おいしいドリップコーヒーも飲めるし、我慢し続ける道を選ぶかどうかもわたしの選択次第なのだと知っているのだ。


薄いコーヒーに、追加の粉を入れた。
作ってくれたメーカーさんの思いを無駄にするのは好きじゃない。

おいしいものを、美味しく飲むため、わたしは我慢をしないと決めた。



某所投稿落選分を少々改稿して載せてみました

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Lico.
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