挙げる手 格差 #3 ウザ絡み
何かを崇めるとき、人は「手を挙げる」
そのものを自分より高い/貴いものと認めていることをその身で示すかのように
手を、挙げる
ロックミュージシャンに拳を挙げて見せ
神に祈るためには組んだ手を額に近づけるたり合掌しつつ首を垂れることで相対的に手を挙げて見せるし
賛美するために行われるのは万歳だし、お互いに手を挙げるならハイファイブだ
それは、さながら犬の見せる「降参のポーズ」のよう
強きものに腹を見せ、前足をたたみ、顔の横に収めてしまう
ステージ上から見える無数の掲げられた手に
人は、何を見るのだろうか
その手の上に/中に
人は、何を見るのだろうか
人が手をあげる姿は樹木のそれに似ている
太陽を求め、上へ上へとその枝を伸ばす切実さと欲望はあまりにも原始的で愛おしくすらもあるのだが
太陽という存在は樹木にとってはすべてを与えてくれるものといっても過言ではない
光合成をおこなうための、光
そして熱
さらには水や呼吸をするための気体だってその影響を受けて供給されるものだからである
すべてを与えてそこにある、手の届くことのない、あまねく愛の源
その庇護の下にいることは屈服とも等しく
手が届くことがないというのは極めて強力な救いでもある
そう、相手に対して自分の影響力が及ばないことをしっかりと理解しているのであれば
「どうしようもない」「しかたない」という最終結論が許容されるようになるのだ
そして、うっかり手が届いてしまったことによる悲劇を未然に防ぐことも、できる
太陽の表面温度は約6千度
近づくことなんてそもそも不可能と判明している
脆弱な生物である我々がその存在に屈服するのは極めて妥当な判断なのだ
圧倒的だということは、決定的であるということ
そもそも彼女のいる場所までは一億五千万キロメートルの距離がある。
その「途方もなさ」を知る由もない生き物たちが何かに感づいている
それだけで、完全に、圧倒的なのだ
太陽と樹木の間には、悲劇はそうそう起こらない
(とはいえ最近の山火事等もあり、存外近しいものなのかもしれぬのだが)
しかし、圧倒的と言い切れないような差異でしかなかったのなら
悲劇は、往々にして起こり得るのだ
あの子はとても美しかった、だから
誰からも求められ、声をかけられた
あの子はいつも美しかった、けれど
誰のことも求めず、声を押し殺した
舞台にはじめて立った時、彼女は知った
ここは、恐ろしいと
たかが30センチしかもうけられていない小さな小さなステージは彼女を全く守らなかった。
求めるその手は目の前にあり
すぐに彼女を削っていった
同じ光を浴びているけど、与えるばかりを求められ
あこがれのホールで舞った時、彼女は知った
ここならば、と
1メートルあるステージならば彼らの拳は遠ざかる。
けれどもその地は遠く離れて
すでに彼女は、同列にはいられないのだ
光を受けて放つ者には光はすでに違う意味を持って浴びせられてしまうのだから
その手を、どこに向けるの?
獣の聡さすら失っている無明に問いかけても詮無いのは百も承知であったとしても
その手を、どこに?
欲望をそれと認識できない愚かさはただ光を求めることを誤認する原動力だ
その手を、どうしてしまったの?
伸ばす手を握った瞬間、指向はゆがんで回帰する
からめ捕ろうと暴れる雑音
光を穢すほどであるなら
「声をかけてもらったら自分だったらうれしいから」
「ひましてないかなー?って」
「え、興味もたれたらうれしいじゃん」
「ねーかのじょー、いまなにしてんのー?」
パチパチ
冬めいてきたら静電気
はじけばいいのに、引っ付くそれら
開戦のゴングはならない
互いの目線に互いはないのだ
さあ、その舞台によじ登るがいい
できるものなら
彼女はひらりと飛び上がり
そのまま立ち去り見えなくなった
格下の世界になんかいられるはずがないのよと
そう思いすらしない傲慢こそが資格であると
知りもしないのに、知っているから
べたべた汚い手形を付ける、それしかできない奴らの声は
みない限りは届かない
振り向かなければ、届かないのだ
「住むべきところが違ったわけね」
それは、一言で終わってしまうストーリーでしかない
手形の痕跡を長い裳裾に引きずりながら歩くあの子にはそれが、まだわからないけれど
マイクロミニの恐怖を克服できる日が来るのであれば10行で別れ話を書くだろう
それは、世にも幸せなストーリーで
泣き出しそうな夜には耐えがたい悲劇として売られてしまう宿命なのだ
飛躍の日は近い
その、痕跡を
踏んでいけ