Were Wolf BBS ShortStory_Fanatiker

「今日の処刑は、ジムゾン、お前だ」
 村長の声が私の耳にやけに響いたような気がした。
 今日の時点で村人は八人……村のパン屋オットー、その弟のペーター、農夫のヤコブ、村長のヴァルター、どこからかやってきたならず者のディーター、羊飼いのカタリナにその友人のパメラ。そして、私。
 今朝は人狼に襲われた者が何故かいなかった。村人は襲撃がなかったことに安心していて、流れとしては人狼を滅ぼせそうな雰囲気が漂っている。
「今日はジムゾンを吊ってもまだ村人たちは勝てるのか?」
 ディーターが煙草をふかしながらそう呟いた。処刑された者が狼だと見破れる霊能者は既にいない。本物の霊能者は昨日処刑してしまったからだ。そして私はそれを騙って今日まで生き延びてきた。
 私の望みは人狼を退治することではなく、人狼が村を滅ぼすことだから。
「私の見立てでは、今日私を吊ってもまだ勝てます」
「だったらいいんだけどな」
 嘘だ。
 私は誰が狼なのか全く分かっていない。そして自分が死んでも村が人狼を滅ぼせるのか、それとも人狼が村を滅ぼすことが出来るのか知るよしもない。ただ、何となくではあるが目の前にいるディーターは人間ではないだろうという予感はしていた。
 いや、予感ではない。願望だ。
 彼があの誇り高き人狼であるのならば、自分が吊られたところで何の問題もないだろう。
 ただ一つ悔いがあるというのならば……人狼に喰われたかったこと。ロープ一本に自分の命を委ねるのではなく、あの爪と牙に蹂躙されたかった。
 ただ、それだけ。

 私が初めて人狼に出会ったのは、神父になってそう時の経っていない頃……まだ冬の最中で、星が綺麗に瞬き凍るような寒い夜だった。
 近くの村に用があって出かけた帰り、私は人狼が人を喰らうところを見てしまったのだ。どういう前後があって襲われたのかは分からない。私がそこに近づいたときは、既に事切れただの肉塊と化した人であったモノと、手先と口元を血で真っ赤に染めた人狼しかいなかった。
「…………!」
 雪明かりに照らされた体毛が銀色に光り、それと対照的に私を射貫くように見つめる金色の目、雪の白さと血の赤さが私をとらえて離さない。もしかしたら自分も殺されるかも知れないなどという気は全くなかった。それどころか人狼が口にしているモノが羨ましくさえ感じた。
 あの感覚は何と表現したらいいのだろう?
 私はその一瞬で人狼に魅了されてしまったのだ。
 人狼は私を見て何も言わなかった。ただ何かを察したようにニヤッと笑い、肉塊をその場に残したままものすごいスピードで走り去った。まるで「喰われたければ追いかけて来い」と言うがごとく。
「人狼……」
 私はその場にぺたりと座り込み、人が通りがかるのを待った。小刻みに震えていたのは恐怖ではない。あれは歓喜だ。そして私は「いつか人狼に出会いたい、そしてその爪と牙に蹂躙されたい」そう思って時を過ごしてきた。表では神の教えを説き、裏では人狼に恋い焦がれる。私は神父でありながら、神よりも人狼の方に心が動いたのだ。
 だから派遣されてきたこの村で人狼の噂が出始め、ゲルトが襲われたときは何とも言えない気持ちになった。人狼に会える、もしかしたら人狼に襲われるかも知れない……言いようのない気持ちが私を支配し、気が付いたときには霊能者を騙っていた。
 私の存在がどれほど人狼の役に立ったのかは分からない。それでも良かった。人狼である誰かの盾となれるのなら、それも悪くはないかも知れない。

「何か最期に言いたいことはあるか?」
 村で一番大きな木にくくりつけられたロープに首を通した私に、村長が厳かにこう聞いた。死刑執行人にでもなった気持ちなのだろうか、その淡々とした口調が何だか酷く可笑しくてしょうがない。
「神父さんを吊っちゃうの? 僕、もう誰かが死ぬの見るのいやだよ」
 そう言って涙ぐむペーターの頭をカタリナが優しく撫でている。オットーは何か言いたそうに私を見つめ、少しだけ口を動かして目をそらした。
「仕方ないだよ……村が滅ばない為には」
 ヤコブのそれは自分に言い聞かせるようだった。毎日誰かを処刑しなければならないという現実を何とか納得させようとするように。
「神父さんごめんなさい」
 パメラは口ではそう言ったが、内心自分が処刑されないことを安心しているようにも見える。自分達が生き延びる為には同族でも殺す。馬鹿馬鹿しい、謝るぐらいなら最初からその身を差し出せばいいものを。
「ジムゾン、言いたいことがあったらとっとと言わないと後悔するぜ」
 私の後ろではディーターが木箱に足をかけていた。毎日この木箱を蹴り飛ばすのは彼の役目だ。私は目を閉じて十字を切った。
「私を吊っても何も終わりません……いえ、これからが始まりなのです」
「何の始まりだ?」
 ディーターが私に煙草を差し出した。そういえば毎日ディーターは「死刑前には煙草を吸わせてもらえるらしいぜ」と言って、皆にこうやって勧めていた。私はそれを受け取り一回だけ細く煙を吐き出した後、ディーターにそれを返した。初めて吸った煙草は大きく吸い込まなかったせいか咳き込みこそしなかったが、舌先と喉に苦く残る。
「……終わりの始まりですよ」
「なるほど」
 ディーターがニヤッと笑った。その微笑みはあの時の人狼を思い出させ何故か涙が出そうになったが、私はそれをぐっと堪えた。
「さようなら、皆さん。私に悔いがあるとするならば、人狼に襲われなかったことだけです」
「言いたいことはそれだけか?」
 そう言った村長を私は微笑みながら見つめ、一つだけ頷く。自分が言いたい言葉よりも、今はロープが首にあたる場所が痒くて仕方がない。
「…………」
 ふと空を見上げた。
 月に雲がかかってその境目が綺麗に光っている。きっとこんな夜にこそ、人狼の襲撃が似合うのだろう。今夜の犠牲者が心から羨ましくさえ感じる。
「ジムゾン、覚悟はいいか?」
「ええ。ディーター、箱は蹴らなくて結構ですよ。自分で逝けますから」
 私は木箱からそっと右足を離した。片足だけなのに予想していた以上に首が絞まり思わず躊躇いそうになったが、両足を宙に浮かすとあっという間に視界が暗くなった。
 息は苦しくない。
 ただ頭がぼんやりする。
 遠ざかる意識の中、遠くから狼の遠吠えが聞こえる。
 これは夢か、幻か。
 それとも死にゆく私の最期の願望か……。

 ガクン、と何か衝撃を感じ私の体は何者かに受け止められた。まだ視界に光りが戻らないが、音だけはやたら良く聞こえる。
「何をする、ディーター!」
「クックッ……おめでたいな、お前達は。ジムゾンを吊って人狼が一匹退治出来ると思ったのか?」
「ま、まさか……!」
 がさっ、と後ずさるような音がした。鼻先をくすぐる煙草の匂いから、私の体を受け止めたのがディーターだと言うことが分かる。その瞬間だった。
「村長さん、今日が貴方の命日だよ」
 オットーの声。
 はっきりと戻った私の視界に映ったのは、首から勢いよく血しぶきを上げ、膝から崩れ落ちる村長の姿だった。オットーは右手だけに鋭い爪を出したまま、血に染まった自分の手をぺろりと舐めこう言った。
「やっぱりあんまり美味しくないな。トーマスのようにミートパイにでもするしかなさそうだ。ねえ、ヤコブ。僕が作った村人入りのミートパイは美味しかったかい?」
 月明かりの下で凄惨に笑う魔物がそこにいた。それと同時にカタリナの悲鳴が上がる。
「ペ、ペーター……? まさか、あなた……」
「えへへっ、僕カタリナお姉ちゃんのこと大好きなんだ。だから食べてもいいよね? リーザもとっても美味しかったよ」
 腕から血を流しながらカタリナが青ざめている。走って逃げようとしたカタリナにペーターはいともたやすく追いつき、無邪気に笑って見せた。
「追いかけっこ? いいよ、僕が鬼だね。すぐ捕まったら面白くないから、ちゃんと逃げてね、カタリナお姉ちゃん」
 私はディーターの顔を見上げた。そこにはあの夜に見た金色に輝く目があり、私の方を見てニヤッと笑い、私の体をそっと地面に下ろす。
「よくやったな、ジムゾン。おかげで俺達が何もしなくても腹一杯喰えそうだ。一番の特等席で村が滅びるところを見せてやるよ」
「……はい」
 そう言うとディーターは力無く座り込んだパメラの目の前に立ちはだかる。
「嘘よ……嘘でしょ? ディーター! お願い、嘘だと言って!」
「真実は時として残酷なんだよ」
 ああ、そういえばパメラはディーターのことをやけに信頼していた。もしかしたら多少の恋心があったのかも知れない。それを裏切られた今、パメラの絶望を思うと何故か無性に背中がゾクゾクした。
 パメラなんて喰われずに、ただただ無惨に殺されてしまえばいい。
 私の中で私がこう言う。
 嫉妬は七つの大罪の一つ、だがそんなことは今やどうでも良かった。地獄に落ちることなど恐ろしくはない。パメラの肉がディーターの血肉になることの方がおぞましい。
「助けて、神父さん!!」
 パメラがディーターの脇をすり抜け私にすがりついた。
「お願い、処刑投票したことは謝るわ。だからお願い、助けて!」
 何て空虚な言葉なんだろう。
 私が人狼に助けられたから、その私に助けを求める。人間の生存本能としては当然のことかも知れないが、その言葉は私の心に何一つ響かない。
「何だよ、人狼じゃないって思ってたときは俺にすがって、俺が人狼だと分かったらジムゾンにすがるのか? 『弱き者よ、汝の名は女なり』ってのは何だったか……ダメだな、忘れちまった」
 ディーターが喉の奥で笑いながらゆっくりとこっちに近づく。
「それはシェークスピアのハムレット、第五幕の台詞です」
「そうだったか?」
「ええ、そうですよ。弱き者よ、汝の名は女なり……パメラ、今の貴女にふさわしい言葉ですね」
 私はパメラから体を離した。パメラの瞳に無表情の私が映る。
 そして私は邪魔な物をどけるかのように、その体を強く突き飛ばした。
「貴女なんて喰われず無惨に殺されてしまえばいい、極限まで屈辱と苦痛を味わって無惨な屍を晒せばいい。これは貴女達が招いた結末ですよ……処刑される前に言ったでしょう? 『終わりの始まり』だと」
 アハハハハハ……そう言った途端に私は高笑いをした。可笑しい、笑いが止まらない。夜空に私の笑い声が、まるで遠吠えのように高く響き渡る。
 私に突き飛ばされたパメラの体をディーターが後ろから羽交い締めにした。パメラは私の言葉が理解出来ないかのように、こう呟いた。
「狂ってる……狂ってるわ!」
「当たり前だろ? 人狼に協力する奴がまともな神経してるわけねぇ……ジムゾン、俺にパメラを喰うなって言うのか?」
「貴方だけにはパメラを食べて欲しくない。その爪と牙で殺される価値もない」
「分かった。じゃ、お望みのままに」
 必死に抵抗するパメラを掴んだまま、ディーターはそれを引きずっていく。
「見てろよ狂人! 俺達人狼が踊る様を!」
 パメラの長い悲鳴が、狂宴の始まりを高らかに告げた。

「オットーさん。オラ、あんたのこと信じてたのに……」
 ヤコブは鍬を構えながらオットーと対峙していた。オットーは距離を詰めるわけでもなく、冷ややかにヤコブを見つめている。
「ヤコブ、僕にとって信頼なんかどうでもいいんだ。信頼されてるから見逃す……そんな事は絶対しない。本能が囁くんだ。人を喰らえと」
 そう言いながらオットーは人狼の姿に変わっていった。闇夜に金色の目が美しく光る。
「トーマスやリーザを襲ったのも……」
「そう、僕たちだ。今までペーターと二人で満足に狩りも出来なかったけど、ディーターが全て教えてくれたよ。ゲルトとモーリッツは僕達の狩りの練習だった。本格的に食べ始めたのはトーマスからだったけど、肉が堅くてあまり美味しくなかったから、ミートパイにして食べさせた。皆喜んで食べてくれたよね。もちろんヤコブ、君も」
 オットーが皆にミートパイを持ってきたときのことはよく覚えている。出来たてのそれはとても美味しく、作ったオットーも何だか嬉しそうだった。人狼騒ぎなどまるでなかったかのように、それを食べているときだけは皆が和んでいた。その時のことをヤコブも思い出したのか、喉の奥からこみあげるものを我慢するかのように口に手をやっている。
「リーザは美味しかったんだけど食べるところが少なかった。今朝はディーターがわざと狩りをしないように指示した。だから僕は今とても飢えているんだ。ヤコブ、君はとても美味しそうだね」
「うわあぁぁ!」
 隙をついて繰り出したヤコブの鋤をオットーは左手だけでいとも簡単に掴み止めた。そしてそれを自分の方に引き寄せると、思わぬ動きにヤコブの体は前のめりに倒れる。
「僕に変な趣味はないから一瞬で楽にしてあげるよ。ヤコブのことは僕も信頼していたし、好きだったよ……さよなら」
「オットーさん……」
 ヤコブが最期に見たのは何だったのだろう。
 真っ赤に染まる白いシャツと対照的に、目を閉じたその顔は何故か妙に安らかに見えた。

「カタリナお姉ちゃん、僕また十まで数えるからちゃんと逃げてね」
 命がけの追いかけっこは何度続いていたのだろう。かぶっていたフードは脱げ、着ている服もボロボロになっている。体中噛み傷だらけで、かなり疲労しているのだろう。カタリナは大きく肩で息をしていた。
「ペーター君……もうやめ……て……」
 ペーターは耳だけ獣のそれにしたまま、不服そうな顔をした。
「えーっ、まだ遊び足りないよ。つまんない」
「どうして……どうして人を殺すのに、笑っていられるの? さっきの涙は嘘だったの? 他の皆に悪いと思わないの?」
 涙を必死に手で拭いながらカタリナはペーターを睨み付けた。だが、ペーター自身はその問いの意味が分かっていないかのように、キョトンと首をかしげる。
「さっき泣きそうになったのは本当だよ。だって神父さんのおかげで僕たち隠れていられたんだもん」
「だったらどうして」
「どうして? だってカタリナお姉ちゃんだって、羊とか殺して食べるよね。その度に羊に『ごめんなさい』って言ってるの? 『ごめんなさい』って言わなきゃだめなの?」
「それとこれとは……」
 カタリナの言葉をペーターが遮る。
「同じだよ。みんな生きてたって言うんなら、野菜だってお花だって生きてるよ。そういえばカタリナお姉ちゃん、僕と一緒にみんなのお墓に供えるお花摘みに行ったよね。でもお花に『ごめんなさい』って謝ってなかったよ、そんなの変だよ」
 何て子供らしく無邪気で残酷な言葉なのだろう。
 ペーターの言う通り、生きている物は何らかの形で別の生き物の命によって生きている。人間が食べ物を摂取するように、人狼は人を摂取して生きる……ペーターは幼いながらもその真実を知っているのだ。
「それに、美味しい物を食べるときは笑っちゃうから仕方ないよね」
 カタリナに向かってペーターがにっこりと笑う。
「じゃ、また数えるからね。いーち、にー……」
 しゃがみ込んで両手で目をふさいだペーターを見て、カタリナは私の方に走って逃げようとした。だが、出血の多さと傷の痛みのせいで私の目の前で崩れ落ちるように倒れ、右手だけで私に助けを求める。
「神様……何が間違っていたのですか?」
 私はカタリナを見下ろした。
「何も間違っていませんよ。これは貴女達が招いた結末です……悔いるなら、自らの選択を悔いなさい」
 カタリナは何か言いたげな顔をしたが、その表情のまま力尽きた。おそらく私への問いがカタリナにとって命の限界だったのだろう。背中には肉食獣の爪と牙で刻まれた傷が数え切れないほどあった。
「……きゅーう、じゅう! もういいかーい?」
 くるりと振り向いたペーターと目が合った。私がふっと微笑むと、ペーターもにっこりと笑顔を返す。
「カタリナはもう遊べないそうですよ」
「えーっ、つまんない。でもいいや、ちょうどおなかもすいてきちゃったからご飯にしようっと」
 ペーターはカタリナの側まで嬉しそうに走ってきた後、ちゃんと両手を組んで祈りを捧げた。
「神様、今日のご飯を与えてくれてありがとうございます」

 ディーターは片手にナイフを持ちながら、パメラを地面に押さえつけていた。パメラの白い足が宙をもがくようにバタバタしているのが見える。
「チッ、ナイフより爪の方が楽なんだがな……面倒な注文しやがって」
 パメラの声は聞こえなかった。ただヒューヒューという呼吸音だけが風に乗って聞こえる。
「なあ、パメラ。俺はこんな風に生まれついちまったからいつでも死ぬ覚悟は出来てるんだが、人間って奴は自分の死は別物なのか?」
 答えが返ってくることのない言葉を、ディーターは誰に問いかけるでもなく淡々と吐き出している。
「俺はいつでも『死の舞踏(ダンス・マカーブル)』を意識して生きてるんだ。ジムゾンならその辺分かってるか、神父なんだしな」
 ディーターが私を見た。
 死の舞踏。墓石に刻まれた骸骨が教訓を与える……「今の汝はかつての我」と。
 人はいつでも死の影を背中に生きているのだと。
 私はそれに関する絵を神学校時代に見たことがある。骸骨と踊る生者の絵。どうして今まで忘れていたのだろう。私も死に焦がれながら、自分の隣にある死を忘れていたのだ。
「今の汝は……かつての我……」
 私はうわごとのように呟く。今死にゆくパメラの姿は、少し前に処刑されようとしていた私の姿でもあるのだ。
「……やっぱ説教の真似事なんてするもんじゃないな。ペーター、ちょっといいか?」
 その言葉に、手も口の周りも真っ赤にしたペーターが振り返った。
「なぁに? ディーター兄ちゃん」
「これ、お前とオットーにやる」
 どさっという音と共に、パメラの体がペーターの方に放り投げられた。まだ事切れていないのだろう……パメラは何かにすがるように宙に手を伸ばす。
「いいの? ディーター兄ちゃんおなかすかない?」
「俺にはメインディッシュがあるからな。それに人間だったら嫌って程喰ってる……オットーとペーターは俺が来るまでろくなもの喰ってなかったんだろ? 喰えるときに喰っておけ」
 そう言ってディーターはペーターの頭をポンポンと撫でた。ペーターは珍しいお菓子を目の前にしたかのように嬉しそうに頷く。
「ありがとーっ、オットー兄ちゃんと仲良く分けるね」
「そうしてくれ」
 ザクザクと乾いた土を踏む音をさせながら、ディーターは私の前に立った。そしてまたニヤッと笑う。
「これで充分か?」
「ええ……もう、充分です」
 私は一体どんな顔をしていたのだろう。
 人狼の狩りを間近で見られただけで私は充分だった。
 心の中は妙に穏やかな気持ちで、思わず天を仰いで月を見る。
 ああ……なんて鮮やかな月の光なのだろう。私にもう心残りはなかった。後は最期の頼みを聞いてもらうだけだ。
 ディーターが煙草に火をつけ、金色に光る目で私を見つめた。
「最期の望みは?」
「分かっているくせに、聞くんですね……」
「当たり前だ。お前の口から言わせなきゃ意味ねぇよ」
 ゾクッ、と背中に寒気が走る。
 そうだ。この一瞬の為に私は生きていたのだ。
 目を閉じる……自分が食べられることを想像する。きっとディーターもオットー達も私のことなどすぐに忘れてしまうだろう。だけどそれでいい。誰かの中で生きていけるのだから、何を悲しむことがあるのだろうか。
 私は喘ぐように言葉を吐いた。
「私を……喰らってください、何もこの世に残さないぐらい。それが私の望みです」
「その言葉に偽りは?」
「ありません」
 ゆるゆると首を振った私をディーターがひょいと抱き上げた。ディーターの吐息が耳元から首元にかかり、私は思わず首をすくめてしまう。
「骨の一欠片も残さず喰ってやるよ。一番お前にふさわしい場所でな」

 私に一番ふさわしい場所……それは礼拝堂の一番前だった。
 神を裏切った背徳の神父である私にとって、その目の前で見下ろされながら自らの罪と共に喰われることは確かにふさわしいかも知れない。
 私は首にかけていたロザリオを外し聖書の上に置いた。もう私には必要ない。私に必要なのは……目の前で自分に惨劇を与えてくれるディーターだけだ。
「ディーター……貴方が人狼で良かった」
「誰が人狼でも喰われる気だったのに?」
 ディーターが皮肉っぽく笑う。私もそれに微笑みかえす。
「ええ……でも、やっぱり貴方で良かった。一番この人が人狼であればいい、その為なら盾になるのも悪くない……そう思っていたのがディーター、貴方だったんです」
 目を閉じる。
 先ほどまでの惨劇と恩讐が嘘のように静かだ。
 今ここには私とディーターだけで、ステンドグラスから差し込む月明かりがお互いの影を長く映しているのだろう。
 そして私は人狼に喰われ、床に残った血の痕まで残らずにこの世から消えてしまうのだ。
「…………」
 ディーターが私の体を抱きしめた。お互いの体温と鼓動だけが静かな空間を支配する。
「どうやって喰って欲しい?」
「……貴方の、お好きなように」
「後悔するなよ」
「しません……ディーターこそ私に情けなどかけないでください。私は人狼に喰われることが望みだったのですから、ここで残されるのは死ぬより辛いです」
「しねぇよ。情けをかけるぐらいなら、あの時わざわざ助けなかった」
 私はディーターの肩に頭を預けたままそっと呟く。
「自惚れてもいいんですか?」
「お好きなように」

 最期に見たのはディーターの肩越しに見える月の光と、血に染まった自分の左手。
 感じていたのは、痛みよりももっと別の感覚。
 
 ……私は、いま、幸せだ。

fin

次の話 Nachtmahr

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