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Were Wolf BBS ShortStory _満ち潮の夜

 蒼い月が光る夜だった。
「お願いです、やめて下さい!」
 村の高台にある一本の木に吊り下げられた縄……。
 海の側にあるこの村に人狼の噂が出始めたのは、ほんの数日前のことだった。村の宿に人が集められた時に「人狼なんているわけない」と笑い飛ばした楽天家のゲルトが殺され、その日から村では人狼と疑わしき者を投票によって処刑するという日が続いていた。
「お願いです、ディーターは人狼じゃないんです!」
 その夜処刑投票に選ばれたのは、教会に住み着いていたディーターという名の男だった。
 神父であるジムゾンはディーターの処刑に強く反対していた。ジムゾンは人狼騒ぎが出始めた当初から神から人狼を見分けられる力を授かっていると村人達に宣言していて、その日「ディーターは人狼ではない」という神託を受けていたのだ。だが、同じように人狼を見つける占いが出来ると宣言していたニコラスという旅人は、ジムゾンに対抗しこう言った。
「残念ながらディーターは人狼だ」
 人狼か人間か、疑わしき者を残している余裕はこの村にはない。
 処刑投票の結果を見たディーターは、半ば諦めたように笑って溜息をつく。
「仕方ない。これもある意味運命だ」
「そんな事言わないで下さい! どうして人間である貴方が処刑されなければならないんです!」
 こんなに冷静さを失ったジムゾンを村人達は初めて見た。半狂乱で目に涙を溜め、処刑台に向かおうとするディーターにすがりつく。
「ディーター……お願いです、ディーターは人間なんです! 生きることを諦めないで下さい!」
 そんなジムゾンの頭に、ディーターが手を乗せた。そしてジムゾンの耳に小さく呟く。
「……大丈夫。いつかちゃんと戻って来るさ」
「ディーター!」

 追いすがる肩を誰かが掴む。それを引き剥がそうとしているのに、誰かの指が腕に食い込む。喉が渇いて上手く声が出ない。
 ディーターがいつものように少しだけ笑い、後ろ手で別れを告げ……。
「じゃあな」
 嫌だ。
 嫌だ嫌だ嫌だ!
 月が眩しい。私以外誰もディーターを信じなかった。誰も、何者も……。

 絶叫……!


 その村の印象を一言で言うと「妙な村」だった。
 海の側なのに活気がない。
 何か時間が止まってしまったように空気が淀んでいる。まるで村自体が死んでしまったかのように。
「…………」
 村の中で目立っているのは高台に生えている一本の大きな木だった。そこから見下ろすと、鉛色の荒れた海が見える。離れた場所から見える様子から、この村があまり豊かそうではないことがうかがえた。
 少し前に国境沿いであった戦争で負傷し、除隊したが行くところもなかったので海沿いを歩いていれば少しは活気のある場所に出ると思ったのだが、どうやら当てが外れたらしい。溜息をつきつつも何処か雨風をしのげる場所を探そうと思ったときだった。
「何者だ?」
 不意にかけられた声。俺は包帯で隠れている左目を庇いながら振り返る。
 俺に声を掛けたのは体格の良い男だった。腰に大きめの手斧を下げているのを見ると木こりか木工に関わる何かなのだろう。
 そして、その男の側には虚ろな目をした細身の男が立っていた。
 兄弟と言うにはあまりにも似ていない。着ている服と首から下げているロザリオからすると多分神父なのではないかと思うのだが、全く俺の方を見ずに口元でぶつぶつと小さく何かを呟いている。
 そんな二人に違和感を覚えつつ、俺は自分の事を話した。
「俺はシモンっていうんだ。この前の戦争で負傷してな。取りあえず、何処か泊まれる場所を教えて欲しいんだが」
 俺がそう言うのと同時に、海からの強い風が木を揺らした。その瞬間。
「あああぁぁーっ!」
 今まで小さく何かを呟いていた男が突然叫び声を上げた。そして木に向かって走り出す。
「降ろして下さい! ディーターが、このままじゃディーターが死んでしまいます!」
「神父さん、ディーターはいないんだ」
 何が起こったのか分からなかった。
 神父と呼ばれた男は、ずっと木の上を見上げながら、指先に血がにじむほど幹にすがりつき、もう一人の男はそれを止めようとしている。理由は分からないが、ただごとではない何かを感じ俺は木を掴もうとしている神父の手を止めようとした。
「おい!」
「邪魔しないで下さい!」
 だが、その力は強く、足にもケガをしていて杖をついている俺では上手く止められない。風は海から一層強く吹き、潮の香りを運んでくる。
「神父さん。ディーターは死んだんだ」
 それが聞こえた瞬間、神父が射抜くような視線で男を見た。
「死んだ? 貴方が殺したんですよ……あははははは」
 後に続く甲高い笑い声が、風に乗って何処かへ消える……。

 男の名はトーマス、神父の名はジムゾンと言った。
 しばらくこの村で宿を借りたいと申し出たのだが、村に一軒しかない宿屋は今は営業していないらしい。
「じゃあ、何処か泊まれるところはないか?」
 ひとしきり笑い疲れたからなのか、また虚ろな目に戻ったジムゾンを気遣いつつ歩いていると、トーマスが教会を指さす。
「泊まりたいなら、教会に泊まればいい」
「ちょっと待ってくれ。この、気の触れた神父とか?」
「それが嫌なら野宿でもするといい。とにかく、この村で宿を探すなら教会しかないんだ」
「………」
 選択肢はないようだ。まだケガも治っていないし、とにかく体を休めたい。まあよそ者に対して無愛想なのはよくあることだ。しかも戦争帰りなのだから、警戒されるのは仕方がない。
 幸い教会にはもう一人先客がいた。アルビンという名の行商人で、二日ほど前にこの村に来たらしい。
「神父様、お帰りなさい。お客様ですか?」
 アルビンはトーマスが帰った後俺にお茶を出し、ジムゾンを椅子に座らせて慣れた様子で膝に毛布を掛けた。ジムゾンが虚ろな目をしたまま何事か呟いていても、全く動じない。
「びっくりしたでしょう? たった一軒の宿が潰れてしまって、私のような旅人達で順番にお世話をしているんです」
「あ、ああ」
 その様子に俺は驚きながらもお茶に手を伸ばした。温かい飲み物が久しぶりで、やっと人心地ついたような気がする。
「アルビンって言ったか? あんた、何か知ってるみたいだな」
 この村は何かが変だ。俺の勘がそう告げる。
 するとアルビンは少し目を伏せ、小さく溜息をついた。
「ええ。この村は、少し前に人狼が出たんです。神父様がこうなってしまったのは、それからなんです」
 人狼……。
 その噂は聞いたことがある。人に紛れ、夜になると正体を現して人を喰らう化け物。
 お茶を一口飲んだアルビンは、チラとジムゾンに気の毒そうな目を向けた。
「神父様は、ある人が処刑されたときに、自分の心を殺してしまったんです」
「それはディーターって奴か?」
 俺は、少し前に聞いた名前を小さな声で言った。その名をジムゾンに聞かれたら、また狂乱するのではないかと思ったからだ。
「ええ、そうです」
 アルビンは小さく頷くと、その顛末を話し始めた。
 ディーターという男は、この教会に住み着いていた奴だったらしい。教会の手伝いをしたりしていたようだが、詳しいことはアルビンも知らないという。
「でも、ディーターさんは神父様と仲が良かったんです。お互いよそから来た者同士だと言って、私がここに来るときにも良くしてくれました」
 人狼騒ぎが起こったとき、ジムゾンは人狼を見つけられるという力でディーターが人狼ではないと証明した。だが、もう一人がディーターを人狼だと言い、それで処刑されたのだという。
「で、そのディーターは本当に人狼だったのか?」
 ゆるゆると、アルビンの首が横に振られる。
「分かりません。何故ならその日、処刑された者が人狼か人間かを見分けられる霊能者が人狼に襲われてしまったからです。だから、ディーターさんが人間かどうかは……」
 その時だった。
「ディーターは人狼ではありません」
 はっきりと、ジムゾンが俺を見てこう言った。その目があまりにも真っ直ぐ過ぎて、目を逸らせない。
「だから、ディーターは人間なんです」
「ああ、そうだな」
 俺にはそうとしか言えなかった。

 次の日、アルビンはまた別の街へ行商に旅立って行った。
「馬車がありますからよろしければ一緒に行きませんか? シモンさん一人ぐらいなら乗せられますよ」
 どうしてその申し出を断ったのか分からない。足をケガしている身に、馬車はありがたいはずなのに。
 ただ、ここにジムゾンを一人残していくのが忍びなかった。
 気が触れた奴なんか戦場でたくさん見た。人を殺すのに疲れた奴、自分が死ぬ恐怖に耐えられなくなった奴。ジムゾンがこうなってしまったのは、そのディーターって奴が自分の存在を壊してでも守りたかったからなのだろう。それに関して、俺が妙な勘繰りをするのは筋違いだ。
 ジムゾンの世話は簡単だった。
 トーマスが持ってくる食事を食べさせ、天気が良かったら辺りを散歩させる。幸いジムゾンは自分のことはある程度自分で出来るようなので、かえってケガ人の俺の方が手を煩わせるぐらいだった。
「あんたが来てから、神父さんは落ち着いてるようだな」
 トーマスにそう言われたのは、ここに来て五日ぐらい経ってからのことだった。
「意思の疎通は出来てるか謎だが」
 夕食の鍋を受け取った俺は、皿を出し二人分の盛りつけをする。足と目が不自由なのにも、教会の中なら慣れてきた。
「それでもいいさ。妙なことを言われるよりは」
「…………」
 それでもいい。
 ジムゾンをここまで追い込んだ本人が、そう言っている。皮肉の一つも言ってやればトーマスは怒るだろうか。そんな考えが鎌首をもたげる。
 だが、それはジムゾンに遮られた。
「聞いて下さい、シモンさん。次の満月は特別な日なんですよ」
「は?」
 そういえば、そろそろ満月か。
 ジムゾンはニコニコと笑っていたかと思うと、一瞬だけ真剣な表情をした。
「もうすぐ、ディーターが帰ってくるんです。ふふっ……あははっ、あはははははは……」

 その夜、俺は妙な夢を見た。
 あの海が見える高台でジムゾンが白い服を着て踊っている。
 ジムゾン一人だけしかいないのに、足下には二人分の影が映っていた。
 ……時間が戻る。
 やがて何も見えていなかった空間に、徐々に輪郭が映り始める……。

 俺は、ジムゾンの言葉を全く信じていなかった。
 死んだ奴が帰ってくると言う妄想は良くあることだ。ディーターが死んだことを受け入れられず、生きていると信じていたいのなら仕方がない。
 だがあの言葉を聞いたトーマスは、まるで死人のような顔色をしたまま帰っていった。
 そうしているうちに日は進み、月はどんどん満ちてくる。
「本当にディーターってのが戻ってくるといいのにな」
 そうしたら正気のジムゾンと話が出来るのだろうか。ディーターって奴は、一体どんな男なのだろうか。思わずそんな事を呟くとジムゾンがお茶を差し出したまま、じっと俺を見つめた。
「どうした?」
「月が満ちる前に、貴方はこの村を出た方がいい」
「………?」
 本当に、これが狂気に囚われている者の言葉だろうか。そう思うほどはっきりとした言葉だったので、俺は思わず聞き返す。
「おい、何が起こるんだ? ジムゾン?」
 だがその頃には虚ろにどこも見ていない瞳で、ジムゾンはまた狂気の縁へ戻っていく。

 妙な夢は続いていた。
 何かを掘る音が聞こえているのに、体が重くて起きられない。なのに、それがジムゾンがやっている音だと俺は分かっているのだ。
 ジムゾンが墓を掘っている。
 何かを掘り返しているのか。それとも何かを埋めているのか。
 満ちてきた月に、潮騒が鳴り響く……。

「シモン、ちょっと来てくれないか?」
 トーマスに呼び出されたのは、満月の日の夕方だった。結局俺は村を出ずに、ずっとここに居続けてしまった。満月だと気付いたのも、夕暮れの空に月が昇り始めたのを見たからだ。
 杖を頼りになんとか宿屋だったらしき場所まで歩いていくと、そこには俺が会ったことのない村人達が険しい表情で集まっていた。
「何の集まりだ?」
 重い空気。固まったような沈黙。
 そこでトーマスに聞かされた話は、とんでもないものだった。
「神父を、処刑しようと思う」
「嘘だろう? 何言ってるんだ?」
 全く理解が出来なかった。
 ディーターが帰ってくる。そう言ったジムゾンの言葉に村人達は不安を感じ、月が昇りきる前に殺そうと言っているのだ。
 ひそひそと話している小さな声。
「夜に出歩いて、あの処刑の木の前で踊っていたのを見たの」
「墓を掘り返していたのも、きっと神父様だ」
 あれは夢じゃなかったのか?
「本当に神父様が占い師だったのなら、死者を呼び覚ますぐらいするかも知れない」
「そうしたら、ディーターはきっと処刑をした私達に復讐しに来る」
 ……狂ってる。
 ジムゾンの狂気が伝染したかのように虚ろな目をして囁き合っている村人に、俺は思いとどまるよう声を掛けた。ジムゾンを殺して一体何になるのか。それで罪の呵責が消えるのか。
「待て、ジムゾンを殺して何が収まるんだ? ジムゾンの心を殺したのはあんた達だろう?」
「よそ者に何が分かる」
 トーマスが俺を睨む。
「この村の事情なんか分からんさ。ただ、ジムゾンを処刑しようなんてのは間違ってることだけは分かってる……狂っているのはジムゾンじゃなくて、あんた達だ」
 そう言うと、俺の首筋にトーマスの手斧が突きつけられた。片目が見えない敗残兵など簡単に殺せるという事なのだろう。たとえ武器があったところで、足も使えないのだから全く勝ち目がない。
「…………」
「神父と一緒に殺されたくなければ、何も見なかったことにしてこの村を去れ」

 村の高台に行くと、ジムゾンが夢で見た姿のように白い服を着て立っていた。
「ジムゾン、逃げろ。ここにいたら殺される」
 だが、ジムゾンは差し出した俺の手をすり抜けるように離れ、何かを片手に抱えたまま笑っている。
「大丈夫ですよ。私達は死にません」
「ジムゾン?」
「それより、どうしてこの村を出なかったんですか? 今日は満月なのに……言いましたよね。月が満ちるまでにこの村を出た方がいいって」
 本当に、ジムゾンは気が触れているのだろうか。
 もしかしたら、おかしいのは俺の方なのではないだろうか。
「今日は月蝕です。月の光が完全に甦るまでは、この高台から絶対降りてこないで下さい。これが最後の忠告です。いいですね?」
「ジムゾン……」
 どうして俺にそんな事を言うのか。
 それを問いたかったが、喉が渇いて声が出ない。ジムゾンの背中が遠ざかる。
「どう、して……」
 絞り出すようにやっと出した言葉に、ジムゾンが振り返って笑った。
「貴方は、ディーターを殺していないからですよ」


 波の音が響く。
 ジムゾンは海に膝まで浸かって、頬ずりするように何かを両手に抱えていた。
「ふふっ、皆さんお揃いでどうしたんです?」
 空には月が昇っていた。その光の下、ジムゾンが村人に向かって聖母のように笑う。
「神父さん、あんたにはすまないが……」
「私を殺しに来たんでしょう? ディーターの時のように」
 村人は手に思い思いの武器を持っていた。狂気に囚われた目が、ジムゾン一人に向けられる。
 海にいるのならこのまま無理矢理沈めてしまってもいい。いっそその方が後腐れがない。アルビンがまた来たとしても、誤って海に落ちたと言えば済む。
「あははははは……私達は殺されませんよ。次に死ぬのは貴方達です」
 村人達は気付いていなかった。
 自分達の頭上に昇っている月が、少しずつ欠けているということに。

 シモンは高台から全てを見つめていた。
 ジムゾンは月蝕と言ったが、これは月蝕なんかじゃない。月蝕なら月の輪郭が天に残るはずだ。
 月が全て影に飲み込まれ辺りが闇に閉ざされたのに、どうして自分の目には海で起こっている事が見えているのか。
『私達は死にません……』
 私達。
 ジムゾンはあの時一人だったのに。
 ざわ……ざわざわ……。
 海から、何かおぞましいものがやって来る気配。闇に響く悲鳴。潮風に乗って流れてくる、吐き気がしそうなほど強い血の臭い。
「ふふっ……あはははははっ!」
 海の中にいるジムゾンの白い服だけが、目に眩しい。
 今までで一番楽しそうな笑い声。
「あれは、何だ?」
 海からざわりと起きあがる何か。アレが、ディーターだというのか?
「………」
 だが、一つだけシモンは気付いていた。
 ジムゾンが大事そうに持っていたもの。薄暗かったせいで何か分からなかったが、どうしてすぐ気付かなかったのか。
 戦場で見慣れていたせいでそれが異常なものだと分からなかった。
 まとわりつくように残っていた赤い髪。あれは、ジムゾンが持っていたのは人の頭蓋骨じゃないか。
「一番狂っていたのは、もしかして俺なのか?」
 波の音が大きく響き渡る中、シモンは熱に浮かされたように杖をつきながら海の方へと降りていった。

 月明かりが戻ってきたのと同時に波の音は静かになっていた。
「お帰りなさい、ディーター」
 海の闇に向かい、ジムゾンがうっとりと何かを話しかけ、シモンに向かって振り返る。
「月の光が完全に甦るまで、高台から降りて来ちゃいけないって言いましたよね」
 足を引きずりながら高台から降りたシモンが見たのは、波打ち際で洗われている人であったモノと、腰まで海に浸かったまま頬笑むジムゾン。
 そして。
「でも、もう全て終わったからいいでしょう。紹介しますね、ディーターですよ」

『……ただいま』

 前日譚 約束の海
 後日談 波の行く先

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