Were Wolf BBS ShortStory _うそつき
「ねえ、神父様はどうして神父様になろうと思ったの?」
教会の一室でジムゾンに読み書きを習っていた少女のリーザが急にこんな事を聞いてきた。一緒にいるリーザより少し年上の少年ペーターもその質問に書取りをしていた手を止める。
ジムゾンはパラパラと読んでいた聖書を閉じ、かけている眼鏡を人差し指で直しながら笑った。
「聞きたいか?」
「うん、聞いてみたい」
リーザが机の下で足をブラブラさせる。
外は良い天気だ。こんな日は早めに勉強を中断して外に出たりするのがいいのかも知れない。おそらくリーザもそう思ってこんな質問を自分にしたのだろう。
ジムゾンは少し考えるような仕草をした後、何処か遠くを見るように話しをし始めた。
「……実は私は人殺しで、今までたくさんの人を殺してきたんだ。だが思う所があって、それを悔い改めるために神父になった……この聖書の中にはその時に使っていた銃が隠してある。こんな風にパン! と」
ジムゾンがそう言って指で銃を撃つ構えを取ると、リーザとペーターは一瞬ビクッとした。ジムゾンは更に言葉を続ける。
「さて、私の秘密を聞いてしまったからには、二人とも生かしてはおけないな」
「えっ、僕たち殺されちゃうの?」
「そうだな、銃を使うと銃声で気づかれるから、どうやって片付けようか」
ジムゾンがスッと音も出さず立ち上がり、リーザ達の目をじっと見る。三人の間に緊張感が走る。
その瞬間だった。部屋のドアが開き、ジムゾンの後ろから爽やかな風が入ってきた。そしてそこに立っていた人物がジムゾンの頭をコンと叩く。
「まーたお前は嘘ばかりついて。見ろ、リーザ達怯えちまってるだろ」
赤い髪、目の所にある目立つ傷……ドアを開けたのは村に住み着いているならず者のディーターだった。緊張しきったリーザとペーターをを見てジムゾンがクスクスと笑う。
「えっ? 嘘なの、神父様」
「当たり前だろう。ほら、見てごらん。聖書にだって何も隠れていない」
パラパラとめくった聖書はどのページも普通の本だった。それを見たリーザがぷうっと頬をふくらませる。
「神父様のうそつき。神父様すごい怖い顔したから本当かと思っちゃった。嘘ついてばかりいると狼少年になっちゃうんだよ」
「そうか、じゃあこれから嘘はつかないようにしよう。ところでディーター、何の用だ?」
振り向いたジムゾンにディーターはふっと笑った。
「告解をしに。教会に昼寝しに来る奴がいると思うか?」
「お前だったらそれもあり得るな」
そう言いながらもジムゾンは机にあった物を片づけ始めた。聖書もきちんと小脇に抱える。
「リーザ、ペーター、今日の勉強はここまでだ。こんな天気が良いのだから、外で遊んでおいで。続きは明日な」
「はーい。じゃあね、神父様」
ペーターとリーザが荷物を片づけ、お揃いの手提げバッグを持ったまま走って帰るのを見送ると、ディーターとジムゾンは急に真面目な顔をしてお互い椅子に座った。
「……ジムゾン、嘘ぐらい上手につけ。誰にでもほいほいと真実を教える奴があるか」
ジムゾンは聖書を机の上に置き、眼鏡を外して布で拭きながら無表情でそれを聞いている。そして眼鏡をかけ一言こう呟いた。
「私は嘘が嫌いだ」
ジムゾンが過去にどんなことをしてきたのかを知っているのはディーターだけだ。ジムゾンは、本当に命令があれば慈悲もなく人を殺す事の出来る殺人者だった。
だが、ジムゾンはある日急に人を殺すことをやめた。かといって命令を与えていた者に楯突くわけでもなく、そのまま何も言わず神学校に入ってしまった。ディーターはその真意を調べるためにジムゾンにつけられた密偵みたいなものだ。
ただジムゾンは自分の後をついてくるディーターを排除しなかった。本当に今までの行いを悔い改めたからなのか、それとも気まぐれなのかは分からない。文句を言いつつもつかず離れずの関係が続いている。お互いの秘密はお互いしか知らない。
ディーターは煙草に火を付けた。そこにジムゾンはスッと灰皿を出し出す。その動きはあうんの呼吸のように無駄がない。
「正直なのはいい。でも過去を知られたら困るのはお前だろ」
「別に。あんな事を言ってもどうせ誰も信じん」
机の上に置かれたディーターの煙草入れから、ジムゾンは一本煙草を勝手に取り出し火を付けた。そして細く長く煙を吐き出す。
「告解とはどういう風の吹き回しだ? それともそれは体のいい人払いの理由か?」
「確かに告解じゃないが、お前の耳には入れといた方がいいと思ってな……この村に、どうやら人狼がいるらしい」
人狼、と言う言葉にジムゾンの手が止まる。ディーターはもう一度煙草を吸い、まだ長いそれを灰皿に押しつけた。
「まだ村に被害は出てないが、今日の夜から村人皆を宿屋に集めて会議をするってよ。信じ難いが一応念のためにってやつだ」
近代化の波がやってきているとは言え、まだここのような田舎では人狼伝説が信じられていることも多い。そして実際にそのような魔物がいることもジムゾンは知っていた。その人狼が何故こんな辺境の村に……そして何故そのことをディーターが自分に告げに? ジムゾンはいつも持っている聖書を自分の元に引き寄せる。
「私にどうしろと?」
「もし本当に人狼がいるなら、俺が会議のまとめ役に立つ。お前は人狼に俺の相方だと悟られないように振る舞って欲しい」
その言葉にジムゾンは眉間にしわを寄せ険しい表情をした。矢面に立つということは、ある意味人狼の襲撃の的になるということだ。そんな事は危ない橋を渡っていた自分達ならよく知っている。一番殺されやすい位置にわざわざ行くなど正気の沙汰とも思えない。
「何故矢面に立つ? 私がまとめをした方がいいのではないか?」
するとディーターがクスッと笑った。
「何、もしかして俺の心配でもしてくれてんの?」
「……下らん。私は単にお前より私の方が信頼に値すると思っただけだ。それに人狼に襲われても私なら一矢報いることも出来る」
ジムゾンはそう言うとそっぽを向いて煙草を吸い始めた。
外から子供達の笑い声が聞こえる。
風がカーテンを揺らす。
二人の間を沈黙が支配し、ディーターが不意に言葉を吐いた。
「あのさー、ジムゾン」
「何だ?」
「もし俺が死んだら、嘘でもいいから泣いてくれよな」
そう言ったディーターの表情は、何かを悟ったような微笑みだった。ジムゾンは短くなった煙草を吸った後、灰皿に力任せに押しつける。
「ろくでもない生き方しかしてねぇから、お前ぐらいしか泣いてくれる奴がいなそうでな。嘘泣きでいいから泣いてくれ」
「……私は嘘が嫌いだと、さっき言ったはずだ」
ジムゾンの目は真剣そのものだった。眼鏡越しだが鋭い視線がディーターの顔を見る。ディーターはふっと息を吐き、また煙草に火を付けた。
「じゃ、別に泣かなくてもいい。それに本当に人狼がいるなら、とっとと探し出して殺しゃいいだけの事だしな……もう一本吸うか?」
ディーターが煙草入れから勧めた煙草を、ジムゾンは一本取って胸のポケットに入れた。
人狼は本当にこの村にいた。
ゲルトが襲われた次の日から、人狼を退治するための会議と処刑は続いていた。ディーターはその中で真っ先に自分が人間である事を証明出来る相棒がいると言うことを宣言し、その会議をまとめ村を引っ張っていた。
「処刑して、残っているのは六人……これなら何とかお互い無事でいられそうだな」
幸い霊能者が生きているうちに人狼は二匹退治出来ていた。ジムゾンは占いを受けてはいないが、はっきりとした言動が人間らしく見えているのか処刑候補に挙げられるようなこともなかった。ただ、占い師候補が途中で人狼に襲われたため、残った者を人間と証明する手だてはない。あとは自分達の推理と言動で自らが人間であると言わなければならない。
ジムゾンは聖書を片手に自分が取ったメモを眺めていた。
「明日は私とディーター以外の誰かから狼を探さねばならんのか。そろそろ相方だと宣言したほうがいいか?」
そう呟いた瞬間だった。
ザワッと何かが総毛立つような感じがした。
窓の外には赤い月が昇っているのが見える。嫌な感触……まるで人を殺した後のような……。
「…………!!」
何かに弾かれたように思わず部屋の外へと飛び出す。自分に向けられた殺気ではない。それが分からなくなるほど、まだ腕は衰えてはいない。
礼拝堂に向かって走り、両開きの扉を開ける。
「…………」
そこにあったのは木箱だった。無論自分が持ってきたものではない。それは不自然に教会の前に置かれている。
自分の勘が外れているといい、ただの悪戯であればいい……ジムゾンは祈るような気持ちでその箱を開けた。
「ディーター……!」
中に入っていたのは、ジムゾンの予想通り、人狼に引き裂かれたディーターの死体だった。
自分以外に残っているのはリーザとペーター、そして羊飼いのカタリナに村長ヴァルター。
ジムゾンは黒衣に身を包み、聖書を持って宿に入った。神経質そうな瞳はいつもより鋭く、話しかけにくい程の緊張感を漂わせている。
「ディーターさんが……」
リーザやペーターは、今まで村を引っ張っていたディーターが人狼に襲われたことにショックを受けているようだった。ジムゾンは無表情のまま言葉を一言も発しない。カタリナは震える手を押さえつけるように組んでいる。
「ディーターさんの相方は誰なのかしら……」
「そうだな、誰か村を引っ張ってくれる者がいないとな」
そう言いながらマッチでパイプに火を付けるヴァルターの手元にジムゾンは思わず目が行った。いつもと違う何か。そういえば毎朝皆が集まったら最初に煙草を一服するのはディーターだった。
何かが違う……思い出せ、この違和感の正体を。ジムゾンは記憶の底を漁る。
「…………!」
ジムゾンは弾かれたように顔を上げた。ヴァルターがマッチを取りだした入れ物は、ディーターがずっと使っていた煙草入れだった。間違うはずがない。最後に教会で煙草を勧められたときに見たあの煙草入れを。
ジムゾンは誰にも聞こえないような声で呟いた。
「見つけた……」
最後の人狼を見つけた。
この者だけは絶対に生かしておく訳にはいかない。
安らかな処刑などさせてやるつもりはない。
この者だけは、自分の手で殺してやる。
「村長、お前が最後の人狼だったのだな」
聖書を持ったままジムゾンは立ち上がった。ヴァルターはそれの迫力に思わずたじろぐ。
「な、何を根拠にそんな事を」
「その煙草入れ……ずいぶん使い込まれているようだが、それを何処で手に入れた?」
「……」
ヴァルターは答えない。
ジムゾンはカタリナやリーザが自分達から離れていることを確認し、ゆっくりと言葉を吐いた。
「それは、私の良き友人であり良き相棒だったディーターが持っていたものと全く同じものだ。偶然にしてはよく出来すぎだとは思わないか?」
ヒュン、と風を切るような音がした。
「今日の神父はずいぶんお喋りだな」
ヴァルターが放った爪を、ジムゾンは聖書で受け止める。ヴァルターの姿はみるみるうちに人狼に変わり、口からは鋭い牙が覗いていた。
「こんな所でばれてしまうとは……だが、ここで全員殺せばすむことだ。弱そうな神父に女子供だ、苦労することもない。それともその聖書で何とかするか?」
「……そうだな。私にとって聖書は身を守る武器の一つだ。こんな風に」
そう言いながらジムゾンは聖書を開き、中に入っていた銃を素早い動きで構え躊躇いもなく一発撃った。至近距離で放たれたその弾は容易く右肩を貫通し、辺りに血が飛び散る。
ヴァルターは肩を押さえ狼狽しながら、無表情なままのジムゾンの顔を見た。
「なっ、貴様……」
「次は左肩」
ジムゾンは淡々と言葉を吐きながら正確に銃を撃つ。
それは殺すことに何の感情も持たない、ある意味人狼より冷酷な存在だった。生きるための狩りではなく、自分の感情をぶつけるためだけにジムゾンは顔や眼鏡にかえり血が付くことも気にせず銃を撃ち続ける。
「そして右足……どうだ? 私の銃の腕前は。正確だろう? そうだ、動かれると厄介だからな、左足も潰しておくか」
「ぐわあぁぁっ!」
両手両足を撃たれたヴァルターは、床に崩れ落ちた。それを見下ろしながらジムゾンは銃を構えたままこう言った。
「一つ問う。お前は何故ディーターの遺体を教会の前に置いた?」
クックッ……と喉の奥で笑う声が聞こえる。
ヴァルターは笑っていた。いかにも愉快というように立ち上がろうとしながら笑う。
「理由か? そうだな……私に喰われる前にあいつが貴様のことを言ってたのだ。『ジムゾンは俺のために泣いてくれる、だから死ぬ事も襲われる事も怖くない』とな。ならば、いつも冷静な貴様の泣き崩れる姿を見てみるのも一興だと思ってな」
「…………」
「だがどうだ! 貴様ときたら涙の一つも見せん……これが可笑しくないはずなかろう!」
「神父様、危ない!」
カタリナが子供達二人をかばうようにしながら叫ぶ。
銃を構えたまま立ちつくすジムゾンに、ヴァルターは最後の力を振り絞って襲いかかろうとした。だが、その瞬間二つの銃声が鳴る。
「心臓……眉間……!」
最後の人狼が倒れた後も、ジムゾンはその場に立ちつくしたままだった。
ジムゾンは柩に移したディーターの側に立っていた。柩の中にはカタリナ達が摘んだ花がたくさん入れられていて、人狼に襲われた時の傷口などを全て隠している。
「すまない、少し一人にしてくれないか」
カタリナ達はその申し出を快く承諾してくれた。教会の別の部屋で待っていると告げ、ペーター達を外に連れ出していく。
「神父様。僕、神父様が人殺しでも怖くないよ。神父様は僕たちを守ってくれたんだもん」
そう言うペーターの目線に屈み、ジムゾンはふっと笑う。
「ありがとう」
皆が礼拝堂から去り、ジムゾン一人になると耳が痛くなりそうなほどの沈黙が辺りを支配した。風の音も誰の声も聞こえない、吸い込まれるほどの静寂。
「…………」
ジムゾンはヴァルターから取り返した煙草入れを柩の中にそっと納めた。そして胸ポケットに入れていた煙草に火を付けた。それは少し湿気ていて火を付けるのに時間がかかる。
「私は泣かんぞ、私は嘘が嫌いだからな……」
そう言いながらもジムゾンの頬には涙が流れていた。
おかしいぐらい悲しかった。今にもディーターが目を開けそうな気がした。だが、ディーターは微笑んだように目を閉じたままだ。
『泣いてるくせに、強がるなよ』
いつもの調子でディーターが話しかけてくる気がする。
幻聴だと分かっている。自分がそう語りかけて欲しいだけだとも。それでもジムゾンは話し返さずにいられなかった。
「これは、煙草の煙が……お前が安い煙草ばかり、吸っているからだ……」
涙を流し続けるジムゾンの背中に、ディーターの声がはっきりと聞こえた。
『……うそつき』
fin