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ピストルの音 鶏頭の赤

あの人は海外旅行へ出た経験がある。
というか、海外で短期間ではあるが夢の為にチャレンジした事がある。

その経験から英語とポルトガル語を覚えて日常会話はこなせる位にできる。あの人はそういう人だ。本当に僕と真逆を生きている。

僕は日本から出た経験はない。遠出の旅行なんて修学旅行が主だ。親が自営業をしていて家族で旅行というのもないかったし、大人になってからも特に自分から旅行に行こうとは思わないし友人に誘われてしぶしぶという感じだ。

正岡子規の病状六尺

彼はそこに限りない広がりの世界を見た。

庭の季節のうつろい、代わるがわる訪ねてくる弟子や友人との会話。母と妹が困窮する暮らしの中に苦心して彼に滋味のある食事を運ぶ。外から聞こえてくる子供や納豆売りの声。畳に差す陽射しの角度。花の描かれた絵巻「渡辺お嬢さん」に恋だってした。

病苦にあえぎながらも、ふと自殺した従兄弟に呼ばれたと千枚通しと小刀を持ち出したりもしたけれど彼は最後まで生き抜いた。

世界を広げるのはその人の感性次第。海外に行っても近所を散歩しても何も感じない人は世界は狭いままだろう。

ただ正岡子規の様な感性もなく、狭い部屋に閉じ籠ってる僕に広げられる世界なんてあるんだろうか?外の風景も子規の妹の律さんがマメに整えていたほど季節の移ろいを感じられる美しい庭があるわけではない。

ちなみに僕の数少ない過去の旅行先に愛媛松山がある。同行者の旅の目的は他にあり日帰りだったのだがどうしてもと正岡子規記念館に立ち寄らせて貰った。
季節は冬、彼の好きな赤を身に付けて行きたいと赤いセーターを着こんで向かった。奇しくも鶏頭の様な赤だった。

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規

その頃正岡子規のファン、いわゆる「のぼさん」マニアだった僕は館内の展示物を食い入る様に見つめ、「のぼさん」と対話した。

その時角の方に藤野古白、くだんの「のぼさん」の従兄弟の展示もあった。のぼさんに比べたらスペースも狭く残された品も多分少ないのだけれど、ピストル自殺したという彼の経歴を知ると何だか畏怖を覚えた。

僕も呼ばれたら、どうしよう。みたいな。

いや、古白からしたらお前誰やねん。用ないわ。って所だろうけど。
あの時本当に古白が呼んでいたなら、彼はこれ以上苦しむのぼさんを見たくなかったからではないのだろうか。

もしあの日、のぼさんの手元にあったのがピストルだったならば彼は引き金を引き鶏頭の赤を咲かせただろうか?


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