カリスマが消えて分裂が始まる
人は同じことを繰り返すことができない創造的な存在だ。
ある武術システムがある。
最近まで存命だったカリスマ武術家が作った流派だ。
カリスマが死んで分裂が始まった。
ある人は息子を二代目にし、継承していこうとする。
ある人は自分のなりの武術を他者に伝えていく。
組織は分裂する。
でも、それは仕方ない。
その武術システムを作った創設者も、既存の武術をベースにして、
そこから分裂して新しい武術を創設したから。
創造力のある人間は、よほどの縛りをしてもそれをアレンジし、
物事を変化させていく。
そうやって物事は進化してきた。
パランパラ
インドでは教えが師から弟子や、容器から容器に
中身を変質させずそのまま教えを移すことをそう言う。
不可能だ。
さて、
どうやったら、変化させずに次代へ繋げるのだろう?
たとえば空手には型がある。
技の順番が決まったもので、大抵は大名人が制定した技の流れだ。
それを伝えることで技を変化させずに伝えることができるはずが、
型を作っても、人によってその力の出し方がぜんぜん違ったりする。
ナイファンチという空手の基本中の基本、最重要の型も、演じる人によっては
ぜんぜん力の出し方が違う。
YouTubeでナイファンチと検索してみれば、ある先生は手打ちのように
動き、ある先生は体を震わせて拳を打ち出し、もはや別流派レベル。
型を作っても、どんどん変化していく。
だれが正統なの?
というか空手、ナイファンチ自体も中国武術が琉球に渡って
変化したものだ。
そんなものはない。
人間は、変化マシーンなのだ。
経典を作ったらどうか。
仏教はそうして長い間、変化せずに伝えられてきた。
しかし、同じく実践や瞑想法はさまざまな文化を吸収して変化。
スリランカの上座部仏教と日本の禅宗のお坊さんはかなり異質だ。
形や文章は変えずに伝えることができる。
だけど、それを実践する人間によって変わってしまう。
つまり、この変化する世界で永続は不可能。
仏陀も、仏教が消滅する時を語っていた。
教えを守るべき、という人がいて、
教えを変化させるべき、という人がいる。
こうして世の中はバランスが保たれている。
ある武術システムの先生は、分裂をしきりに嘆いていたが、
カリスマによって一つにまとまっていたものが、
分裂するのは、新たな進化のはじまりなのだと思う。