スヴェトラーノフ指揮によるチャイコフスキー交響曲全集(含マンフレッド交響曲) 1990年&1992年東京ライヴ
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交響曲を演奏出来たスヴェトラーノフのライヴがこれだ!
チャイコフスキー:①交響曲第1番 ト短調 作品13《の日の幻想》②交響曲第2番 ハ短調 作品17《ウクライナ(/小ロシア)》③交響曲第3番 二長調 作品29《ポーランド》④交響曲第4番 へ短調 作品36 ⑤交響曲第5番 ホ短調 作品64 ⑥交響曲第6番 ロ短調 作品74《悲愴》⑦《マンフレッド交響曲》作品58
エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮 ①∼⑥ソヴィエト国立交響楽団 ⑦ロシア国立交響楽団
①⑥1990年5月21日 東京 オーチャード・ホール ②⑤1990年6月3日 ③④1990年5月24日 ⑦1992年10月7日 以上、東京 サントリー・ホール〈以上、ライヴ〉
EXTON OVCL00470 6枚組
この冬一番の寒波の到来で各地で記録的な積雪になっている今日この頃ですが、ワタシの住んでいる所はどちらと言えば山形県の中でも降雪量の少ない地域です。とは言え体調の問題を抱えているワタシにとっては除雪機を使わなければなりませんでしたが。
そうして辺り一面が雪景色に覆われた時にどうしても聴きたくなるのが①です。何と言っても《冬の日の幻想》と言うタイトルが抜群じゃないですか。ロシア語の直訳とは若干ニュアンスがことなるそうですが、そんなことどうでも構いません。チャイコフスキーの音楽を聴きたいのであってロシア語の勉強をしているわけじゃありませんから(ちなみにワタシはロシア語はおろか外国語はまったく出来ません)。その代わり、そんな魅力的なタイトル故にこの時期以外にはなかなか聴き難いのも事実ですね。
でも今のワタシにとってこのスヴェトラーノフ指揮による1990年東京ライヴの①には一つ悲しい思い出があるのです。どうしてこの曲にそんな思い出が、と思われますでしょう。それにはこのような事情があったのです。
今は亡き父は学生時代からクラシック音楽が好きでいろいろ聴いていたそうです。ロシア音楽が好きだったようで、ムソルグスキーなども好きな作曲家でソヴィエト映画でムソルグスキーの生涯を描いた《夜明け》を見て《展覧会の絵》のSPレコードを買ったほどです。しかし、それ以上に好きだったのがチャイコフスキーで、特にヴァイオリン協奏曲やバレエ音楽《白鳥の湖》などを特に好んでいました。そして交響曲の中でも偏愛していたのが①と④でした。このうち、④についてはワタシがまだクラシック音楽を本格的に聴くようになる前に、山形で演奏会を開いたレニングラード・フィルのコンサート(当然ムラヴィンスキー指揮ではありません。同行した別の指揮者でしたがその名は失念しました)で④が採り上げられるということだけでワタシは父に連れられて行ったのです。とは言え、印象に残ったのは④第1楽章の強烈なファンファーレと寂しいばかりの第2楽章だけでしたが。
肝心の①についてですが、父は何故かこの曲に関してはあれほど好きなのにも関わらずレコードを買わないで長いことNHK-FM放送をCTにエアチェックしたので聴いていたので、それに焦れったくなったワタシは当時廉価盤としてリリースされていたティルソン・トーマスのLP(DG)をプレゼントしたこともありました。その後ワタシは山形を離れ、世はCD時代になりました。その間、父は当全集に含まれている①のCDを買っていたのです。Canyonの1枚物で価格はフルプライスの¥3,000! もっと安価なCDもあっただろうにと思いながらも父はそのCDを喜んで聴いていた姿を懐かしく思い出すことが出来ます。
やがて月日が経ち、ワタシはExtonがリリースした当全集を6枚組¥5,000(!)で入手し悦に入っていました。父は加齢とともに認知症の症状が現れて徐々に悪化してきたので、かつてワタシが務めていた福祉施設に入ってもらうことになりました。おりからのコロナ禍のため面会にも行けませんでしたが、ポータブルのラジオ付きCDプレーヤーと何枚かのCDを持たせたのですが、その中の1枚に父が自分で買った①のCDを入れて置いたのです。一人でもいいから聴いて楽しんでもらえたらならばと思ったわけです。そして施設に入居してから1年数ヶ月の後、父は老衰のため88歳の生涯を安らかに閉じたのでした。
そして父の一連の葬儀の儀式の折り、納棺の際に故人の思い出の品を入れる時になってワタシは父が自分で買った①のCDを入れたいて強く主張しました。何と言っても父の最愛の1曲のことだし、しかも同一音源のCDをワタシは持っているのです。そうでなければそんなことは考えませんでしたでしょうが、それならば亡き父の棺に入れてやった方が良いだろうと、渋る葬儀会社の社員を強引に説得して彼が全責任を負いますと言ってくれたことで何とか件のCDを棺の中に入れる手筈を整えました。
さて肝心の納棺の時です。旅装束で清められた父の遺体を棺に納め、それからお定まりの品に続いて故人の思い出の物を入れる際に葬儀会社の人は件のCDをワタシに手渡しました。それはそうでしょう。何と言ってもワタシがそのCDを一緒に入れることを主張したのですから。
ワタシは父が亡くなってからと言うものの、殆ど感情を露わにはしていませんでした。意識的に自重していたこともあります。ところが、社員からCDを受け取ったワタシはその瞬間父との様々な思い出が脳裏に一度に蘇りました。優しかった父、厳しかった父、ワタシが知らないいろいろなことを笑顔で教えてくれた父…。様々な父の姿が蘇ったその時のワタシは気付いたら落涙してしまったのです。涙でCDが霞んで見え、指示した場所に置くだけでも一苦労したことも当セットの①を聴くと今では懐かしく思い出されます。なお、火葬の後、骨上げに立ち合った係の方に伺ったところ、CDを棺を入れるのはそれほど問題ではなく、むしろページの多い本の方が困るとのことでした。
そうした思い出もありますが、ここで閑話休題。スヴェトラーノフはチャイコフスキーの交響曲全集を映像も合わせると前後4回収録していますが、ワタシが持っているのはその映像(Dreamlife)と当セットのみです。オーケストラは30年以上彼の手兵であるソヴィエト国立交響楽団もしくはロシア国立交響楽団ですが、これは当セットの表記同様にソ連崩壊に伴う名称の変更なだけで同じオーケストラのことです。当セットは通算3回目の録音となりますが、これとこのわずか3年後のセッションでの再録音は日本のCanyonが収録したのは画期的な出来事だったと思います。
それでは当セットのレヴューをどうぞ。
「ソ連の指揮者であるスヴェトラーノフとその手兵のソヴィエト国立交響楽団はチャイコフスキーの生誕150年を記念して来日公演をおこなった。その時のコンサート・ライヴ①∼⑥と、その2年後のこれもやはり来日公演ライヴの⑦を合わせて6枚組1セットにしたものである。これらは元々Canyonから分売のみの形でリリースされていただけで、セット化はこの時が初めてではなかったかと記憶しているが、分売時@3.000が今回のセット化で¥5,000と(消費税の税率の変化を考慮しても)1/4程度の価格になったのは非常に有難いことである。うち①は自宅にあったのと同一音源で(父の)火葬の時に一緒に入れたのは当セットがあったからである。
それにしても、スヴェトラーノフと彼の手兵によるチャイコフスキーの交響曲演奏は他の何にも代え難い魅力を持つ。チャイコフスキーの音楽に聴かれるセンチメンタルな憂愁さには見向きもせず、チャイコフスキーの音楽が持つもう一面であるロシア的なダイナミズムと泥臭さを徹底的に追求した演奏である。これはこのコンビのラフマニノフの交響曲全集(Canyon)などと同様の解釈であり、その一面だけがクローズアップされているというのは、コンサートならばともかくCDで繰り返し聴くにはそのしつこさと相まって不満が残らないでもないのが正直なところだ。
また、2年後の⑦をこのセットに収録してくれたのはとても有難いが、そのド迫力の演奏には圧倒されるがフィナーレの大幅カットが賛否を分けるだろう。なぜなら最後のオルガンが奏されマンフレッドが救済される場面がなくなって第1楽章になだれ込むのだから。
2024年3月9日&10日 評価:★★★★(①∼⑥) ★★★☆(⑦)」
以上が当セットのレヴューとなりますが、いかがでしょうか。
このスヴェトラーノフの演奏を極めて高く評価する向きもあるようですが、ワタシは当セットはそれ程絶賛は出来ません。これがラフマニノフやスクリャービンになると状況が変わるのですが。スヴェトラーノフ最晩年のあの2つの交響曲全集はまさに彼にしか出来ない唯一無二の演奏でしたが、当セットのライヴ録音はそこまでの普遍性を聴き取ることは出来ないのではないかと思っています。
また、父の棺に入れたかったCDは実はもう1枚あって、それは当コンビによるチャイコフスキー:「四季」〔ガウク編管弦楽版〕(Melodiya)で、父とワタシは偶然にもVictorがリリースした同一のCDを持っていたのです。ところが、納棺の時に父の分のCDが見つかりません。ワタシのは大事な1枚ですから焼いてしまうわけにもいかず、葬儀の最中にバックで流してもらうことで何とか妥協した次第です。あれから2年が経ちますが、結局父のCDは見つかりませんでした。いったいどこに消えてしまったのかはワタシにもわかりません。でもそのうちヒョッと見つかったりして…
久しぶりの4,000文字超えになってしまいました。大変な長文でお目汚し失礼しました。