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憂鬱と退屈を無理に打破=充実、ではないと思うのだ。

ここのところ「退屈だ、憂鬱だ、暇だ。パニック障害さえなければ」
そんな風に思うことが多くある。

メンタルが塞ぎ込んだり落ちたりする理由のほとんどを占めるのも、
このパニック障害が原因になっている。

会社員で働いている時は「この苦しい仕事さえ無ければ」と思っていた気がする。

会社員時代は自由に外に出られたし、バイタリティがあったので、
「とにかく行動」することで、空いた穴を埋め合わせした。

空虚さを満たそうとした。

ミュージカルを見に行ってみたり、
なんかすごそうな人を調べてその人に会いに行こうかとか、
なんか生き生きしている人と話せるイベントに参加するとか。

そして「なんかやっている自分」という感覚になると、
自己肯定感が上がって来て「私は充実している」というマウントを
周囲に取りたくなる感覚があった。

今まさに、不足の渦の中に居る感覚がする。

昔のように外出してそれを埋めることもできない。
ひたすら、少し飽き始めたポケモンに熱中し、
今日はヒンバスというめちゃくちゃゲットが難しいポケモンを
広い湖で一生探していた。笑

「ヒンバス探してれば、明日も気が紛れるかも」なんて思いながら。笑

絵画の出展は先日郵送できて完了した。
送ってしまうとあまり興味がなくなり、
自分が会場に在廊できるでもないので、あまり出展者という実感もない。

絵を描く情熱もここ数日は湧かず、
ただ惰性で配信アプリを見て、ポケモンをしているのだ。

そこに対して「何かやらなきゃ!」と感じつつ、
外に出られないのに何をやるの、と虚しい自問自答が始まる。

ただ、そこで私が長く続けて来たプログラムに助けられる。

自分自身の深い部分の体感と向き合ってみよう。
そんな感覚になった。

人生、ずっと進み続けているとか、ずっと充実しているとか、
そんなことは誰しも無いと私は思っている。

そういう風に見せている人は居るけれど、
完璧な人間など居るのだろうかと疑う。

こういう憂鬱や退屈を感じる時期も、
今までも何度も味わってきた。

そこにジタバタして「なんとかしよう」とするのではなく、
「今はそういう時期なのだなぁ」と、
どこか自分自身をあたたかく見守る視点。

そういうものが、空虚さを埋める行動よりも、
本当は今の私に必要だと思うのだ。

そして、今空虚であることを受け容れると、
そんな日々が持つかけがえのない幸せを受け取れたりするのかもしれない、
なんて思ったりする。

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