
誰と居るかは、何をするかより大事だと思う。
誰とつながるか、誰と一緒に居ることを選ぶか。
これは、人生最重要の選択と言っても過言ではないくらい、
私は重要だと思う。
集団にはエネルギーというものがある。
個々にもあるだろうが、集団になると、それがさらに大きく強くなる。
無理に元気を出して楽しんでいる人たちと一緒にいると、
自分も無理に元気を出して楽しまなければいけない気がし、
ネガティブな発言をしたり、そんな姿を見せられなくなって、
”元気”以外の自分を否定して息苦しくなっていく。
逆に、ずーっと「苦しい」という場にいる人たちと一緒にいると、
なんだか、自分もずっと「苦しい」場所にいなければいけないのか?
寄り添わなければいけないのか?幸せだと言っては皆の気分を害するのか?
此処から出てはいけないのか?という気分になり、
それはそれで息が苦しく重い。
人は多面体だから、自分の状態に合わせて
心地よいと感じる場所が変わるときもあるだろう。
だが、ちょっとでも違和感や苦しさを感じる場所を
「居場所の起点」に選んでしまうと、
たちまち違和感で首が締まるような感覚になっていくのだ。
私は昔、起業家・経営者的なビジネスコミュニティに
近い雰囲気にいることもよく選んでいたが、
彼女たちとは根本的な感覚が大きく違う気がして、
途中からとても息苦しくなった。
色んなコミュニティと関わってみると、
自分がどの場所を選ぶことが”心地よいか”がわかってくる。
ここでは今日は深く言及しないが、
私は改めて、
女性性を体感しながらいのちを大切に過ごし、
日々グラウンディングし、
自分と深く向き合って高い視座で生きていく女性たち。
そんな女性たちと関わることが好きだと知った。
そういう女性たちとつながっていたい、と。
もちろん「こういう自分で居ないといけない」というものでもないわけで、
あらゆる自分自身を否定する必要はない。
だけれど、ここ最近、少し違うコミュニティとの接点を持って、
最初こそ居心地の良さを感じたものの、
徐々に息苦しさや居づらさ、居心地の悪さ、しんどさを感じたのだ。
理由あって、すぐにそこを抜けるわけではないものの、
関わり方や距離感を”自分にとって心地よいもの”
に変えていきたいと、改めて感じた。