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塵のエメラルド

塵のエメラルド
 或る芸術大学に於いて学業成績トップだった彼は、大学卒業後、大手の文芸出版社に入社した。彼の卒業した大学とは地方国立大学であり、「芸術大学」とは彼が名指しでそう呼んでいたものである。その大学の界隈に住む人達は皆、一様にして、「入学出来ればまぁそこそこ有名な唯の地方国立大学」と呼んでいた。しかしこの人達も皆、その大学の関連者に出会うと、一様にして「ああ、あれはいい大学です。頭いいんですね。」「凄いですね。」などと一応の体裁を保っていた。彼は、友人と共にその大学へもう5年前に入学し、今では、そこそこの経験をし終えた貫禄を保つ青年に育っている。色々な「学業」に纏わる噂を聞き、聞きながら地上、地下、を歩き、眠っている時でさえ「噂」について考えていた。そんな彼である。

 「文学少年」と密かに自称していた彼は、高校生の頃から手当たり次第に文芸書、学問書を読み漁り、唯、友人との間で知識をひけらかす事はせず、又、そのような光景を見る事も嫌った。そのような光景を醸し出す輩に対しては、軽蔑する念さえ覚える程の或る種潔癖文士である。時々は「哲学少年」、又「文芸少年」、「文学少年」、と漠然としたテリトリーの境を気ままに闊歩する事がどうしても止められず、その有様を傍から自分で見た時に、少々嫌気がさした事があり、その日から、自分は学際的に学んでいる、と発破をかけて尚、邁進していった。一本調子な人生を送って来た自分である、とその念は、プラスにもマイナスにも採れた。彼が通っていた高等学校とは、余り評判は良くなく、所謂、偏差値に於いても中程である。故に、文系志望の者は実は多い様子であったのだが、体裁を繕う為に皆、体育系を好む姿勢を見せており、脆い「博識人」の弱みを突かれないようにと多少必死の顔をしていた。彼もそれであり、故に躊躇なく話せる友人は二三人の「オタク」だった。しかし、内の一人に、密かに自分が書いていた秘密の文章を、その友人が「ノートを貸してくれ」と頼まれた際に貸したそのノートに、それ等の恥じ入る文章が記されてあった事をつい忘れており、すべて見られてしまった、という過去があり、それ以来、以前に比べて会話する数が減ったということも事実である。文学少年とは、自分の密かな成績を他人には秘密にしなければならぬらしい決まりを、彼は薄々感じていた。

 彼のクラスは文理系であり、文系の者と理系の者との妙な争いが少々起きている節がある、などと彼は一人で思っていた。実際は皆、唯、今後の進路の事で頭が一杯であり、そのような事は考えてはいない。だから彼はその思惑については誰にも言わなかった。自分の思惑の内で繰り広げられる「学業」という世界観を誰にも見られたくない、とその後彼は、思うようになっていった。教室の窓の外を飛ぶトンビが、いつも彼に憧れを与えていたが、終に彼はその「憧れ」を手にする事なく卒業している。そんな彼の隣の席に王という友人が居り、彼の引き立て役だった。学業、体育に励む時でさえ、その王は彼の引き立て役を買って出る姿勢を持ち、彼は気分が良かった。クラスの全員が彼を中上位の博識に捉えていたが、この王はまるで自分の主人のように彼の事を慕った。それが彼に、友人からの特別な眼差しを感じさせる契機になっていたのだろう。彼は学校でもプライベートでも、よくその王と遊んだ。
 王の学業成績とは並、もしかすると並以下かも知れないというものであって、彼はその王と遊ぶ時、密かに優位に立ったが余り学業についての問答は打たなかった。むしろ、自分の為にそのステータスであった欲しい事が本意であり、いつまでも自分の為にその力を奮って欲しいとさえ思っていた。彼と王の性格は勿論違うものであったが、傍から見れば、その違いは明らかなものに見えた。クラス全員からその王は、馬鹿だ、という定評があった。クラス全員からの評価とは無論世論のようなものであり、彼と王に漠然とした思惑を与えていた。その王と彼は、卒業後、会わなくなった。

 「上には上がいる」この言葉を意識し始めたのは、彼が大学卒業する手前である。それまでは、唯一、自分の生き方が自分にとって本当であり、他人が自分の人生という道の上で、先を行く、などという事は有り得ないのだ、と頑なに信じていた。しかし、文学作品を読みながら、自分と同等と思える他人が書く文章を見た時に、この言葉を思う破目となり、焦燥に浸る形を以て「もっと自分のすべき仕事をする上で、向上せねば」と考え直すようになった訳である。これも密かな決心であり、知られたくないものだった。彼は大学在学時に、無数の手記を残した。どれも、日記のような作品であった。後から読み返せば、懐かしく回想出来るもの達であり、その文面から当時の自分の心境、環境、等が浮かび上がり、それ等を基に又何か一文書けそうな、そんな感傷を抱く程、彼にとっては貴重なものの様だった。しかし、過去の作品に捕らわれてばかりでは向上出来ないとして、新たに何か書けやしないかと、出版社に入社した現在、躍起になっている。彼は大学時代、様々なアルバイトをした。コンビニのような軽めのものから家庭教師、そして一般企業に置けるパート職員のような重い仕事までこなした。その時間は彼には長かった様子であり、その経過の内に、彼は、以前の文学作品の書き方を忘れてしまったのである。自分でそのように思っていた。

「なんとかしなきゃいけない。とにかく、他人を出しぬかなきゃならない。その他大勢に紛れて居ては駄目だ。俺はもっと上に行かなきゃならない奴で、こんな所でぬくぬくとしていては駄目なのだ。しかし本がない。根がなければ育つ実の事等考えられない訳であり、根を作らなければ駄目だ。しかし、何が残っているのか…」

 働きながら彼はこんな事をよく思っていた。男を見る時も女を見る時も内実は変わらず、自分の財産を欲しがった。新たな財産であり、現在に於いて「作りたい」と考えていた。しかし、他人が彼に話し掛ける度、それ等の思惑は中断させられ、その回数は働いた分だけ在り、彼は、他人を見下す事を、始めは自然に、次第に敢えて、し始めるようになった。彼に一枚の吉報が舞い込んだ。自分を一つ所に於いて認めてくれた内容が、その吉報の文面に記されてある。彼は喜んだ。これで自分は今までと違う人生(みち)を歩き始める事が出来る、そう思っていた。良い事は続くもので、この度、様々な思惑を置き去りにしたような大学を卒業して、「大手出版社」に入社する事が出来たのである。彼は、唯、嬉しかった。珈琲を何杯も呑んでは煙草を吹かし、携帯で或るサイトに入り浸っては、世論に自分の意見を紛れ込ませる、などという所作を繰り返した。その出版社から採用通知が届いて以来、入社式までの間の時間は何カ月もあり、その間とは、彼にとってパラダイスを思わせる楽しみばかり与えてくれた時間、と成った。新聞を、どこかの政治家が読むように、わざとらしく拡げて恰好を付け、ふむふむ、と相槌打ちながら又大袈裟にページをめくる。その様を他人に見られたいとは、感動の最中に在る内は自己満足によりそれ程思わななかったが、次第に、誰かに見られたい、という思惑はのさばった。やはり孤独でいるのは辛かったのである。そんな余裕の状態に在る時彼は、大学時代、又それまでの自分が成した成果とは、確かに様々な経験により構成されたものであって、無数の傷が付けられた上で成り立つ「加工された産物」のように見えたが、それを為したのは自分であり、自分という原石は成長を含めて変わらない存在である、思い返していた。その「思惑」とは彼にとって、どこにもつけ入る隙がない様に思われた為に、その後も彼の念頭に置くものと成った。唯、その当時に為していた作品の種を作る手腕というものが、なかなか現在では見付けられないものであり、その「手腕」と共に「種」を、より貴重に見立てた事は事実であった。

 出版社に入社した後彼は、評論を書く某部署に配属された。現在の彼にとって「評論を書く」事は性に合っていた。何等かの事柄から思惑を引き出して、又、現在起きている事象の内に主張する意の為の材料を引き抜き補足する。小論文を書く作業と同様であるその「作業」とは、無から生み出す随筆を書く作業よりも、彼にとっては楽だったのである。その部署には無論そのような作業をするエキスパートが何人も居り、彼は彼等の作業を見る内に、次第に染まって行った。「これこそ文学だ」そう思った日も少なくない。仕事を終えて帰宅した後、テレビを見ながら、何か番組内で思惑を述べるタレントが居ればそのタレントに向かい自分の主張を得意気に喋り、巷の本屋でそれらしい文芸書を買って来ては読後の感想を小論風にアレンジして書いた。そんな事を何日も繰り返す内に、彼はすっかり出来上がってしまった。随筆を書く事を嫌ったのである。又、随筆を書く作家の文章を見ては、書き方の誤りを執拗に探し出し、駄目出しをするといった行為を暫くしていた。

 彼は、その部署に於いては、やはり、エキスパート達が居る為か、成績が振るわず、時には辞める事を考えたりした。他社との競争に於いて百戦錬磨の先輩が彼の書くものを褒めて、鷹揚とした気分に浸れた事もあった彼だが、時間が経てば感動は薄れるものであり、日頃の自分の調子に限界のようなものを感じ始めていた。同じように書く事に、疲労を覚え始めたのである。随筆を嫌った心理の内には、自分が現在そういったものを書けない故の逆恨みが在り、やはり「随筆の良さ」を忘れられない彼であった。ないものねだりだったのかも知れない。しかし、そう思う事は事実である。随筆による感動が欲しかったのである。それも自分が書いた随筆から感動を得られるのならば尚更良い、そのように考え始めていた彼は、密かに又、随筆を書き始めていた。出来上がったものを読み返せば、酷い感想が湧き上がる。どうしてこれ程までに酷いのか、そう思わせる内容である。過去が嘘のように立ちはだかって、過去、過去の自分、を別物に思わせた。それ等の存在との距離を縮めたくて躍起になった時期もあったが、自然が為せる業なのか、縮まった気がしなかった。その時期は又暫く続く。確かに現在の自分も一つ所では褒められる内容を書く事が出来る者だが、これで良いのだろうか。やはり、随筆が書く事が出来る自分を取り戻さなければならないのではなかろうか。すったもんだの後、彼は評論を書く部署に居ながらにして、随筆を書き始めた。正確には、書く為の準備をしていた。編集長に怒られはしたが辞めさせられる程のものではなく、自然の内で彼は努力した。以前に自分を褒めたエキスパートは自分を褒めなくなったが、気分転換をするように見た彼の文章を読み、「面白いね」と言った。彼は又この「面白いね」をプラス思考の内に留める。彼は努力した。成績は下方だったが、努力の威光が思わせる自身への賛歌により、落胆を見る目を鈍らせた。しかし傍らでは、編集長が彼に依頼する「評論」も書き続け、その記事は時折雑誌に掲載されていた。

 或る日、彼が書いた記事がマスコミに取り上げられ、又、その調子のついでに文芸春秋にも取り上げられて、彼は、直木賞を受賞した。彼にとってはこれまでに無い快挙である。彼は嬉しさの余り飛び上がった。飛び上がった際、机に向う脛をぶつけた。彼は記者団に囲まれて、これまでの経緯や、書くにあたっての心得などを又得意気に話していた。暫くその喜びの余韻は彼の胸中に留まった。周囲の彼に対する目も変った。これまでの分量より多く、編集長は彼にものを依頼し、彼の書くものは相応の称賛を浴びた。又、周囲が彼の姿勢を固めていった。

 彼には、入社当時から相応に親しく付き合っていた友人が居た。その友人は、王のような気質は持ち合わせていなくて、彼に一種のライバル心を抱かせるような、そんな存在であった。しかし、彼等は仲良く帰りに呑み屋へ行ったり、休日は互いの家で遊んだり、又、夢を語り合ったりと、楽しいものだった。そんな友人は、随筆を手掛ける部署に居た。その為、彼はよく、友人に嫉妬したものであり、自分と友人の配属先を変えて欲しいなどと思った事があった。その友人の書くものが彼を魅了して、又随筆を書き始めたい、と彼に思わせた事実もあった。互いに、住むテリトリーの違う良きライバルだったのだ。自分が随筆を書く事から又離れて、今自分に在る「もの書きの財産」を構成させ、「評論を書く自分」を固めてゆく過程に、その友人に置いてぼりにされるような感覚を味わっていた。
 
 或る日、その友人が芥川賞を受賞した。密かにプライベートで書いたものを投書したところ、認められたという話である。その出版社にとっては、自分のところから二人も受賞者を出した事で大賑わいになり、感慨も一入、といったところであった。この二人をどう扱って行こうか、という事が社にとっては今後の課題であった。彼は「してやられた気分」になる。友人の前では共に喜んだが、自分が取る筈の賞が他人に取られた、という気持ちを以て、友人に対して心の中で距離をおいた。彼は、これまでにその友人が書いたものを読める範囲で読ませてもらった。彼は不覚にも感動した。自分は直木賞を取ったのだから、と相応の覚悟を以て臨んだ読書であったが、仕方がなかった。自然の内に感動した自分を知った彼は、自分の書くものが途端につまらないものに思え始めた。しかし、彼の書くものを「良い」と感動する読者も、未だに彼を認める社も在る。しかし彼にはその読者、会社、の姿が目に入らず、自分だけを見詰めていた。そう思うようになった彼が書くものは、次第に売れ行きが悪くなった。編集長は「もっと肩の力を抜けよ」と励ましたが、暫くは彼の耳に入らなかった。社としては、一刻も早く彼に調子を取り戻して貰わないと利益が上がらず、困るのである。しかし彼にも生活があり、いつまでも落胆している場合ではなく、何か書かねば仕事に成らず、辞職させられる危険もあった。彼は生活の為に、今自分に出来る事をしなければならず、今自分に出来る「評論」を書き続けた。

又、彼は褒められた。「直木賞効果」が又出たのだ。芥川賞作家となった友人は、社を辞めて、彼の見えない所へ行った。社の内は、他に賞を取った者は居らず、直木賞一色と成った。「大衆に認められたのだ。他に何が必要なのだ?」と、全体会議に於いて彼は社長から言われ、同時に他人から崇められる視線を彼は感じた為、「ここで俺は暫く生きられる」と「良し」とした。芥川賞作家となった友人はその後作品を発表しなかった様子である。彼は敢えて見なかった節もあったが。

或る読者が、彼の書いたものに難癖を付けた。「文章は上手いが、結局、誰でもわかる事を書いているだけで何も感動しない」と。彼は寄せられた読者の感想の内にその一文を見付け、「文章は上手い」という内容を採って又「良し」とした。


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