【アップ】2024年6月16日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
【男山教会礼拝アップ】
2024年6月16日主日公同礼拝 (youtube.com)
【アメーバブログ】
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(1週間ごとに最新記事に更新し、その間はアーカイブの形で1週間内の礼拝動画内容をアップしていきます^^どうぞよろしくお願い致します)
前奏
招詞 イザヤ書40章1〜4節
詩 編 歌 65編 3節
聖なる主の宮の 良きものもて
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問 92
「神さまのみこころ」
こどもさんびか
こどもまねく[改 5(2,3 節)]
牧 会 祈祷
讃美歌 234A番
聖書
使徒言行録19章 11〜20節
詩編147編 15〜20節
説教
「御言葉の力
〜広がりゆく福音とともに」
宮武輝彦
祈祷
讃美歌 453番
みことばの交読文 ローマ 10章 14,15節
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 543番
祝 祷
報 告
2024年6月16日 礼拝説教 中心聖句
このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。
使徒言行録19章17節
御言葉を遣わされれば、それは溶け 息を吹きかけられれば、流れる水となる。
詩編147編18節
はじめに
福音は、良き知らせ、グッド・ニュース。良き訪れ。罪人を変える、力ある言葉。
1
「神は、」とは、先に、「神の国(王国)のことについて」自ら大胆に宣べ伝え、論じ合い、説得したと言われていたように、人でも、神々でも、天使でもなく、天地を造られ、御子を遣わされ、聖霊を与えられた、生けるの真のただお一人の力ある神。使徒「パウロの手(両手)を通して」「行われた」「目覚ましい奇跡(成し得ない力)」は、永遠の王なる神、キリストの御業。「(それゆえ、人々が)彼の体(肌)から手ぬぐいや前掛けを取って病人に当てると、病気は除かれ、悪霊たちが出て行く(のだった)」。当時、エフェソは、魔術が盛んで、悪魔払いや悪霊除けで知られていた。神の業は、人の目には魔術と映った。一方、何人にかの「旅をしていたユダヤ人の祈祷師(エクソシスト:誓いを立てる者:呪術者)たち」は、「悪霊たちを持っている者たちに、主イエスの名を呼びかけようとして言った。『われわれは、パウロが宣べ伝えている主イエスの名によって誓います』」。さらには、「ユダヤ人の祭司長スケワの七人の息子たちも、このことをしていた。」「すると、悪霊が答えて言った。『おれはイエスを知っているし、パウロも承知している。だが、お前たちは何ものだ?』」
主イエスが、ガラタ人の地方に行かれた時にも、悪霊に取りつかれた者二人が、叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか」(マタイ8章29節)。悪霊も、イエスを知り、伝道者たちを知っている。そして、神は、悪霊を支配し、その行ないを許容する。ただ、ご自身の栄光を人びとが見るために。
2
「そして、悪霊が内にいた人が、彼らに飛びかかり、彼らを抑え込み、彼らを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷つけられ、その家から飛び出した」。わたしたちは、ここに、「主イエスの名」が誓われながら、それが魔術的に用いられる時、神自ら、悪霊を宿す人をして、その悪(反キリスト)を明らかにしたのを見る。「そして、このことが、エフェソに住むすべてのユダヤ人とギリシャ人に知られたばかりでなく、畏れが、彼らすべてに臨み、主イエスの名が、大いにあがめられた」。いつも、悪霊が表に出ているとは限らない。教会内外における信仰の戦いの中で、「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいる」(フィリピ1章15節)。それが牢獄にいたパウロに聞こえた時にも、「福音の前進に役立った」(同1章12節)と、パウロは伝えることができた。
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「また、信仰に入った者たちが、大勢(パウロのもとに)来て、彼らの行ない(魔術の罪)を告白し、公にした」。「それから、魔術を行っていた多くの者たちが、その書物を持ってきて、皆の前で焼き捨てた」。「その値段を数えると、銀貨五万枚にもなった」。「このようにして、主の言葉は、力強く広まり、力強さを増していった」。福音の宣教は、主の教会の完全な建設と一つ。使徒パウロは、後にエフェソの教会へ「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられゆく」(エフェソ4章16節)と伝えた。キリストの言葉は、聞く者たちを霊的に成長させ、霊の祈りと勝利の道を備える。
おわりに
「主は仰せを地に遣わされる。御言葉は速やかに走る」ほどに、自由に、地に勝利をもたらす。十字架と復活の主を証しする、福音という主の勝利宣言を今日、自ら伝えたい。
(Mynote)
二〇二四年六月一六日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問九二』
「『みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ』では、何を祈り求めるのですか。」
「天に於いては神様の御心が完全に支配して居る様に、地に於いても全ての事に於いて神様の御心が支配する様に祈り求めます。又、神様の子供である私達は、御心に聴き従い、喜んで神様のお役に立てるよう祈ります。」
「疲れて居る人は誰でも、私の元へ来なさい」と言われた、イエス様の御言葉が引用されて居た。
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第一九章一一〜二〇節)
『詩篇』(第一四七篇一五〜二〇節)
この『使徒行伝』の箇所では、パウロが様々な奇跡を為した場面が記されて居る。パウロが身に付けて居る手ぬぐいや前掛けを取って病人に当てると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くなど、普通の人では出来ない事を為して居た。これを見て人々は驚いた事だろう。
そしてこの当時、他の呪い師達も自分に力があるのを信じて、パウロがした事と同じ様な事をしようとして居た。そこで或る呪い師達が悪霊に憑かれて居る者に向かって、主イエスの名を唱え、
「パウロの宣べ伝えて居るイエスに依って命じる。出て行け」
と、試しに言ってみた。これと同じ事を、ユダヤの祭司長スケワと言う者の七人の息子達もして居た。すると悪霊がこれに対して言った。
「イエスなら自分は知って居る。パウロも分かって居る。だが、お前達は、一体何者だ」。
そして、悪霊に憑かれて居る人が、彼等に飛び掛かり、皆を押さえ付けて負かしたので、彼等は傷を負ったまま裸になって、その家を逃げ出した。
この点での大事は、神様がパウロを遣わした・神様がそのパウロに御力を与え、聖霊の働きを通し、奇跡を成させた、という事である。
この「神様が(神様は)」という言葉がこの全箇所にて、最も大事である。神様が主語になっており、神様がこの一連の出来事(奇跡)の主人(あるじ)であり、この主語が抜け落ちて居れば何にも理解した事には成らないのである。奇跡は独り歩きしない。必ず神様が成し、聖霊の働きに依りその事(奇跡)が成るのである。
呪い師達はこの点を理解して居らず、神様の事、イエス様の事、そして聖霊の事を全く理解して居らず、即ち信じて居らず、又、神様が彼等を遣わして居なかったから、その呪い師の彼等には何の力も無かった。悪霊は逆に呪い師である彼等に飛び掛かり、その呪い師達を負かしてしまった…と言うその結果に落ち着いた。
聖書が伝えるものは福音である。福音とは「グッドニュース」と訳され、良いニュースを伝える事を指す。
普段のテレビで報道するニュースでは、大抵がバッドニュースであり、良いニュースは三割程?あとの七〜八割程は悪いニュースではなかろうか。何か普段と違った事、平和を脅かす事柄、戦争の事、犯罪の事など、人間の社会ではやはり「良いニュース」を探し出すのは難しい場合もある。
聖書が伝える第一のグッドニュースは、イエス・キリストの十字架である。「なぜ磔刑の道具がグッドニュース(福音)に成るのか?」と異邦人達は疑問に思うかも知れない。これは学ばねばならず、イエス様が十字架に付けられ死にて葬られ、陰府(よみ)に降り、三日目に死人の内より甦られた事に依り、全ての罪人(私達人間)の罪が許される契機が与えられ、信仰に依り救われる事が確約されたからである。詰り福音を問う時、その様にイエス様を通して成された神様を、信じるかどうかに最大の大事がある。これは人の側の問題に在り、全ての人が学び、信じ、知らねば成らない事に在る。信仰とは、信じて仰ぐと書く。その通りで、ただ神様を信じ、イエス様を信じ、イエス様を通して全ての人に与えられた神様の愛・十字架に依り全ての人の罪が許された事(その契機・土台が与えられた事)を遜って知らねば成らない。
イエス様の時代から現代まで、又それ以前の旧約聖書の時代からイエス様が地上で活動されて居た時代、そして現代までに掛け、この福音をどれ程の人が本気で信じ、心の底からその救いを求め、自分の罪を思い知り、神様とイエス様に縋り付いて来たか(縋り付いて居るか)?信仰に於いては変わらず「神様を信じるかどうか?」この一点が問われるのである。信じる事から理解が生まれ、神様に遣わされる事、そして聖霊の働きに就いて正確に知る事が出来るのである。
この『使徒行伝』の箇所でも、「パウロが奇跡を起こした」とは一切記されて居ない。奇跡を起こしたその主語は神様であり、パウロではなく神様がその奇跡を成されたのである。
「神は、パウロの手によって、異常な力ある業(わざ)を次々に成された」と在り、この通りである。
人にはこの様な奇跡は一切為し得ない。特に日本でも盛んに言われて居るが、現代、人の間には様々な神々が作られて居る。「スポーツの神」や「トイレの神様」や「回避の神」や「歌の神」や「漫画の神」等。日本には八百万の神々概念が在る為、他の宗教が盛んな地域と同じく、その様な「人の概念の下(もと)に作られた神々」が次々に生まれ易い。しかし(言わずもがな)その様な「人の下に置かれた神々」等は神でも何でなく、ただの偶像である。詰りその様な神概念を現代人は特に持ってしまった事により、余計に信仰の正確、神様を信じる心の正確、イエス様を信じる心の正確、十字架に依り全ての罪人の罪が許された事を考えるその思考・感覚の正確性が、大いに鈍る契機をも以て居る。即ち、信仰に歩む際のハードルと余計な刺激が増える事により、真実の信仰から遠ざかる状況に置かれる事になる。
他の宗教(邪教)でも、聖書を利用して自分達の教えの足しにし、自分達の利益の為に人々を惑わす事がある(この現実が今では非常に多い)。キリストを利用し利益を目論み、飽くまで人間の考えによりキリストの真実を捻じ曲げて人々に伝え、自分が現人神(あらひとがみ)の様に成り、悪霊を以て、自分に纏わる・関わる全ての人を惑わそうと仕掛ける。これは全て悪霊の業に在る。世の終わりには、人々を惑わす邪教が非常に多くなる。これはイエス様が弟子を始め全ての人に教えた事に在り、よくよく注意せねば成らない。悪霊は狡猾に人の心に入り込み、その人を内側から支配し、知らぬ内に神様の側から離すのである。特に又この事はクリスチャンにも強く問われる事に在り、クリスチャンは常に信仰に自分を照らし合わせ、そのとき正しい道を歩んで居るか、その事を祈りの中で神様に問い続けねば成らないのである。
この『使徒行伝』の箇所では、祭司長スケワの息子七人も呪い師と同じ事をして居たと在り、この祭司長とは当時のユダヤ教徒の内でも高位に就く者であり、他人からは「信仰に厚い人」と見られ易い。その高位に就く者でさえこの様に、信仰に於いてすぐ間違いを犯すのである。なまじ信仰に就いての知識を持ち、その上で悪霊に支配されてしまえば、その知識と知恵を以て自分と人々を余計に惑わす様に成り、説得力を持ち、その上で力の無い者達より邪教に走り易い者と成る。この成り変わりに注意する事は、全てのクリスチャンに常に問われるのである。
パウロの持ち物は唯の持ち物であり、その持ち物自体には何の効力も無い。神様がパウロを遣わされ、そのパウロの手によって、身に付けて居る物によって異常な力を与え、悪霊を追い出す御力を与えられたからパウロはその事(奇跡)を為し、神様に遣わされる事に尽力したのである。祈りに依り信仰に歩まされ、その事を為した(成した)のである。正しい信仰を持つ事が、常にどの時代でも全ての人にとって大事と成る。
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【榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」】
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」 (youtube.com)
【「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」THE DAILY with Arthur Hollands 2024/6/24】
「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」THE DAILY with Arthur Hollands 2024/6/24 (youtube.com)
【Q366 クリスチャンはイスラエルを支持すべきですか。<3分でわかる!聖書>】
Q366 クリスチャンはイスラエルを支持すべきですか。【3分でわかる!聖書】 (youtube.com)
【どん底の男を羨ましがる牧師】
【喫茶店で上映されてる映画の感覚☕】【ドラマ小説】【ショートホラー系~心理ストーリー】どん底の男を羨ましがる牧師 A pastor envies a man at rock bottom #つみびと (youtube.com)