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~シャボン~(『夢時代』より)

~シャボン~
 蜃気楼が勝った〝靄の世界〟の内で俺は何を見てたんだろうか?何時しか途切れたあのワン・チャンス、数え切れない位の情緒の流れ、人の流れ、景色の流れ、風の流れ、地球を取り巻く宇宙の流れに迄辿り着く様な、もしかすると荘厳足るせせらぎでも見て居たのではないか、感じて居たのではあるまいか?しかしそうした「荘厳」は刹那の内に途切れて仕舞い、又闊達乏しい生活の謳歌が俺の周りで息付いて行く訳である。この「訳」とは一体誰が構築したものなのか。否、こんな未練がましい事をほざく我が姿こそ例えば〝物のあはれ〟を想わす無形の情であろうか。音がする部屋に私は居た。TVは付いて居ないのにTVから流れて来る様な欲望の嵐が我の足跡を遠くからとぼとぼ逡巡して我の元迄辿り着いた後、まるで酸欠状態に成った様にその体を前後左右へと揺らし始めて、私の衣服の裾にしがみ付く様にしながら遂に倒れて仕舞った。私は此処で沢山の知人を見、男女を見、ライフストリームを見、時間というものをこの手で転がす様にして弄んだ時期が在ったのじゃないか、と勘違う位の景色を眺めた事も在った。しかし、今、此処に誰も居らず、私から遠くに離れた〝帰去来〟の成した山の礫とでも言った望郷の園に於いて、我がやがてそこへ辿り着くだろう運命の機軸に目を沿わせながら既に予言して居る。「お前は必ず此処へ来るのだ」と、「お前は必ず此処へ来て我々の手を取り、エヴァンゲリオンの遺した未許可の〝山男〟の襲来をお前に按じて久しく、我が今生の麓迄には未だお前の車輪は走り、生き生きとした限りない栄光を掴む事が出来る夢の余韻も在るのだ」と、七転八倒して居た我の羽織を脱ぎ棄てさせて、あの者達は呟く。青空の下、私は何処へ行こうか、散々迷い、熱い命にこの手を翳した炎天の日の下の我の悪口憎音の姿を隈なく見て収め、我の変らぬ運命をその手中へと収めさせた一点の剛力が在る。空に在る。空の彼方からその剛力へと差す雲海の炎は茜色に成ってこの地上を照らして、一転する程の万世曲折を経て、今、此処に居る我が命の麓へ迄と、その身を保たせてやって来た訳だ。私はそう考えた。俺の際限なく流れ出た愚託の数々をこの世で煌めかせたまま、あの天使が勝った魅力の業はその姿へと次々に変えて、やがて人間が見えない荒島へと海を渡って行った様だ。なるべく、小鳥の囀りさえ聞える様にとこの身の体裁を整えて、私は、否俺は、際限無く拡がるあの天地万世、宇宙を奏でた星の帰郷迄見送りたいと、心から願ったものだ。「小説を書け」と知人の声在り。我は億尾にも出せない虚無に逆らって、その友人を家に招き入れようとしたが天声が聞えた様にその信念を変える事は許されず、我の才質の無さに就いてその眼は鼓動が早まる様に諦観の域へと埋没させられる事と相成った。
「小説等というものは書こうとして書けるものではなく、後から何者かに依って大成が図られる様にして成るものだ。そうして書き上がったものは後から主に依っては省みられず、唯ひっそりと他人の足元へと転がり果てて行く。そんな体裁を又他の誰かから悶々と見られた後でつい又我が元へとやって来る。還って来る訳ではなく、風が吹いて塵が舞って来る様に唯転がり着く訳である。書かねば成らない、とした気迫が何より大事で、作家は唯その時の心情を白紙に写して先へ先へと歩めば良いのである。何時しか何も書けなく成って仕舞った乞食の輩が才能を欲しがり続け、やがてはその態に陥った。禁断症状だと噂する者も居ようが、言わせて置けば良い事で、一人の作家のテリトリーには本来誰も入る事は出来ず、その領土とは手付かずの破片としてこの身に残り、作家も唯その形を見て居るだけである。若い頃から年老いた頃へとその身を移せば自ず人は成長と衰退というものを知り、人の儚さに就いてつい手記したくも成る。人が一生に於いて一度だけ作家に成るのは自ずその頃であり、人は又その一度切りしか作家に成れないのだ。女は万回男に成り、男は逆に然別、と言う。しかしこの世で男女は自ず絶対的にその身を変容させて成れない存在(もの)が在り、人は羨望を欲しがる。電車に乗ってバスに乗りたいと思う者はどれ程居るだろうか?ご飯を食べながらパンを欲しく思う者はどれ程か。煙草を吸いながら元の健康へ戻りたいと思う者はどれ位居るのだろうか、ボールペンを握って鉛筆を欲しがる者は数万人居るだろうか?〝ペンは剣より強し〟と言って或る時人は静なる武器を欲しがり、その功績が収める処を確かなものとしてこの世に示した。しかし、未だに暴力に肖ってその身を立てようとする者も居て、どちら付かずの浪人も又幾分に漏れず居るのである。性の中間を採って新たな人種に成る事を好みたがる者も居り、それ等の在り様は人間の欲情の謳歌を図るにはどれ程の辛酸を用意して居るのか、例えば何かに没頭して居る人には解らないものであり、又これも一重に人の謳歌の成す処であろう。神が何処かに居る、という。人間の悪がそれを欲しがったのだろうか、はた又既に何処かで用意されて、人が思春期に思惑を奏でる新緑の触手を伸ばして獲得出来た様に、その存在に気付く事が出来たのか。神は永遠なり、と言う。人にとって人の悪とは人がこの世で生きる以上矢張り永遠の物であるまいか。私は教習所で人がする行程を二度、詰り二倍の課程を以て尽力させられ、漸く皆が通常(ふつう)に持つバイクの免許と車の免許とをそれぞれ獲得出来た訳であり、私はその事に就いて、決して人より遠回りしたとは思わずに、これで事故を起こし辛く成るのなら儲けものだ、と思う様にして居た。これは自分にとって恐らく、必然だったのであり、空虚に富むこの世の諸情に就いて考えて見ても何のマイナスも浮ばない。金など又儲ければ良いのだ。否、信仰に生きて居れば金の廻りは向こうからやって来る訳であり、唯その日一日を懸命に成って働いて居れば、神が守ってくれ得る訳だ。私の場合、要所で神の存在が出て来る。教習所で私は何を習って来たのだろう。沢山、この世で通用する術を習って来た筈だが、この思考領域に入ると、それ等の項目はその体に斜線を入れられた様にして成りを潜めて仕舞う。背景が暗闇で在れば気付く事も出来ない程にその一本の断片が限りなく頼り無く見え、我が麓へと落ちて来る。私は今でも車で良く道を走る。何時しか走り過ぎて、見た事もない暗闇にこの身を迷い込ませる事があるような気が時々するのだ。走って居て疲れてくれば、程良いその体の疲れから容易く夜の眠りにつく時の事等難なく憶える事が出来、全力疾走して疲れた時に比べればより冷静に物事に就いて考える事が出来る。夜に見て居た夢の事等、のほほんと呑気に、一つの環境設定の由来、自分の言動の由来、他人が存在した事の理由等に就いてもつらつら思う事が出来、私のその書斎を荒らす者は居ない訳である。鏡に映った他人の姿が怖い時があり、私は良くさっき迄の現実の姿と行方を這う様にして追い求め、決して誰にも他言しない事を独り心に誓いながら、独房の様なこの書斎に於いて歴史に纏わり付いて来る珍事、夢の形相の事等に就いて思惑をひけらかし、又自然と考慮を交換して行く。」
私が見た夢は目下私だけのものとして在り、他人のものも恐らく然別、なのだろう。故に私は私が見た儘の物事に就いて記すのである。
 俺はもうずっと遠くの地に居眠って居る様にして在る大阪の地に居た。レトロマンスが俄かに漂い、否、徐に漂って、あの金色の港の風景さえ思い出させてくれる真っ赤な夕日が昇る町である。私が八歳に成って別の地へ移る迄に過した関電の社宅が在る場所に、自分が居り、始め、流暢に時が流れる他人と自分との風景や情景を眺めながら、稚拙な夢の悶絶に嫌々でも付いて行かねば成らないその時の自分の身の上を知り、襖を開けて中から自分の秘密の財宝でも取り出すかの様に心躍らせながら、泣く泣く自然に謳歌して行った訳である。白紙が一枚空から下りて来た。その物は矢張り生きて居り、私がそこに何か書き付けようとすると自分の気に入った文句しか受け付けずに、見る者にその体裁と内実共々、唾を吐き掛ける様にして先ず言葉の語尾を尻切れトンボにさせ、やがては記者が始めにその文字達の上に乗せたその内容迄もを進展するその思惑から遠い物に変えて仕舞って、やがては記者自らがその文字達を拭い去らす様にと働き掛けて来るのである。しかしその記者は根気良く又その白紙に、その時の自分が想う事をずっと書き続けて行き、とうとう一枚の原稿が仕上がった。どうやらその内容が、この夢の内で生きて来そうな気配が在った。
 その社宅は古びれた三つの自動車学校敷地に囲まれて居て、その敷地の内の一つの向こうに見えるものに、何処か遠くへ自分達を連れて行ってくれる様な長い坂が在った。社宅から北を向いて西側の敷地の向こうである。昭和の時代を思わせて来るその自動車学校はどんよりしたグレーの靄が掛かって居た様な、はた又黄砂が遠い中国大陸から遥々飛んで来た様な、地味な砂に巻かれた様な体裁を醸して居り、しかし私にはその光景がとても心地良かった。平成のクリアーな現代を生きて居る様な私にとっては、余りにクリアーに物事が見えて仕舞える鋭い精神への凶器といったものをひっくるめてその砂塵の中に持ち込んで行って紛らわせ、自分から見えなくする序でに他人の目からもその光景(情景)を同様に見せて、一つのパラダイスへと自分達を誘い、懐かしさと夢とが創り上げる自由で温かな安らぎの内で寝そべる事を夢見る癖が、密かに光り始めるのである。だからか、私の周りに集まったその夢の中の者達は皆笑顔を写したワン・シーンだけを私に見せて来て居て、辛い事を思い出させない何か強いオーラの様なものを纏って居た。その敷地の向こうの長い上り坂には、何時も生温かく心地良い、春の風の様な流れが在った。その流れは時に見えるものであり、まるで漫画等で風の流れを描いたあの線が所々歪曲してその地面の少し上辺りに引かれて在って、私はその線を跨いだり、態とぶつかって自然の共有を楽しんだり、兎に角実感する事で互いの接点を崇めて居た様子が在ったのだ。私はその奇妙に見えて、きちんと拵えてあった風の線が好きだった。その坂道から、否その坂道の上に覗く空からか、緩くも素早く、生温かな風が下りて来て、金色に光る何かのゴールの様な中から次に、その坂道を通って俺達が下りて来た。まるでこの夢の舞台のキャラクター達の登場である。先に下りて来た暖風は、俺達が坂を下りて一寸行くと在る社宅周りの環境設定を先ず構築し始め、俺達が何処へ行っても満足出来る様にと、まるで遠くで見守って居る母親の様に気を遣ってくれて、俺達はその優しさを当たり前の様に享受して、何時もの踊り場へ、遊び場へ、下りて来たのである。その内には小母ちゃんも沢山居たが、皆家事を一通り済ませた後の様に朗らかで余裕を醸し、後は旦那が帰って来て、此処で遊んで居る自分達の子供を家に連れ帰って楽しく晩御飯を食べて、わくわくする様なTVを観て、団欒する目的が残って居るだけ、とでもいった様な夏休みを前にして長い楽しみの時間を待って居る子供の心境を各々が又持って居る様であり、その輪の内に居た俺迄楽しく成った。私はこれ等の模様を客観的に見て楽しんで居る。他人との、現実との壁といった様な物が外されて、その〝社宅周り〟という一つの庭を皆の共有財産とでも出来たかの様な透き通った風景、情景、人間模様、人と自然との戯れ、とでも言った様な物をその生温かな風は俺に見せてくれて、恐らく周りに集った者達もその表情と言動の様子から、自分と同様の心境に居る様に思えた。そうした中でその一連の光景は俺に何かを考えさせた。この「何か」とは、平成の現実に居る俺に対してなのか、「早く此処へ戻れ」、「これ等の糧を以て今を生きろ」、等の思惑を屹立として立って居る私の思惑の根幹に吸い寄せられる様にして思わせるものであり、正解は分らなかったが、俺は唯、目前に現れたその楽しい風景と情景に埋もれる様にして楽しんで居た様だった。
 そうした夕日の内に現れた一つの楽しみの境遇がそのまま何の終着点も見ない内に俺の心身はそこから離れ、何処かの見慣れた旧家と繁華街をすっすっと通り過ぎた後、E教会の面々が出て来て楽しかった。どれも見た事がある人達(かおたち)であり、あの夕日での楽しさとは又違った楽しさだった。そう、私は子供の頃は、その場所、その場所での楽しみをまるでポケットに入れてストックでもするかの様に備え持って居て、ふとした時にその内の一つをポケットから取り出して眺めたり、又味わったりして、何度でもその時の自分に必要な生きる為の糧とでもいった様なものを得るのだ。空港には空港の、港には港の、自宅には自宅の、教会には教会の、社宅周りには社宅周りの、自動車学校には自動車学校の、大阪と京都の小学校、中学校、高校、大学、専門学校、職場…、に至る迄、その内で通った至る所で受けた情景を自分のものとして、自分とはた又他人も同様に楽しめる様な財産とする。その時自分の横に居るその他人が同じその過程を通って来た者なら尚更都合が良く共同して楽しみ易く成る訳であり、又、全く別の過程を経て来た者だったとしても、そこに同じくして生きて来られた人間として自然の内で人としての生命の謳歌を楽しみ、共有し合う事で、前者に(前者と)代わる楽しみを共に味わおうとする。故に教会、或いは教会の周辺で見る夢と、社宅、社宅周辺で見る夢とは又別の楽しい光景・情景が在り、それが広がって行く訳であって、自分は幾つもの〝楽しみの財産〟を得る事に成る訳であり、又その場違いなその「楽しみ」を羨ましく欲しがったりもする訳であろう。前原さんという、もう二十五年以上も昔に別れて会って居ない俺の親父よりも年輩の小父さんが、通って来た繁華街で何かの看板をじっと見上げて立って居るのを俺は見て居た。その時、何か口をもごもごさせて居るのかなぁ、なんて面持ちを以てその彼を眺めて居たが別段そんな事はなし、唯、真面目が通る界隈で、薬局か不動産が掲げる看板を純情に見上げて居た様だった。別に如何わしい店の看板でも、はた又サラ金屋の看板でもなさそうで、余計な心配をする必要もなさそうだった為、俺は少々の期待が外れてがっかりして居たが、その落胆は然程尾を引かなかった。その繁華街では打って変る様に空は晴れて居り、真新しい平成現代の新風を想わせる、見知らぬ億劫で不安を呈する新参の暴力が生きて居た様で在ったが、少し違った角度から覗くと、何時か見知った事が在る懐かしい洋の懐柔を呈した様な陽気な風景が巻き起こされて、アメリカ人が通ってそこにまるで異国の暖気を甦らせてくれ得る様な、恐怖を見付けさせない新風の内に在る風景にも見えて来るのである。俺はその後、幼少から少年時代を過した大阪のその社宅周辺から繁華街を練り歩く様にして徘徊し、父に良く連れて行って貰った銭湯へも足を延ばして居た。しかしその銭湯の内装は現実に於いて見た物とは違って居て、中に入って直ぐの所に脱衣所が在りその奥に浴間が在った筈が、その二つは二階へ上った所に在って、その光景はまるでE教会に見た三階の内装にそっくりだったのだ。人が入り乱れる様にして俺の前後に活気を設け、逆上せ上る前に俺は入浴後に良く飲んで居たキリンレモンを飲む時の清(すが)しさを思いながら唯その光景を眺めて居ようと良く良く自分に言い聞かせて居た様子である。まるで縁側の様に咲いた、その玄関から出た所に在る三メーター道路はグレー色のコンクリにその身を固めてひっそりと居り、その頭上に時々宙に止まっては又飛行する塩辛蜻蛉を侍らせて、俺がその光景に気付くのを知って居た気配が在る。俺は次々と矢継ぎ早にやって来る体(からだ)の垢をこそぎ落とさずにまるでそれが勲章でもあるかの様にして衒って居る中年、壮年連中の相手をしながらそれどころではなかったのかも知れないが、壁一つ挟んだその向うでそんなドラマに似せた様な光景をこの季節が為せるものか、と少し躊躇して己(おの)が心中で自分の真影(かげ)を飛ばして居た節が在る。どこからともなく入って来た深緑を早くも気付かせようとする唯の風が、一足早い夏の軟い匂いを足元の湿地に落して来た様だった。そう、俺はその場その場で都合好く、幾様にも自分の姿を変えて居た様だ。
 


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