~セカンドバッグ~(『夢時代』より)
~セカンドバッグ~
私はボクサーに成ろうとして居た。天気は快晴で慌ただしい人の群れが雑踏を掻き分けて入って来、私の心中を発狂させて行く様だ。変った幻想である。いつも見て居る春の日の陽気なのに、一向に変った気配の無いその街並みを見ては自分が今置かれて居る立場について考えさせられる。何事も練習、練習、と、息を弾ませて、何時か見た雨の中を走るあのCMに出て来た仔犬は自分の傍を走らぬものか、と、つい、躍起に成ってその気に成ろうとして居た。ゴ―ン、という鐘の撞く音が欲しいと思ったのはその時である。いつまでもこうしちゃ居れない、早く家へ帰っていつまでも放ったらかして居るあの教材を一つ処に合せて纏めなければ、あれこそ傑作だ、誰の手に届かないでももう良い、つい心にも無い事を呟いたりするが強ち(あながち)冗談でも無く、人の、自分の一生を考える時には、誰かに納得させる為に書く文章なんてェのは矢張り自分の性には合わない、なんてのたまう自分の心裏には、どこか心地良い一人の自由が在る訳である。「銀河鉄道の夜」(宮澤賢治)というのを昔観た事が在り、あの感動は未だ覚めないで、夜に星空を見上げて見ると矢張り子供心に童心を引き出し、敢えて満天の星空へと変えて、自分を見果てぬ宇宙の旅へと押し遣ろうとするのである。これは昔から一人に成るとやっていた自分の癖で在って、あの「銀河鉄道の夜」を観て以来、尚更「あっ、いいんだ」等と言う気分(雰囲気)に成ってしまい、私は良く、宮澤に感謝したものである。その一瞬では太宰や漱石よりも崇高な存在に宮澤が見えて美しく光り、まるで星の様に、一瞬流れ星にでも成って、この俺を楽しませてくれるものか、等と期待までさせられる様子が在る。田圃通りなんかを程良く歩くと、一人でも、そうしたロマンスに浸り切ってしまい、今と成ると、否一人きりの方が自分らしい、良いロマンスに浸る事が出来て居るのではなかろうか、等とつい、苦笑しながらも極論を覚えた様に私の心は程良く緩まる。つい、又、胸の苦しみも、つっかえて居た物が取れるかの様にして綺麗さっぱり、あの川に流れて行く様なのだ。そんな光景と情景とを、あの作品は私に何十回、もしかすると何百回も見せてくれて居た。ギリギリのラインに立って、この現実に向き合う時、私はそうした純粋無垢なロマンスの行方をいつも捜し当てようとする。
口は開いたか、と思ったら又思いも寄らぬ事を喋って仕舞って、要を得ない自分の表情(かお)を相手に徐に見せ付ける事と成ってしまい、私は幾段も躊躇した憶えが在る。次の電車に乗る切符を買うのに躊躇する様に、私は自ら行き先を分かって居ても、分からなくさせられ、やがて自分で忘れて仕舞った、と思い込む様に成ってしまう。白い壁に書いた文字を見ながら、この白紙に書く文字とどこが異なるのか、と真剣に考え続けた事が在る。或る人は物を作る時、何か、音楽や場所から出で立ちを放つ事を期待して作ると言うが、私はそれ等をやると一向にそちらの方へと注意力を奪われて仕舞って、何も動けず、ピクリとも書けなく成って仕舞う事が良く在るのだ。しかし若い、十代の頃には、そうした手法で良く物を書いて居た。あれがもう今では出来ぬのか、等と思うと、少々悔しくも在るが、同時に、何故あんな事が今更出来るのか?と、老年の輩が同じくそうした手法で物を作る、かく、事をして居るのを見る度に心底不思議に思って仕舞うのである。どうしても私には「美徳のよろめき」、というのは描けぬらしい。あれは創作文にすら成らない一介の技師が成した一古美術品の様な物で在り、私には何も新しい事も、又感動も無く、唯、三島の屈託の無い退屈な右翼思想に燃え猛った様な、究極の美談を軒並み愛する様に眺めて仕舞うのである。夕暮れに咲いた一輪の花の方がまだ純粋で綺麗だと、三島の表情を見る度に拙くも私は考え込んで仕舞うのである。電車はどうも私をボクシングが盛んな街に下ろした様で、下りれば、所狭しと貼られた〝今夜の試合を伝える広告〟やボクサーの顔が並んだスナップ写真の様な、又、ビラの様な、細かな詳細等は書いて居ない半ピラの紙が、道端や壁に落ちる様にして貼られて在った。場所はどうも東京の様であるがその時の私は酷く疲れて居り、何か生きる事への覇気さえ湧かないで、その噎せ返る様な灼熱の為か、自分が何時、何処に居るか等一切考えず、もしかすると、敢えて聞きたくない自分が居た為かも知れない程に、矢張り街の雑踏は私の生気の様なものを奪って行く様だった。何かメモ用紙にヒチャクチャペチャクタと白い糊代を拡げた様な駄文をちまくま書いて居た様子で在ったがそんな状況・状態で私は何も憶えちゃ居ない。
駅に着き、私は駅の外へ出た。月がとても大きく、満丸ぁるく空に乗っかって居る様に出て居るのかと思いきや、ビアガーデンのキリンのマークで在って、確かに出た矢先のそこは建物のポーチコの様な梁の所為で程良く薄暗かった。時間を知らない私は当然時計も持って居らず、一攫千金を目立つ場所で貰おうとするが如く、自分の行くべき場所へ唯向かって歩いた。不思議と、その駅を出てあの〝月〟を見た途端に〝自分の行く場所〟が見えた気がして、私は何か歓楽街の様で場末の溝端(どぶばた)市場の様な色々な匂いの密集した様な煤けた、捻くれ者の多い様子の溜り場へ入って行った。そこには私が長年、勝手に〝親友〟と呼び続けた旧友が居て、二十年来付かず離れずの体裁を守った奴が居て、俺を〝コーチしてやる〟と言って以前手紙を寄越して来たのを思い出したのだ。そいつは別にビールが好きという訳じゃなかったが、何時も何かで調子が出て来た時は、まるで何時ぞや見た、ビールを呑んで目の周りがパンダみたいに赤く成るのを知って居り、その所為で私はきっと、あの看板を見た時に思い出して居たのかも知れぬ。
古惚けたオフィスビルの様な建物の二階に俺は入って行った。〝バシン!バシン!ドン!!ドタラタタ…!〟と色々様々な木霊が聞こえながらもその狭そうな一室からは人の声が一切聞こえない。まるで物が独りでに動いて何か障壁にでも勝手に打つかって居る様な音が光景が、その時の俺の脳裏を過った。しかし、人の気配はして居る。ギィ…っと扉を開けて入ったらモヤァ…っと人が、始め残像の様に姿と色と容姿を織り成し始めて現れ、次に〝ガヤガヤ…ガヤガヤガヤ!〟と、まるで俺の為だけにその空間が用意された様に物語を作って行った。俺はそこが夢の中だからか、泥濘に嵌ったその片足をそのままにして置こうと、引き上げる事はせず、段々と心境深まりつつ在るこれから始まる長い〝人生レース〟に態と調子と体裁とを合わせて、誰が自分の所へ来ても良い様にと、又笑顔を繕って見せて居た。別に辺りには、未だ誰も近寄って来ては居なかったのだが…。
パンダの顔した旧友のTが俺の傍までやって来て、準備万端の俺に、〝バンダム級からやったら今直ぐからでも始められるけどどうする?〟と問うて来た。此処へ来て俺は初めてボクシングの事等何も知らない事に徐に気付かされた様子で、「うん、お前の良い様にしてくれ」とだけ返事をし、その後はこれと言って何も言わなかった。〝言わなかった〟と言うよりは、まま、言えなかった訳である。コーチはあっち行きこっち行きして居る。白いタオルが、セコンドが立つ位置から何枚も投げ込まれて居た様子で、俺は、〝もう終わりか〟と先走ったが、何故かそれが勝負の合図だった様で、俺は口にマウスピースを嵌め込まれ、独りでリングに立ち尽し、孤独と戦う事に成って居た様だった。セコンドから「俺がコーチしたるわ」と言ったTが目を丸くして輝かせ勝負の行方の見逃すまい、と覗く様にして見て居る。〝カーン〟と一回目のゴングが鳴り、俺は誰も居ないリング上のコーナーへ引き下がらされた。レフェリーは何故か又、このチャイムの様な〝ゴング〟が鳴った時にだけ何処からともなく、恐らく客席から出て来てリングへと上がって来る様で、又一分半の休憩が終わったら〝ついで〟の様にリング横に備え付けて在るゴングを鳴らす用の紐を片手で引き、〝カーン〟と鳴らしてから又そそくさと観客席の方へ向かって帰って行く。まるで何かに取り憑かれて反動して返って行く様な体裁に俺からは見えて居た。二回目の〝カーン〟が鳴っても果して一向に誰も立ち向かっては来ず、私はそんな事を、恐らく十五回以上繰り返して居た様に思う。「この、ボクシングの試合って確か、十五Rまでじゃなかったか?」と言う俺の質問にも最早誰も応える者は居ないで、客席は一定の騒音を奏でて喚こうとも客同士が掴み合おうともせず、生気が無いみたいに大人しく、唯Tだけが目を丸くして俺と何かの試合の行方を態とらしく緊張して覗く様に見て居るのだ。そんな静かなムードの中で一人だけ元気が良かったTはその独特の活気の所為か、色々と姿を変え、私がそのTと昔遊んだ時には殆ど必ず一緒に連れ立って遊んで居たYに成り、次には、私が一時、そのトークと雰囲気(aura)の面白さで魅了されて居たAアナウンサーに変って居た。私は又、当然の様にその変身を面白がって受け入れて居た。
結局、いつしかそのリングには人だかりが出来て居た様で、試合は終わって居た。まるで観る者が居なく成った為終了させられた様な、そんな調子でも在った。でも俺は、〝俺がすべき事が此処で終わったから、この試合は幕を下ろしたんだ〟と密かに、本気で思い込み、又、信じて居た。
俺は次の瞬間ロッカーへも行かないでもう着替えて居り、在宅介護士を称してM氏宅にお邪魔して居た。M氏は私とあの神の施設で出会った時に比べて少々元気がなくなって居た様子で、口数が思ったよりも未だ少なく、私は少し、物足りなさを感じて居た。〝介護〟にではなく、人として、の物足りなさである。〝もっと自分にとって都合の良い刺激が欲しい〟、そんな事まで考える余裕が自分には在ったのだ。M氏の口数が減るのは老衰以外では当然かも知れない。私は後で少しだけ改悛をした。
口元から一筋の血を流しながら我は、〝豪華客船、船の旅〟と称する(何処かの会社が催して居た)クルーズに参加する事と成った。ボクサーが良く持つ頭陀袋を自身のサンドバッグの様に右肩、左肩、と交互に抱え込み、その軽い様で重い漆喰の様な足枷に酷く惨らされた様子で私は、船の甲板で太陽と潮風を煽りながら項垂れた。人は沢山居た様だが、余り自分を見て居なかったのが良かったらしい。私は文字通りに、〝群れ〟に紛れる事が出来た訳である。白紙の心の中に、又一つ妙な面影の様な人の顔をイメージ出来た。これで良し、として、次に私は思い切って寝転んだ。矢張り誰も来ない。空気が静かで動かないので、私は口元の血が完全に流れ出て来ないのを確認する迄、大の字に成って、寝転んで居たのである。私はその時も人と喋らなかったので、このクルーズ(船の旅)がどういう会社の催し物かずっと分からなかった。何処の看板にもそんな情報が書かれて居ないのは夢の内にて既に知って居り、何か、私は虚無という舞台上で試されて居る様でも在った。別段そんな事を思う根拠は無く、唯その様に感じて居た訳である。
どっか遠くでワイワイガヤガヤと人々の騒めく声々がして、私はふと起き上がり、又頭陀袋を引き摺って、声のする方へ悠々と向かって行った。雨が降らないで本当に良かったと思った。私が寝て居た場所は船尾か船首で在り、船がどっちの方向へ向かって走って居るのかさえも分からず、しかし、それでも良いと私はして居り、唯それでも、その船上で起る事には、相応の興味を持って居た様だった。人だかりに着くと、何でもお笑いコンビが芸をして居るらしく、若き日のとんねるずが海に落ちそうな甲板から突き出た細い板舞台の上で、下半身にパンツ一丁の姿でコントをして居た。〝この人等のコントはいつも、否、時折命懸けやなァ…昔はよくこんな体張って小さいコントでもやって居たっけ〟と、自然の流れには逆らえずに老いて行く人体の摂理に気遣いながらにも私は、半ばとんねるずの二人を罵倒して居た。〝下らない、しょうもない芸を今更前へ出て見せるな〟、と一端の口を利く振りをして心中でゴニョゴモ言って居た。当然そんな事こんな群衆の前では億尾にも出せず、手付けずで取って置くしか無かったのだが、慣れぬ事をすると却って自分が虚しく成るのは以前から知って居り、私はそれでもこの〝とんねるず〟を良し、として居た。次に漫才が始まった。とんねるずが漫才をやって居る、それだけでも既に新鮮だったが、その主は二人して転々と変わり、吉本芸人が、安い、ちゃちく下劣な扇動に無理矢理背中を押されて勢いだけで人前に出て来た様にきょとんとしながらも、持ち前の大胆不敵を以て指揮を執り始め、観て居た客の内から何人かを引き抜き、客も参加型の温い宴会場の様な雰囲気を醸し出した。引き抜いたカップル同士をシャッフルして織り交ぜ、〝氷のマイク〟をカップルが次々に舐めまくる、といった見るからに下品なネタをさせて居た。緊張は暴力に依る緊張へと変わって行き、下品でしかなかった吉本を、私は益々嫌った。
又次の瞬間に私は、見知らぬが何処かデジャブを漂わす誰かの家に居た。一応、自分の家、という事に成って居る。母親と、誰かは知らぬが恐らく母の知り合いのメイド(初老)が居て、母親はキッチン、初老は台所に居て、二人共何か険悪なムードの内に居た。二人共、何か余程の用事が無い限り全く話さず、又、私が二人に話し掛けても二人は全く私に対しても応えてくれない。私は二人を呪った。が、そんな中でも、私の母親は自分の意思を以て微妙に瞳を動かし、何かを確認しながら次の言動を決めるといったそんな生き方を見て居ると、矢張り私はそんな母親を堪らなく愛して居た。そうして居る内に私に、中学の頃の同級の女で在った中岡から電話が入り、待ち合わせをして会いましょう、という事に成った。良い予感がして私は、ぎくしゃくしながらも期待して、その待ち合わせ場所へと向かった。中岡に会い、程良い雰囲気と成った処で私は中岡に肩を抱いたまま開脚をさせて見た。中岡は男で在った。妙な気分が、私を過って居た。