【アップ】男山教会2023年5月21日礼拝説教/讃美歌やMynoteもあります
【本日の礼拝メッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=s2jvTxdj6Pg&feature=youtu.be
【アメーバブログ】
聖書や讃美歌の内容などは、こちらのブログより閲覧できます。
ぜひお気軽にお立ち寄り下さい^^
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前奏
招詞
コロサイの信徒への手紙 3章1~4節
頌 栄
たたえよ、主の民[こ改25]
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問36
「神さまの子どもとされる」
こどもさんびか
ひかりのことになるため [改121(3節)]
牧会 祈祷
讃 美 歌 304番
聖書
ヨハネによる福音書16章7~13節(新約P200)
詩編51編1~14節(旧約P884)
説 教
「真理の霊が来る時
~罪と義と裁きを正す弁護者」
宮武輝彦
祈 祷
讃 美 歌 500番
みことばの交読文
テモテ一3章14~16節
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 541番
祝 祷
報 告
讃美歌~♬
讃美歌304番(歌詞付)54年版「真実なるみ神を」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=KgMlMZ9kCow
真実なるみかみを たのめるもののみ、
岩の上に家をば 建てしひとのごと、
なやみのときにも 動くことなからん。
アーメン
(ブログを見て下さると歌詞を閲覧できます)
「御霊なる清き神」讃美歌500
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MIu6vzHRG5s
1
御霊なるきよき神 我が弱き魂を
主のもとに導きて 隠れしめたまえかし
御霊よ 御霊よ 我が霊ぞ 憧れる
すがりまつる手をばとりて 主に導きたまえかし
2
おののける手を捧ぐ 願わくはとりたまえ
御恵の君ならで 誰かよく主を示さん
御霊よ 御霊よ 我が霊ぞ 憧れる
すがりまつる手をばとりて 主に導きたまえかし
3
価なき我が身をも 涙なく死もあらぬ
とこしえのみ国へと 君はしも入れたまわん
御霊よ 御霊よ 我が霊ぞ 憧れる
すがりまつる手をばとりて 主に導きたまえかし
2023年5月21日 礼拝説教 中心聖句
その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
ヨハネによる福音書16章8節
神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
詩編51編12,13節
はじめに
キリストの救いを「罪と義と裁き」を弁護する方、聖霊の働きから学ぶ。
1
「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる」とは、主イエスが、世の憎しみと迫害の中、ご自身を遣わされた御父のもとに行こうとされていることの予告。それは、「あなたがたのためになる」と言われているとおり、その心が悲しみで満たされていた弟子たちのために言われた。それは、「わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないから」。「わたしが行けば、弁護者(慰め主、助け主)をあなたがたのところに送る」と、主イエスは約束された。この弁護者こそ、父と子と聖霊なる神と呼ばれる、三位一体の神の第三位格でいます、聖霊。この「方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする」。聖霊は、聞く人の良心を正す(ヨハネ8章9節)。
2
①「罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと」とは、「世」が、「罪人たち」のことであり、それは、自らを正しいとする人たちを含むことを明らかにする。罪の本質は「イエスへの」不信仰。しかも、それは、自ら神を信じていることを自認する人を含む。イエスは、神への冒涜を口実に、ねたみと憎しみと殺意を抱く者たちにより、また、彼らに扇動された「十字架につけよ」との群衆の声の中、ポンテオピラトによって、十字架刑に引き渡された。十字架につけられたイエスを、わたしの罪からの救い主、キリストと信じることへ導いてくださるのは、弁護者でいます、聖霊の働き。聖霊は、続いて、②「義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがたもはやわたしを見なくなること」と言われるとおり、キリストが成し遂げられた、十字架(贖い)と復活(新生)と昇天(栄光)の御業を明らかにされる。聖霊なる神は、事実、主イエスを信じる信仰を与え、キリストの贖いと命と栄光を与えてくださる。③「また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されること」。この「この世の支配者」とは、為政者と宗教的指導者たちや、ある種の世界的流行の発信者ではなく、絶えず、真の神とキリストに真っ向から反抗する悪魔(サタン)のこと。「光よりも闇の方を好んだ。それがもう裁きになっている」(ヨハネ3章19節)
3
「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解(元は、「耐えること」)できない」とは、今は、離別(死別)の悲しみが心を支配している弟子たちには無理な耐えられない事。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことどく悟らせる」。事実、復活と聖霊降臨の日には、主イエスの霊とも言える聖霊の働きによって、十字架の苦しみが、説き明かされる日が来ることを指し示す。「その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるから」。聖霊は、絶えず、御父と御子の霊として、「聞いたこと」つまり、聖書の証しするキリストを語り、「これから起こること」つまり、キリストの御業を告げる。それは、神の恵みの支配における福音の宣教とキリストの教会のこと。悪魔は、偽りを言う(ヨハネ8章44節)。
おわりに
罪を、「わたしの前に」神に背くことと自覚するとき、わたしたちは、罪の赦しを全面的に願う。「清い心」「新しく確かな霊」は、真の悔い改めの心と霊。
(Mynote)
二〇二三年五月二一日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
〈子供メッセージ〉
『子供と親のカテキズム 問三六』
「私達の内に与えられる救いとはどのようなものですか」
「神様は、イエス様の贖いによって罪人である私達を無罪と宣言し、全ての罪を赦し、永遠の命を与え、神様の子供として受け入れて下さいます。ですから、喜びと感謝に溢れて『私達の天のお父様』とお呼びします」
〈公同礼拝〉
『ヨハネによる福音書』(第一六章七〜一三節)
『詩篇』(第五一篇一〜一四節)
この『ヨハネによる福音書』の箇所では、イエス様が弟子達を始め、人々に「自分がこれから神様(天の父)の元に帰る事」を伝えると共に、地上に残すべき福音の源、人々が信じ、その信仰に基づいて生活して行ける様に準備をされて居る所である。
「私が去って行く事は、あなた方の益になるのだ」「私が去って行かなければ、あなた方の所に助け主は来ないであろう」「罪についてと言ったのは、彼等が私を信じないからである」「義(主の業)についてと言ったのは、私が父の身許に行き、あなた方は、もはや私を見なくなるからである」「裁きについてと言ったのは、この世の君(権力者)が裁かれるからである」。これ等の事をイエス様は弟子達を始め人々に教えられた。
この世の裁きは法律に基づいて行われる。でもその裁きが間違いだと、イエス様はここで言われて居る。これはこの世で生活する人々にとって大変な事になろう。この世の決まり(法律も含め)は全て人が決めて居る事だとすれば、もともと罪人である人間だけの業である為、その決め事(法律含め)が間違って居る場合も当然あると言う事?大事は、神様が全ての人に教えられた法律(決め事)であり、人に教えられた正義(御言葉)である。そして「これはしては成らない」とされた罪による行動である。
ここでイエス様が何を言われて居るか?…これを深く吟味し、考え、正しく覚える事が大事にある。
「私が去って行く事はあなた方の益になる(あなた方の為になる)」この事を全ての人は先ず認めなければならない。ここでは同時にまた悲しみについても教えられて居る。「助け主」とは「弁護者」の事である。弁護者とはこの地上で言えば裁判を思い起こされ、弁護士を連想するだろう。この解釈でも良い。その弁護する者が正義に無ければ、それに携わる全ての人は困る事になる。その正しい弁護者は、イエス様がこの世を去る事により後で現れると言う。これは再臨の時、或いはそれ迄に神様から送られる、正義の弁護者となる。この正しい弁護者が神様から人々に送られる事が、ここではっきり明記されて居る。そしてその時に世の過ちを明らかにして、正して下さると約束される。この事を知る程に信じる必要がある。
貫通を犯した女をネタに取り、多くの律法に携わる者達がイエス様の所へ来て、「この女をどうすべきか?」とイエス様に問うた。これはイエス様を捕える口実を得る為の行動である。イエス様はそのとき指で地面に何か書いて居られ、それから「この中で一度も罪を犯して居ない者が、先ずこの女に石を投げなさい」と言われた。するとイエス様を試して捕えようとして居た人々は良心が正された上、年長者から順番にそこを去り始め、その女の前には誰も居なくなった(『ヨハネによる福音書』第八章一〜一一節)。(日本語訳ではこの箇所の「良心が正されて」と言う一文が落とされて居り、原典ではこう記されて居る)。
人の世の法律は、例えば国により変わる。二次大戦時でも日本ではそれまで、永久戦犯として裁かれた人達が国をリードして裁かれなかった。でもアメリカが日本を占領した途端、そのアメリカの法律により彼等は裁かれた。この様に人間が自分達で取り決めた法律(律法)は曖昧な土台しか持たない。いつどの様な場合でもその土台が揺るがない法律(律法)が、神様から人間に与えられるものであり、その裁きが、イエス様が去った後にやって来る(助け主が来る)と成る。
この世で神様に真っ向から逆らう者はサタンである。サタンはその「助け主」の事も否定して人間を誑かし、自分を信じる様にと世を動かし、とにかく人間を神様の側から引き離そうとする。この事に注意せねばならない。
「世の中の人々は光より闇の方を好む。これがもう裁きになって居る」(『ヨハネによる福音書』第三章一六〜二一説を参照の事)
闇を好むから罪が横行し、サタンの業が人々を支配して居る様に見える。この事が人々の絶望や悲しみを思わすものになる。しかしイエス様は既に世に勝って居る(『ヨハネによる福音書』第一六章三三節)。このサタンも最後の裁きの時に、過ちが正される事と同時に裁かれ、滅びる事に成る。この事を全ての人々(兄弟姉妹)は知る程に信じる事が大事にある。
〈御言葉の交読文〉
テモテ一3章14~16節
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
「マラナタ―ジーザスの約束が私たちを導く」
THE DAILY with Arthur Hollands 2022/05/25
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=_ni-WGkVfEg
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
DQ3BGM:ピラミッド@15分・SFC版
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=5iBAcdW204E&list=RD5iBAcdW204E&start_radio=1
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
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