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「夕暮れの背中」~復活の半生(はんしょう)より

タイトル:「夕暮れの背中」~復活の半生(はんしょう)より

イントロ〜

あなたは日常で生活して居て、いろんなものを見聞きし、思うと思います。
いろんな物事、身の周りに起きていること、それは一体何でしょうか?人生って一体何なんでしょうね。
少し1人の部屋で、考えてみる必要があるのかもしれません。
今回は、幾つかの日常のエピソードを集めてみました。ほろっと感動するものから怖いものまで、いろいろです。少しでも糧に成ればと思います。

メインシナリオ〜

「500と10の違い」

あるところに女の子が居て、その子の母親が入院していた。
その子は小学生に上がってすぐの時。
おばさんがその子の勉強を見ていた。ちょうど算数の勉強。
おばさん「500と10点どっちが大きい?」数字のこと。
女の子「こっち」
何度聞いてもその子は10の方を指差す。
おばさん「違うでしょ?もう1回」
でも、何度聞いてもその子から同じ答えしか返ってこない。
500より10の方が大きい。
あまりに同じ答えが返ってくるから少し不思議に思い、おばさんはその子に聞いてみた。するとその子は、
「10円入れたらお母さんの声が聞けるから」と答えたと言う。
これは少し昔の話で。

「夜中の天井」

夜中。ベッドに寝ていてふと手を伸ばす。天井に向けて手を突き上げるように差し伸ばす。
その時ハッと思った。もしかしてこの祈りに応え、天使のような光が降りてくるかもしれない。
怖いと思ったのだ。子供の時はこんなこと考えなかったのに。

「続:夜中の天井」

夜中。ベッドに寝ていてふと手を伸ばす。天井に向けて手を突き上げるように差し伸ばす。
その時また思う。もしかすると本当に光が差し込み、今の自分を天に引き上げてくれるかもしれないと。
昔は確かに怖いと思ったが、今はそう思わない。こんなに世の中が苦しいのなら、生かされながらにして不安と恐怖と苦しみに喘ぐなら、今すぐ引き上げてほしいと。
ここまで生かされてきて、この歳になったからこそ、こう思うことができる。その人は感謝した。

「花」

ある女の人が病弱にあり、1人部屋のベッドに寝そべりながら花を見ている。
その時、その花にまつわるエピソードを思い出していた。人から聞いたことである。
「その花は、光が差す方にしか顔を向けない。つまり太陽が差し込めばその花は咲く。」
その女の人はまた思った。春、夏、秋、冬、どれも愛することができたら良いのに。

「つるぎの勢い漲り溢れ…」

彼はまた思った。世間から帰ってきた時のこと。
「つるぎの勢い漲り溢れ、家の内には死の様なものがある」。

「チビ」

その男の子の家にはチビという愛犬が居た。そのチビは雷がひどく怖いらしく、雨が降り、雷が鳴った時には、いつも玄関でキャンキャン鳴いていた。
でもそのチビの声はもう聞こえない。やはりそのことを寂しく悲しく思った。聖書が傍らにあるのに。

「躊躇」

彼はまだ躊躇して居た。神様の使徒として遣わされること、これを本当は心から願っているのに「今はまだ…」た躊躇していたのである。
そうされることで、もしかすると五体満足じゃなくなり、目に見えて、感じる形で、今より窮地に陥らされることになるかもしれない…そう思う恐怖と不安が彼の内にまだあったから。

「大きな壁と命」

彼女の前には大きな壁があった。それと同時に彼女の前には、見る影もないほど小さな虫が居た。羽虫である。
まぁ壁と言っても何の事は無い、鉛筆削りの壁である。彼女はふと思い、その鉛筆削りを右から左に退(の)けてみた。手で持って動かしたのだ。簡単に動く。
次に虫を見て、鉛筆の先で動かしてやろうと思った。でもその虫は動かず、歯向かったのだ。

「イエス様の言葉が今も響く」

十字架につけられたイエス様のもう片方に居たあの盗賊。彼は「パラダイスにお着きになったら、私のことを思い出してください」と言い、自分を救ってくれとは言わなかった。
でも彼のその言葉を聞きイエス様は「はっきり言っておく。あなたは今日、私と共にパラダイスに居る」と言われた。
その盗賊は、世間では最後まで罪人と定められた。だからこそ磔刑に処されたのである。
その彼がイエス様により救われた。最後の最後で救われたのだ。これに自分を見ることがある。
多くの人もきっと、そうではなかろうか。罪人繋がりだ。兄弟姉妹であると同時に、皆罪人である。罪が無いのはイエス様だけである。

まずは初回なのでこの辺りで。
最後に、信仰に救われた或る男女のエピソードをお届けしましょう。

「ホテルに入った男女に起きたエピソード」

そこに聖書があった。男は営みを終えた後、その聖書を読んだ。興味本位で読んだのである。
しかし聖書の御言葉に捕えられた。これは即ち、神様にその瞬間、その男が捕えられたと言う事である。
そして男は聖書の御言葉を見入る様に読みながら泣いた。女がトイレから帰って来た。その男の様子を見て女も興味を持った。
実はこの女は、クリスチャンホームに生まれ育って居り、その事をそれまで男に隠して居た。それ以前に、自分がクリスチャンである事により、迫害の様な事を受けた経験があったからだ。
「あの人はクリスチャンだから気を付けろ、近寄るな、洗脳されるぞ」そんな事を言われた経験がその女にあった。
そして心が満たされて行く感動の余り、泣いて居たその男を見て、女は嬉しくなった。そして「今度、その教会に一緒に行ってみない?」と自分の彼氏であるその男を誘った。
男は頷いた。「俺、こんなのとはずっと無縁だと思ってたけど、不思議なもんだなぁ。一瞬でこんな気持ちにさせられるなんて」。
その男はこれ迄、汚れた世間を這いずり廻る様に歩き、自分の罪の膨大さと奥行き、自分の罪深さを思い知らされて居た。
「実は私、これまで黙ってたけど、クリスチャンホームに育ってたの。私の母さんがクリスチャンでね…」女はそこで初めて男に、自分の身の上を明かした。それまで隠して居た正直の告白である。
そして又「教会へ行ってみない?」と女は男に聞く。「でも近くに教会なんてあったっけ?」と男が女に言う。「だから私がいつも行ってる教会が近くにあるから、そこに連れてってあげるよ」と女は応えた。
「一緒に行く人が居て、それがあなたで良かった」と女は言った。男はやはり嬉しくなって、黙って頷いた。
…はぁ、こんな素晴らしいエピソードを聞いたら俺は泣いてしまう。こんな女(ひと)と出逢いたかった。
でも全ては神様の御計画の内の事。落ち込んでは成らない。泣いては成らない。この先に、必ずこの人生を通して、神様が与えられる報いと恵みが在る。
それを信じて、信仰に一途に成り、ただ福音の為、神様が喜ばれる仕事を成す歯車の一つと成る為に、そうさせられる様に、祈り願い、その事に最大の喜びを知るのである。

動画はこちら(^^♪
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