~センセーション~(『夢時代』より)
~センセーション~
「俗世の女」と題して、〝モテる事はしんどい〟、〝結局この世の女は裏切る事が在る〟、〝同じ事の繰り返しをして居る〟、〝絶えず男は女に捨てられまいと気を遣わねば成らない―若い児の妄想―〟、〝(先述に続いて)が、出来れば出来たで余計な悩みが増えちゃう〟、〝結婚しても不倫が無く成る兆しの保証は無い〟、〝子供が出来れば養育費が掛かり自分の為だけに使える金は極限られて来る〟、〝働き過ぎる位に働かなきゃ駄目に成る〟、〝仕事を辞める事は出来ず、辞めれば辞めたで余計に又鬱陶しい程のレッテルが付き、生活に穏やかさが無く成って仕舞う〟、〝扶養者が無駄に増えた気がして、自分の物でも無いかも知れぬと慌てふためく算段を又此処で繰り返し、それでも一生を掛けて働かなければ成らなく成るな、と自ず人としての墓場迄の宿命を一層彼等からやって来るものとして勘違う〟、〝俗世の女は不要なもの。良い物は良いが、矢張り不要な物〟、〝何を考えて居るかも解らない俗世の女を「嫁」に迎えて一つ屋根の下で暮らせる男女の心境が解らない〟、〝嫁に成った女に、子供に、働け、働け、と結婚後も暖かい穴倉の内で催促されて働き続ける〟、〝俗世の肉は臭い〟、〝今の世の中、女が消えた〟、〝俺は俗世の女が、男が、駄目なんだ〟、(はた又、行を変えて)〝最近のもの、皆、緩和して行く様に思える〟、〝学生が自分の思考の渦に呑まれて行く〟、〝この世に於いて俺が生きようとする生き方をすると、俺は孤独に成ら去るを得ないのである〟、(「仕事」と題して以下―)〝俺が無事にこの世で未だ生きて居る処を見ると、俺には未だこの世で神から託された何かするべき事が在りそうだ〟、〝神から「帰れ我が元に」と言われれば、この世の全てを捨てて一目散に駆けて行きたいが、果して、俺に出来るだろうか〟――。この様な妄想に取り憑かれながらその延長上で見た夢の話である。
武田鉄矢と同じクラスに成り、虐めっ子が恐れられて居たそのクラスで俺は授業を受けて居た。その場所は大学の様で在り又中学の様でも在った。
授業の終わり頃から、武田鉄矢がフルートの様なか細くも良く通る美声・奇声を放ち、その声を録音した後そのテープを流しそれに沿う形で再度唄い始めて居た。矢張りその声は隣のクラス迄聞える程に大きなものだった様子で、その、歌についての何か感想めいた事を言ってるのが丁度朝の廊下の窓ガラスに反射する形で私のクラス迄届いた。私はこの武田鉄矢と同一視されるのが嫌で、少し距離を空けたいと願って居たが、それ程気にせずとも良かったらしく、前に出て黒板を消す時の自分の背後の視線の様に、誰も私には注意を向けて居ない様だった。私はその、未だ続く武田鉄矢の録音再生の音、歌声に、そろそろ担任から咎められるのではないかと危惧して居たのだが、その先生は厳しそうな人では在ったが、一向に怒らず、唯、視線は時折私に向けられて居た様だった。かくしてそのまま授業は終了した。狭い空間でキャッチボールをするかの様に人々の息遣いは既に硬直して自由を失って居た様で在り、空と、外を飛ぶモンシロチョウの鱗粉が、遠くから差して居る太陽の光に反射して時々眩しく光って居たのが印象的で在った。頗る体調が良いスレンダーな僕は、このまま鉄矢が鳴らして居たカット版の様なおニューのクロスワードが入ったノートと、羅針盤を手にしてすっと呆けて居るカセットテープを手にしてこのまま帰ろうかと試みたが矢張り素直には出来なかった様子で、結構暗かった心境が相俟って、頗る良かった体調とは裏腹に、僕はこの状況に終止符を打つ事にした。その担当教師は途中からD大で教鞭を振るう、口数の多いK谷に変って居た気がする。顔は横顔をちらちらと空気が流れる程にちょこまか覗かせるが、肝心な部分は覗かせない苛立つ様な区切りが在った。
暫く仲の良い空間がそこに流れたが、又間の悪い硬直した様な鉄矢の録音テープと奇声が流れて〝流石にこれは怒るだろう〟等と高を括って居た私では在ったが矢張り此処でも怒らず、K谷教授はちらちらと私の方を一瞥ずつしながらにでも授業の後始末をし始めて居たらしい。クラスの生徒、又、学生達は、何も知らないのがルールとして看板として在るのだ、と云わんばかりに皆大人しく、各々の世界で口笛吹きながら唯の窮乏した色仕掛けに最果てを見て居た。その後、相応の辛酸をも舐めて居た様だ。此処迄を見て、俺は矢張りその場所は大学だと悟った。
俺の背後にX-Japanのヨシキが居り、俺は急な焦燥に駆られた様で、〝あんな鉄矢に良い様に振舞われて、大胆な言動を見せ付けられたら俺だって何か新しい事をして花を咲かせたいもんだ〟として、自分もああ成れる様に、あれ以上に成れる様に一杯練習をしたい、バンドの練習スタジオへ行きたい!(この時はもう既にそのスタジオが存在する事を知って居た)と独りで自然に対して大声で喚き散らし、冷静を装ってからヨシキに「一緒に行かないか?」と誘った。その時迄(現実に於いて)書き溜め、温存して来た歌達をそのスタジオに恐らく在る沢山の客を目前にしたステージで一気に、小粒に、放出させてやろうと目論んで居た訳で在り、従順なヨシキを連れてそのライブハウスへ向かうが、此処で何時もこういう時に限って出て来る(何時もは決して来ない)邪魔虫が現れたのだ。その時現れたのは以前専門学校で知り合って居たSだった。Sは「一緒に何かやろう」「一緒に何かやろう」と蟻の入る隙も無い程の言葉の壁を構築しながら〝自分の活躍出来る場所〟をあわよくば狙って居り、その勢いで、そこに集った弱虫を蹴倒して踏み台にしてでも上へと伸し上がろうとする魂胆さえ、溢れんばかりに見せて居た。故に俺はそいつ(S)を連れて行くのは嫌だったのだが、唯一そのライブハウスのコーナーの様でもある(きっとそこの常連と言うだけで実質のオーナーでは決してない)ヨシキが余りに寛容で環境に順応で在った為に俺の臆病はより露呈する結果と相成ってしまい、Sを連れて行か去るを得なく成って仕舞った訳である。又別で、教室一杯に響き渡ったあの鉄矢の声にムードを壊され、背中を押されたのだろう、そこに居るのが居た堪れなく成った表情さえ有り有りと出て居り、ヨシキや他の余り知らない良い奴達もそれによって動かされた事はこの時の俺にとっても好都合な事であった。
それからスタジオに入り、暗闇と、一部を照らすライトだけが妙に眩しく感じ、一瞬そこが何処か判らなく成り掛けた俺だったが、覚えて居る限りで言えば、恐らく練習して居た様に思う。そこには高校教師か大学教授か判らないが体育会系の教師が居り、又、他に官僚張りのお堅く一寸やそっとじゃ重い腰を上げず、しかしひょんな事から神経質にその腰を上げそうな教師、或いは他人、等も混じって居た。その「ひょんな事」というのは私には決して合意出来ない契機である。その二種類の教師陣は、ライブの練習の始まりから終わり迄をしっかり管理し切って居た様子で、その内で自分達の思惑通りに事が進行せねば必ず怒り出す、といった性格で俺はうんざりして居た。体育会系側の教師達が一寸だがねちこく(理由は分らないが)怒って居た時に俺は「んな事言ってっから保守的だ、囲いがセコイ、とか言われんだよバーカ」等とそう言う体育会系教師達に対し小声で言って居たが、それがマイクを通して言って居た為に、その体育会系教師だけじゃなく、そこに集って居た全員に聞える事と成り、私は途中からその事実に気付いた様子で在ったが「まぁ良いか、後悔先に立たず」と諦め、唯、俺の横でさっきからずっとそんな俺の言動を責められまい、と気に掛けてくれて居る人が在った様子だった。しかし「それも、まぁ良いか」として俺は気にも留めなかった。又、俺とその体育会系教師達とは以前に何処かで知り合って居り、束の間友情の絆で結ばれて居た為か、後でもう一度、その自分達の間に出来て仕舞った障害についてじっくりと話し合おう、としてくれて俺は嬉しかった。以前に味わった事の在る、話せば話す程に主観と感情によって命題と論点が流されて行き、ねちこく苦しく魘される様な(例えば俺が以前に受けた専門学校での没論争の様な)失敗・失墜を匂わすものが無いままさっぱりとして居た為、良かったのである。又、そういった論では負ける気がしない為でもあった。
そのライブスタジオに至る迄の道程には俺が以前見知った様な、懐かしくレトロを匂わす、七〇年代~八〇年代前半の大阪のダイエーの噴水が在った様子で俺はそこを当然として通って居た。ちらほらとそこには知人も居た様であり、又、俺と同じ方向へ向かう同士の様な者達も居た。そんな所迄通って居たからであろうか、教室からそのハウス迄は結構な距離が在った様で、だが俺は一瞬で事を終らせ、額に汗水吹き上がらせるのは一層空虚な物事にして居た節が在った。俺の額には一粒の汗さえ流れて居なかった。ライブで俺は曲を演奏し、がなる様にして(いつもの調子で)唄って居り、始めは調子良く、又(俺がいつしか聞いた甲本ヒロトの)「あ―――!!」を本番中に拘わらずに練習して居た。しかし途中から段々唄えなく成って来て仕舞い、お客さんは明後日の方を向いたり、直ぐ下で駄弁って居たりと、屈辱的にも見えるが仕方の無い体裁に自分で自分を繕わねば成らぬ義務を知って居た。上手く唄えないのだ。環境が良くない。快適に唄えずに、実力が百%出せない、そんな感じで、マイクの位置だったり音量だったり、ギターのチューニング加減だったり、他人の注意がタイミング悪く飛び込んで来たり、と、兎に角スムースにライブ(客を前にして唄う事)をさせてくれなくて、俺はその時、隣に居たゼネラルマネージャーと一般の役人さんにこう言って居る。「やっぱりやってる最中のこういった微調整の難しさが在るから〝成功した〟〝(成功)しなかった〟なんてのが出て来んだろうね。こんなとは思わなかったよ」と、半ば投げ遣りに話し、これ迄を一瞬走馬灯でも見るかの様にもう一度攫って見て居た気がする。しかし本当にその通りで、もうピックなんかは黒っぽい煤けた銀束子みたいな毛玉に変わって居り(エレキを通したギター弦を何十曲も弾き続けて居た為に焼け焦げて変って仕舞った、という自分なりの形容だったのだろう)、「これじゃあ上手く弾けっこない、よくこんなで今迄弾いて居たなぁ。感心するわ、俺。」と自分で自分に尊敬の念をぶちまける等、俺は皮肉たっぷりに言ったつもりだったのだ。「グリーンデイ」(持曲)を唄って居たつもりがいつの間にか「ノト―リアスビッグ」に成って居り、曲調の流れるままに唄って居るといつの間にか俺もスムースに、出だしが「グリーンデイ」でオチ(サビ)の所から「ノト―リアスビッグ」に入れたと、それはそれで上手く行って居たのだ。
ライブ時での一人で上手く出来ない悔しさを覚えながら目が覚めた。