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~ジャンキー~(『夢時代』より)

~ジャンキー~
 「無題」として、「見た夢の中の一つ一つの部屋の数や様子を有りの儘に描いて諦めない事を、早稲田の自然主義文学に肖った我が夢の内の文学性は強請った。」、又「無題」として、「アウトラインを五十個程書き出し、各項目に於いて一二〇〇字ずつ書いて行けば規定の枚数位には成り、俺にも書けて、又日を分けても書けるなとも思えて居た。作家が一つの作品を何年何ヵ月も懸けて書く現実にほんの少し触れる事が出来たか、という代物であった。後(あと)は、書く内容だ、と。単に日記を書いて居ても仕様が無く、矢張り書いて居て読んで居て、すかっと来る物を書かねば世間様はお認めに成らぬのであろうと嘘を突かれる形で思えたものではあるが、しかし、否、自分に決して書けぬという程至難な物ではない、と高を括れる存在である事にも気付いて居た。はっきり言って、これ迄に読んだ〝芥川賞受賞作品〟の内にこれはと思える物が私的に一つも見付からない事がその原因の一つであり、又、自信への糧にも成っていたのだ。しかし今、自分の作品作成方法の極度なマンネリ化の実態に徐に気付き知った昨夜の俺には、そんな事よりも自陣を立て直さなければ成らない事を先ず承知なものであるとし、自分で自分を救って置かねば成らない風前の話調が在った訳であり、二重苦の様なものが在ったのは言うまでも無い。早く、立ち直らなければ成らなかった。〝如何すれば人を感動させる事が出来るだろう?〟とは絶対考え出さない事を胸に秘めて、正直に有りの儘に、商品では無く作品を書く事に尽力する事を誓わなければ成らなかった我が陣営で在る。これ等を面白い、と採る事が出来れば一流で在ろう。これ等は、昨夜見た長い長い夢の代わりに記した放漫な戯言の内容である。」、又「無題」として、「彼は『芥川賞』を取れなかったが、しかし彼の名前が賞に成った。」、又「無題」として、「思い出は何時(いつ)も一緒に行ってくれるものだ。」、又「無題」として、「全ての過去は俺の前から嘘の様に消えたのだ。」、又「無題」として、「彼等がくれるなぁ、命の糧を、思想の糧を、受け売りで済む様な浅黒い接吻に燃える熱微(ねつび)を点した退屈物語ではなく、本物の糧である。他人の発表が我に命と思想の糧を与え続けてくれるのである。これは恐らく不変の理屈かも知れぬ。言葉の無い発表とは又その不変に親しいものであるなと、密かに生物の領域を越えた処で又融合されたパラダイスの構築を図り始める。」、「約束の地」として、「俺は唯、伸び伸びと暮らしたい。手足を大に拡げて自然と同化したい。東京で暮らしてみたい。一時(いっとき)でも良い、俺は一度、東京へ出て暮らしてみたい。もう三十年近く同じ景色、情景を見て暮らして居ても、唯々窮屈が増すばかりで、ざっくばらんな執拗な可愛らしさ、究極の我執、忌みじく発する辛酸な活源を呈する様な凄まじい源泉が何時(いつ)も見え隠れしては、結局教習に依る産物がもう何も無い事を我に教えて来る。教室も、教師も、塾の講師も、友人も、恋人も、色んな虫達も、皆、俺にそう言っては、虚空へとふと消えて行った。活力源には何時(いつ)も我が求める情報源が在って、その構築は、行く行く活劇が始まる我の本来の東京生活の深遠と化す本流をはっきりと見せてくれるのだ。あの人に会いたい。あの、何時(いつ)か夢を見た事が在る、窮境に満ちた晴れ場が在る、自己の霧散の運河にまで辿り着く事が出来る桃源郷へ、如何しても身を置きたいのだ。私はそこで、気の済む迄生きたい。その理想郷は、出し惜しみ無く物を与えてくれて、しかしそれは決して贅沢等というちっぽけな俗標語が成す別の意味を持たず、格好の餌食と成り行く我の命を、命毎持ち上げて我が目指す天に迄この意識を近付けてくれ得る様なそんな震源が鼓動して居る神秘の地である。これ迄きっと、見付けようとし始めた頃には入る事を遠慮させるそんな遠い遠い桃源郷だが、一度入って仕舞えば、そこでは不死鳥が空で鳴き、選り取り見取りの海原に咲いた湿原の草木が瑞々しくて、明然(はっきり)とした形で地に氷を残しながらあの残陽の暖かさが生物の再生を図って行くのである。何時(いつ)か必ず俺はその地へ行って見たいと願い、我はもう直ぐそれを実現する覚悟を持つのであろう。この言動を君は冷めた目で見ては成らない。何時頃(いつごろ)からそれを成すのだ、と執拗に一時(いっとき)の感情だけを以て問い、結果が何時(いつ)も見せる人工の頑なに自滅して仕舞っては恐らく人として何にも成らない。遥か遠方の計画を覗く様に君が未来に望む自己の幸福を望郷の地に据え、必ず通るであろう、今仄かに憶えて居るその活路を以て切り開く道を、恐らく君の分身がもう先に通って居る事を今君は知り、考え続けるべきである。そう、君は今、私にその道を通る事を約束したのだ。」、「無題」として、「直ぐに派閥を作って敵・味方に分けて当面の目標を織り成す処が日本人気質、否、現代人気質なんだ。素直に認めれば良いのに。未知な物は解りません、教えて下さい、と。」、又「無題」として、「人間とは大きく時間に縛られて居る生き物だ。だって死んだら次の場所へ行かなければ成らないのだから。」、又「無題」として、「俺は矢張り、苦悩と恥の多い十代から三十代を過して来た。」、又「無題」として、「その身が霞んで仕舞ったが、今でも矢張り欲する〝一芯通った激しさ〟。」、又「無題」として、「…そうか、君は兄弟、それも自分の弟に〝死んで欲しい〟、〝消えて欲しい〟って願った訳か。俺はそれを父親と友人に対して以前願った事が在ったよ。取り留めない事について、あれやこれや考えながらも結局何の解決も見出せずに月日が流れ去り、熟慮が巻き上げた砂塵が澄む頃に自分の呵責に気付く訳である。喜怒哀楽に没頭して居る時、人は迷うに決ったものである。ゲーテは、この内、『怒』と『哀』だけを拾って、この言葉を呟いたそうだが、私は全てに該当するように思える。〝没頭〟して居れば、人はそれ以外の詳細を脇へ置くものである。自分本位の身を掲げて。ずっと向き合えばいいさ、その自分と。結局、居なく成る事など無いのだからずっと向き合えば良い。そして後悔して己の分を知る。それで良いと思う。自分が納得出来る迄生きて、その先に光の様なものが在るのであれば、その『光』(人の何等かの希望の意として記す)は既成事実として人が生れる以前から在ったのだろう。恐らく人間とは、未知のものに関わらなければ結局生きては行けないのである、と俺は考えて居る。単細胞が成す一法、これは馬鹿の一つ覚えだろうか。」、又「無題」として、「何故『生』が放つ匂いは臭いのか?」、この様な夢想の内に見た言葉を噛んだ後で見た夢である。
 母親が大好きで、今でも週に七回は確実に繰り返して観て居る「ハンチョウ」のメンバーと俺と、俺の友人とで固めたパーティが、夜の薄暗いが時折り何処かでネオンが光って照らされる安アパートの前に勢揃いして居る。他のメンバーは如何なのか知らないが少なくとも俺の友人と俺は此処へ辿り着く迄に、俺が高校生の時に知り合った「悪党」を冠した様などす黒い友人に追われて居り、隙を見て逃れて取り敢えず此処に居るのだ。その悪党は名を安本と言い、こいつには仲間が二人居て、その二人は単独に成ればそれ程悪い事をせず理性がきちんと働き常識も在るのだが、この安本が共に居て彼等に入れ知恵をすると忽ち三人共が結託するかの様にどす黒く成り、個人の純粋や純情は悉くこの安本に寄って消されて仕舞うのだ。故に俺はこの安本をこの悪党三人組の主犯格と見て、友人にも薄々俺のその思惑が届いていたのか友人は共にこの三人組とその主である安本に対して別々に身構えて居てくれた様(よう)だった。ちかっちかっとアパートの狭い廊下を照らす電球が点滅しており、メンバー総出で一つの部屋のドアの前に立ち、俺が「ああ、この場面、今まで観て来た刑事物のドラマの中の一シーンの様(よう)だ…俺も漸くこのメンバーとシーンの内に…」等と思って居た最中(さなか)、安本組の内の一人、川田と言う男が黒い革ジャンを素肌に羽織り、迷彩模様のズボンに不要に思える鎖を一杯付けた格好で闇の内より現れ、殊に俺に向かって因縁を付けて来た。この時にまるでフラッシュバックする様に俺の脳裏に甦った記憶が在り、此処へ辿り着く迄にこの安積班のメンバーの内の一人も何処かでこの悪党三人組から因縁を付けられて居て、メンバーの内の誰かははっきりとは判らないが、その際は偶々その近くに他のメンバーが全員揃って居た為、その事に気付いて直ぐ全員が駆け付けた事に依り誰かは判らないそのメンバーの内の一人は無事だった、という経緯(いきさつ)が明瞭なものと成り、俺は少々心強くも成って居た。俺が川田に絡まれたその時も、安積班のメンバーを見せれば引き下がって行く、という一つ覚えの撃退法を知って居た為、同様にして、川田を又闇の内へと引き下がらせて居た。川田の、たった一人でこの複数人の内に飛び込んで来るという無謀にも見得る勇気、には感心させられる処が在るには在るが、ほぼ確実に捕まえられる危険を冒してまで何故飛び込んで来たのか、又、何故安積班は総出で奴一人を触れられる範囲で囲んで置きながら捕まえないのか、が先ず同時に不思議に思う事であったが、それ等は夢から醒めた後で思った事で、その時は自分の身に降り掛かって来た恐怖が彼等の力で一旦引き下がってくれた事だけに対して俺は感服して又安心して居た為、その成り行きが先ず自然の理(ことわり)なのだろう、と念押す様に次の展開を待って居たのである。又別に、その時の俺は、安積班に所属して居る為に奴等に追われて居る、という状態が在った事を既に夢の内に於いて知って居たのである。安積班は決定的な証拠を取り出して世間に突き出してから犯人逮捕をする、という事がその夢の内でも知られて居た為、その主犯格である安本の所在(やさ)をそのアパートの一室と押えた迄は好かったが、その晩安本がその部屋に帰って来なかった為にもう一度出直しを図った様子が俺にも見えて、一旦俺達はその夜、そのアパートから立ち去った様(よう)だった。
 翌朝に成りその日の昼に成り、俺は遠い以前に自分が乗って居た程好く懐かしい五十CCのバイクに跨って最寄りのK駅から自宅へ帰ろうとして居た。その時の俺の出で立ちはもうすっかりそのバイクに乗って居た頃の大学生の風貌に逆戻っていて、思い出せる限りで周りの環境も自分の在り方、振舞い、思考の展開の仕方に至る迄みっちりとそっくり真似して居た様子で、気取って歩く俺の周りには当時と同様に誰も集まっては来ず、又、空の音や人や街の音と微かに感情を開け放つその動向を示さない一匹の獣が人間に棲家を見付けて居た。俺はバイクに乗って帰ろうとするが中々乗る事が出来ず、走りたくても風が吹かないでずっと手押しで歩道の上をバイクと並んで歩いて居り、擦れ違う人人も俺の方を殆ど気にせず通常の生活に落ち着こうと歩先(ほさき)を定め始めて居た様(よう)に見えた。そのK駅のターミナルでは、バスに紛れて沢山の自家用車が路駐していて、その路駐車を片端から、又そのK駅から歩いて三分程の所に在る派出所から遣って来た警官達が取り締まって居たらしく、青いチョークの様な物でその路駐車の車体にずうっと線を引いて行き、それが何台もに渡って同じ車体の位置に引いていたものだから、俺にはそこに停められて在った路駐車を警官達が一網打尽にして検挙して行く様(よう)に見えて居たのだ。唯、警官達が結構な人数を繰り出して取り締まりをして居たのを見た俺は、検挙されて行く路駐車の数よりもその活力源と成っていた警官の方に目心を奪われた為、俺はその時車道に下りる迄の僅かな距離の歩道をバイクで走って行ってやろうと考えて居たのだが直ぐに止(や)めて、丁寧に手で押しながらバイクを車道へ下した後、又エンジンを掛けてやっと走る事が出来た。走って行く途中の信号で止められて居た時に携帯に着信が在り、安積班長の自宅へ来い、とメンバー内の誰かに言われた様(よう)で、俺は直ぐ様向かった。安積が住んで居たアパートの一室はとても汚く又粗末な物であり、そのアパートの全体を外から見てもその汚く粗末な一室を携えている内実に納得が行くものだった。部屋に入ると、安積班のメンバーは皆昼飯を食って居た。その時俺も無性に腹が減って居たのだが、途中から遅れてやって来たメンバーの一人が昼飯を買いそびれたとかで一人飯を食えない不憫に当って居た為、俺は仕方無く自分用にと買って置いた鮭卵(いくら)丼をその一人に遣り、昼飯を取られた俺は〝新米だから仕方無いさ〟等と開き直りつつそこから近くの店まで又新しく自分のを買いに行く事にした。他のメンバー達はそうして俺が自分を犠牲にして部屋を出て行くのを一点の芯を通した温かい微笑を以て見送りながら、今後の犯人逮捕迄の計画を練って居たようであって、特に、最初に因縁を付けられたメンバーの内の一人に対しては何度も確認をしながら、安い兆発に乗せられて冷静を見失わない事を各自が自覚しようとして居た。
「やっぱり奴等が仕返しに来ても出て行かない方が良いですよ、奴ら何するか分らない、って表情して居たから。良く良く考えりゃ、始めに因縁付けて来た向こうはその始めの時点で俺達を凄んで居る訳で、次にさっき俺達がそこ(安積のアパートの部屋から壁一つ隔てた向こうに在る廊下)で奴ら(安本は居ない)を凄んだんだしこれで五分ですよ。だから痛み分けって事に成っている訳で、向こうもそれに気付いて譬えこのアパートまで報復に来たとしても、誰も行かないでじっとして居れば〝ちっ〟とか言って帰るんじゃないでしょうかね?」
 そんな事を尤もらしい理屈を並べながら俺は言った心算だった。皆相応にして、取り立てて俺に返して来る程の反論も無い様子で、又別の話題を見ながらぺちゃくちゃと飯を食い始めて居た。俺ははっと現実に返り、自分の飯を買って来なきゃと安積の部屋を出て直ぐ横に在った自販機を見付けた。もしかしてこの自販機に弁当が在るんじゃなかったか、等と思い起こすようにして考えたのだが、在ったのはカップ麺だけであり、自分がその際欲しがって居たボリュームの在る丼物(どんもの)の弁当は無かった。少々落胆を覚えた俺は、あいつにあげちゃった鮭卵丼(いくらどん)の穴埋めが出来る位の弁当をきちんと買いに行こう、と決めて、危険は承知した上で、そのアパートを出て直ぐの所に在るスーパー迄、買い物に行こうとした。その時でも記憶の一部がはっきり甦り、このアパート周辺の見取り図を頭に描き出した上で、アパートから出た所に在る比較的大きな濡れた車道に沿って歩いて行けば三百メートル程離れた所に比較的大きなスーパーが在る事を思い出して居たのだ。
 何故か安積が住んで居るアパート、スーパー、等を取り巻く環境とは、場末のマフィア映画にでも出て来そうな治安の悪い夜のラスベガス、又はカリフォルニア、とでも言った様な、矢鱈に発砲の多い住民同士の喧噪が絶えない危険な区域を醸し出す雰囲気の様なものを漂わせており、赤色、桃色(ぴんくいろ)に輝いては消えて行くネオン街から何時(いつ)ギャングが飛び出して来るか知れない、といった如何にも暴力沙汰に息巻く怒涛の前の静けさをその時の俺に突き付けていたのである。脆(ぼろ)い安積が住んで居るそのアパートの階段は何故かスーパーの中の様に広く成っており、天井付近の壁に備え付けられた小さな窓から時折り差し込んで来るネオンの光が更に活気を浴びせつつ一定の黄色の街灯にその明暗を分けられて浮ぶチラシ・広告の様な物は、まるで捨てられた後(あと)の静けさをその階段と踊り場、降り立つ先の廊下へ迄、床一面に散乱させられた事が織り成したのか温味(ぬくみ)を保(も)った一つの空間を作って居た。俺の感覚はその「温味(ぬくみ)」に絆されたのか少々散漫と成り、〝直ぐそこ迄だし用心して行けば大丈夫だろう〟としてそのチラシ・広告がびっしり床に張り付く様にして散乱している階段を下りて行き、降り立った廊下を右へ折れて、その先に在った開け放して在る職員用に設けられたような出入り口から出ようとした。先程、ネオンの光と、点滅しないが薄暗い黄色で強く差し込んで来る光に闇の内の明暗を分けて見せられた俺は、自分を取り巻くその時の環境が夜だと知り、より内向的に身構えた上で自分の牙城を程好く固め、外からやって来る危険な刺激に対し敏感に成り始めても居た。階段を全て降り切ったと思い違い踊り場に立った時、その直前に一瞬擦れ違った人影が在った事を思い出して、その人影は安本の物ではないか、と疑い始めて居た。その影は薄暗い内でもはっきり見分けられる程どす黒いものであり、又動きが素早く、一旦、俺を通り過ぎて俺から見得ない壁向こうの死角へと入り込んだようだったが直ぐさま身を翻して俺に向かって走って来て、持って居た散弾銃の様な銃を取り出して俺に狙いを定め、発砲して来た。その影はネオンの明かりと街灯の光とに関係無く闇の内で実体を明るみに出して行ったようで、はっきりと顔が見て取れた矢先に俺が知ったその正体とは矢張り安本であった。「やばい!」と咄嗟に身構えた俺は直ぐに階段を全て降り切って一階へ辿り着き、もう直ぐ出口から出るという所でその出口手前に備え付けられて在ったバイクや我楽多ばかりが置かれた物置の様な一室を見付け、「こっちが好い!」と又咄嗟に思い付いた俺はその物置の様な部屋の中に忍び込んで居た。大きな物がその一室内には散乱していた為、身を潜めてその場凌ぎを図った訳である。入り込んだ俺は取り敢えず身を隠そうと、物の陰に成りそうな場所へ身を沈めようとするが、実際に隠れて見るとどれもが頼り無い物に見得始め、その物の内に在った大きな七半バイク等は俺の体(からだ)が少し触れただけでゆら~っと前方へ進んで行き倒れそうになる頼り無さだった。如何し様も無くその場にしゃがみ込み、何が自分の身を隠す程でも無く半ば無防備な不始末に片付いた状況の内で俺は、唯安本が自分に気付かずに走り去って行く事を願って居た。来る筈の安本がバイクの吹かすエンジン音と共にこの物置の様な一室に差し掛かる手前まで近付いた様だった。安本はこの狭く感じる室内でバイクに乗って俺を追跡して居り、階段を下りる頃から俺はその理不尽な安本と自分の立ち位置に気付いて居たが、此処でもう一度、改めて、この強弱を奏でていそうな各々の位置に気付かされ、俺は仕様が無いよ、と半ば又自分の勝利への順応を束ねて行く事を諦めようとして居た。しかし始め安本はバイクなど乗らずに俺を追って居た事は俺は又フラッシュバックに依り知る処と成り、途中で乗り捨てられた物でも拾ったか或いはぱくったかして此処まで辿り着いたのではないか、と又俺は別に想って居た。安本は七半程の黒っぽく光るバイクに跨りこの物置の様な一室を一旦通り過ぎ掛けたが、隠れた予測通りに、バイクの尾先を僅かに俺から見得る位置に残す程度にして停まり、矢張り俺の存在をその一室の内に嗅ぎ付けた様子でバイクから下り、じゃり、じゃり、と鈍い靴音を立てながら俺の気配が誘う方向へ歩み寄って来た。
 入って来た安本は銃を抜いて俺を兆発する様に、始め態と狙いを外しながら俺の周囲に在る物に向けて何発も撃ち、自分の力をアピールすると同時に俺に一通りの後悔をさせて居た様子が在った。その安本の表情はそのとき理性が尽きた様に成って俺の向う側を観て居た。そんな中で俺はこっそりと安本に近付いて、安本の銃を奪い取ろうと決心した。死ぬ気で遣れば何でも出来る、死ねばこの世を去る事に成り、この世での恐怖というハードルを乗り越えて一先ずのゴールへ辿り着く事が出来るのだからこの様な恐怖は屁でも無い、等と常識に於いては訳の分らぬ事を呟きつつ、俺から全く外れた他所を向いた安本の状態を見計らって俺は安本に跳び付き、その持って居る銃を奪おうとした。奪おうとするが思いの外奴の銃は重いのか奴の手から魚籠とも動かないで離れずに、虚を突かれた安本が次第にじたばたと体(からだ)を曇らせ始めて又思いも依らない剛力を以て俺を振り払える様子を見せ始めた為俺は仕方無く、安本のその手を借り、安本自身に銃の引き金を引かせて自ら頭を撃ち抜かせ自殺させようと、苦悶しながら画策して行った。して居る内に薬中だったのか安本は体の力が一瞬脱(ぬ)け、その一瞬の油断に悪戦苦闘して居た俺の敏感が付け込む形で奴の力を利用出来る迄に弱まり、安本は俺が画策した通りの絵図に嵌る事と成った。
「バアン!!!」
 この一発を以て俺はそこで、一番恐れて居た最悪の事態を自分に招き入れる事と成り、俺は単純に殺人犯と成って仕舞った。色々と考える能力はその際の自分にはもう無く、力尽きる様(よう)にして膝から崩れ落ち行く俺の心身を取り囲んだ物は人の噂や決定から遠く離れた見慣れない場所に構築して在った檻の様な杜(やしろ)であり、その杜(やしろ)に携えられる様(よう)にして在った深い森の内へと俺は自然に自身が喪失させられ行く情感を眺めて居るより他術を見付けられずに居たのだ。取り返しが付かない事をして仕舞った、というどす黒くずぶ濡れの生命を抱え込んだ儘まるで自分で自分の為に用意して置いた死地迄へと歩を進めて行く様子が、明るみへ出された様(よう)に自分にはっきりと見得るものとして在り、カリフォルニアかラスベガスにひっそり漂っていた生温く、又妙に心地が良い体(からだ)をさえ与えてくれる風を感じながら唯、俺は茫然と突っ立って居た。


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