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成田山の悪僧。

どこにでもある田舎町というのが成田の印象だった。古びた車が広大な駐車場にまばらに並び、覇気のない老夫婦ややたらと鈍い色の服を着た家族連れでにぎわっているイオンモール。それを囲むようにしてどこの田舎にもあるような中産階級的な風景が広がっている。イオンモールに車を止めて、新勝寺向かうことにした。

寺の方面に少し歩くと景色が変わってきた。農村の名残であろうグニャグニャ道に田舎びた民家が立ち並ぶ風景である。庭には木やら花やらが秩序なく植えられていて見苦しい。農村のひなびた家の壁は変に黒くすすけていて、何に使うのかわからない道具らや紐やらが引っ掛かっている。田舎にはよくあることだが、よくわからないゴミやら割れた茶碗の破片が土の中から顔を出している。嫌悪感の一方で過ごす人々がどのような暮らしをしているのか、何を考えているのかとても興味深く思いながら歩いた。

急な坂を上ると急に境内に入った。
さすが有名な古刹ということで、京都の本願寺を思させるような規模の建物であった。苔むした山門や石碑には何やらありがたそうな言葉や信徒の名前が書かれていて侘びた風情がある。碑や山門の扁額などを読みながらふらふらしていたがやがて飽きたので本堂に詣でることにした。

本堂の外に賽銭箱が設けられていて、外でお参りする人はそこから手を合わせる。その奥に靴脱ぎ場がありガラス戸から仏殿へ往来できるようになっている。人の往来があったので私たちも中に入ろうとしたのだ。

一人のガタイのいい僧侶がガラス戸を私たちの寸前で閉じて、中から「しっし」と追い払うしぐさをして仁王立ちでにらみつけてくるではないか。特に無作法をするような場面もなかったし何の注意書きもなかったのでこの対応には面食らった。その昔白河法皇が天下三大不如意(思い通りにならないもの)として「鴨川の水、山法師、さいの目。」を挙げていたことが頭をよぎった。ここでいう山法師とは当時、神や仏の権威を乱用して強訴する神官や僧侶僧兵のことである。まさしくその僧侶は傾国の悪僧、道鏡や強訴に及ぶ山法師に見えた。

中小の寺社はいざ知らず、大寺院は企業団体献金が豊富であり、一族経営ともなれば特に、宗教法人としての税制優遇があるため懐が潤いやすい。坊主丸儲けというわけである。
お坊さんがベンツに乗って現れるというのはよくある笑い話である。富岡八幡宮や本願寺など世襲の寺社は歴史的にその利権をめぐって血みどろの争いを繰り返している。これでは神も仏もあったものではない。

こういうわけであまりいい思いでがないまま山門を出た。一緒にいた友人も相当気分を悪くしたようであれ以来、寺には寄り付かないようである。

徳のない僧侶のは気を付けたいものである。




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