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日本橋といえば。

やたら日本橋が好きなのは遺伝だろうか。
曾祖母の嫁入り道具は三越であつらえたものだというし、やたら三越に行くという言葉をよく聞く家だと思う。古いばかりが取り柄の我が家も戦前戦後で家宝と呼べるものは散逸したようだ。
嫁入り道具として高祖母が三越であつらえたとかいう、お印付きの(お印といえば今や皇室のやんごとなき方々のものだが来し方は割とあった話のようだ)品々が形見の家宝としてリビングのマホガニーケースの中、場違いに鎮座しているという程度である。
やはり物はいいと見えて漆のものなどは昨日揚げたのかと思えるほど美しいのである。
日本橋は下町の「粋」が詰まっている。銀座や丸の内といった新興の上層中産階級向けのまちとは違った風情がある。よその国ではこうはいかないだろうと思をれるような名品が今でも生産され(場所は移転など)売られている。下町の職人の技には目を見張るものがあるし、銀座などで売られている高いばかりで中身のないものではなく「粋な」クラフトマンシップが今後未来永劫残っていってほしいものである。

下町の「粋」に誘われてか、クスリと笑えるような人たちがいるのも知っている。郎党で三越にやってくる過度に着飾ったご婦人方である。経営学には自滅の理論というのがあるがそれを想起せずにはいられない、つまり上品ぶりたいがゆえに上品でやんごとなき人々から遠ざかっているのである。彼女たちは「高いものはいい」と思っているのだ。けばけばしい宝石を身に着けミンクを何匹あやめたのだろうと思わせるような上着を着て手にはブランドのカバンを持っているといった具合である。そういうご婦人方は美術フロアに来ると「あれは知っている」だのあえて人に聞こえるように言って回るのである。作家の名前を知っているのは結構だがどう見たらいいのかわからないので、高いものをとにかく褒めがちなのは見ていて見苦しいものである。
ただそういうご婦人方をしり目に、「姦しいとはこのことだね」などといけず口をたたいて仲間内で笑いあうのは楽しいものである。(女が三つだから)

また詳しいことはいずれかくことにしようと思う。

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