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おこづかい。

おこづかいはありましたか?

わたしの家はおこづかいというものはありませんでした。
何かを買いたい時、母へ直接プレゼンをして案が通れば
お金をゲットできる仕組み。

子どもの頃はほしいものがたくさんあった。
今もそうだけど、なんだか昔ほしかったものは今よりたくさんあったような気がする。
まずはキン消し。知っている人は知っている、キャラクターの形をした
なんならほとんど消しゴムとして機能していなかった(たぶん)物体です。
キャラクターがたくさんあったのでとにかく全てほしかった。
持っている数で強さが決まるほどだった。

次にアラレちゃんの人形。
おへそのボタンを押すと首が取れるという斬新な人形がほしかった。
毎日毎日母へプレゼンをしてはガチギレされ、結局やっとの思いで買ってもらえたのは、ブームが落ち着いたもう誰もアラレちゃんの人形で遊ぶということをしなくなったときだった。

あとは、りかちゃん人形。
着せ替えの洋服は別売りで、我が家にくるりかちゃんに新しい服など買ってあげられるはずもないことを全く考えもせず、とにかくほしいとねだった。
最終的に我が家にきたのは、当時あまりというかほとんど人気のなかった(ような気がする。少なくともわたしの周りでは)肌のこんがり焼けたバービーちゃんだった。後日友達に「なんだそれ」と言われとっさに「りかちゃんの姉だ」と言った。

ほかにもたくさんあった。なぜかプレゼンがスムーズに成功した中に
花の子ルンルンの変身ができるコンパクトがあったのだが、
そもそも我が家に花はなく、なぜか大きく育ったばななの木があり
そこに向かって呪文を唱えたが案の定変身できず、母に文句を言ったらやはりガチギレされた思い出がある。

何度も言うが、子どもの頃はほしいものがたくさんあった。

しかしわたしは結構買ってもらうことができなかった。
全く買ってもらえなかったわけではないが、なぜおこづかいがもらえないのか
子どもの頃には考えもしなかった。

単に母がドケチなのかと思っていた。

いざ自分が離婚して、生活がきつくなったときに初めて母の気持ちがわかった。
毎日支払いのことを考えながら生きているだけでもきついことなのに、
子どもにほしいと言われたものを買ってやれないなんてどんだけ辛いことだろう。

母よ、子どもの頃は本当にごめんよ。となにもわかってない自分を少しだけ責めた。

先日、母が施設に行ったので、母の荷物を整理していた。
思った以上にたくさんあった。そうだ。母は捨てられない人だった。

さて、ここも掃除しましょうと母が寝ていた場所に手をつけた。

でてくるでてくる。

着物や賞状。見たこともない朱肉。硯。筆。母製作っぽいハンカチなどなど。

ん?うちって貧乏だったんじゃなかったっけ?

もう一度言う。わたしたち姉妹はおこづかいをもらっていなかった。

着物って、高いですよね。
何この硯。かあかお習字なんて習ってましたっけ?
このハンカチ。かあかのサインまで入ってる。
なにこの大量のノート。漢字練習してるけど1ページで終わってる。。
こっちはアルファベットを練習してるけど1ページで終わってる。。

一旦、落ち着こう。

母はわたしのプレゼンの度に言っていたことがある。

「無駄づかいはダメ!」

きっとこれは無駄づかいではないのだ。
母の心の癒しだったのかもしれない。
母の唯一の楽しみだったのだろう。きっとそうだ。


わたしはちゃんと子どもたちにお小遣いをあげようと思った。
子どもら、もう成人してるけど。



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