志望校に公募推薦で受かった話

著者は高2の頃から志望校としていた大学に公募推薦で合格した。受験について、頑張ったり頑張らなかったりした話をしようと思う。これを読んだら受験に役立つとか、そういう話ではないことを承知の上で読んでいただきたい。

高1の頃は、大学受験を意識しながらも受験対策は全然やっていなかった。そこまで手が回らなかった。授業についていくので精一杯だった。著者は数学が苦手で、中3の頃から理解ができなくなりつつあった。そんな中での高1の数学の課題はとても重荷だった。受験のときは数学使いたくないなあと、ぼんやり思った。

高2になって、文系のコースに入ったため数学は幾分楽になった。そろそろ受験を見据えて頑張ろう、そう思って志望校を決め、大学受験のための塾にも入った。著者は授業を真面目に受ける生徒であった。うたた寝したことはなく、課された課題は全てきちんとやった。テストも大体8割くらいは取れる。休み時間には単語帳をひたすら回した。夏期講習などにも積極的に参加した。こんなに模範的な生徒は、多くはないのではないかと思っている。しかし、これが結構大事だったりするのだ。高2で頑張ったのは、このくらい。高3になる日が近づいてきたとき、志望校にどうしても受かりたいから、受けられる受験方式は全て受けることを決めた。そこに公募推薦も含まれていた。

公募推薦を受けるとなると、出願条件を満たさなければ始まらない。そのために春休みにTOEICを受けた。ボーダーラインは600だった気がするが、730取れた。もう少し取れそうな気がしたため、夏休みにもう一度受けたら755取れた。英語には元々自信があったから、このための勉強といったら、単語と問題集を少しやったぐらい。なんとかなった。春休み、もう受験生になるし切り替えて勉強を頑張ろうと思ったけれど、学校の宿題をやって終わってしまった。

春休みが明けて、高3の前期は公募推薦で提出する評定平均を高く保つために、定期テストの勉強を頑張った。といっても、テストの成績はいつもある程度良かったから、いつも通り頑張った。今考えると、受験勉強(自主学習)をできない理由を勝手に作っていたのかな。著者は言われたことはきちんとこなすけれども、自主的にこれを勉強しよう!とはならない。計画を立ててもその通りにできない。受験のために自主学習することは、著者にとって難しかった。しかし、小学生の頃から学校に真面目に通っていた積み重ねのおかげか、特段頑張って勉強しなくてもある程度の成績は取れた。模試の判定も、志望校はAかBだった。余裕を感じていた。

夏休みは、一番受験勉強らしい受験勉強をやった気がする。学校で出た宿題もやらなきゃいけなかったけれど、その他にも受験科目の中で苦手な社会を重点的に勉強した。さらに、公募推薦で受ける小論文の勉強もこの頃に始め、まずは文章の組み立て方から学んだ。高3の夏休みは勉強したなあという記憶しかなく、今までの夏休みの中で最も楽しくなかった。それはどの受験生でもそうだよね。

夏休みが明けると、クラスの雰囲気がピリピリしてきた。推薦入試は一般入試より早く終わるから、ずるいなあと思われていた。自分の受験のことを話すのはタブーだって、暗黙の了解でみんな知ってたから、著者は推薦を受けることを同じく推薦を受ける友人以外には黙っていたし、手続きもコソコソやった。

まず、出願するための志望理由書を書いた。自分の将来の夢、それを実現するためにこの大学に入りたいことを指定用紙ギリギリまで書いた。書くに当たって、現代文の先生が添削をしてくださった。志望理由書を書き上げて出願したら、二次試験の小論文と面接の対策をしなければならない。著者は小論文の問題集を買い、書いて現代文の先生に提出、添削をもらって書き直すという作業を週一のペースでやった。10回くらいこなして、慣れてきたし自信もついた。こんなに時間を使ってくださり、先生にはとても感謝している。面接の練習は、著者の志望大学・学部・学科を卒業した先生にやっていただいた。行きたいという気持ちをぶつけたら、それがすごく伝わった、絶対受かるよと言ってくださり、泣いてしまった。こうやって協力してくれた全ての大人たちのためにも、絶対受かってやる、そう思った。さすがにこの頃は、試験日も近くメンタルブレイクしていたな。

試験当日。朝から新幹線で大学に向かう著者は、緊張で朝ごはんを全然食べられなかった。時間には余裕を持っていたので早めに到着し、小論文の書き方や面接で言うことを復習した。試験会場にいる人たちは皆“できる人“に見えた。しかし彼らは敵ではなく仲間であり、一緒に頑張ろうね、と思った。

午前は小論文の試験だ。想定していたより普遍的な問いであったために少し戸惑った。しかし、自分の思いを書けるだけ書いた。本番になると、今まで練習してきた型などは飛んでしまった気がする。書き終わったとき、これで良かったのか不安になった。

小論文が終わると、昼休みになる。母が用意してくれたお昼ご飯を食べた。いつもより特別に見える。温かい味噌汁を飲んで、気分が落ち着いた。その後は身だしなみを整えたり面接のイメトレをしたりして過ごした。

いよいよ面接だ。著者は人前で話すことが苦手である。そのため面接は著者にとって最大の難所であった。ひとつ前の順番の学生が面接を行っている教室のそばに座って、待つ。その時間は永遠に思えた。自分の熱意を伝えるだけだ、面接ではなく教授とのお話と考えれば良い、と言い聞かせるうちに、自分の番が来た。緊張のせいか内容をあまり覚えていない。試験前日に英検準一級の合格が分かったため、それについても話したいなと思ったけれど、そのような流れにはならなかった。急に知識問題を出されたときは焦ったが、うまく答えられたので耐えた。終始笑顔で進められたような気がする。とりあえずこれで、著者の公募推薦入試は、終わった。帰路はいつもより明るかった。

1週間後、大学から封筒が届いた。公募推薦の試験の後はすぐに一般入試の勉強に切り替えていたから、急に合否を言い渡されることに焦った。恐る恐る封筒を開ける。合格の文字が見えた。受かった、受かった!!最初は嬉しさと興奮が勝ったが、徐々に涙が出てきた。今までの全てが報われたと思った。親も先生方もとても喜んでくれて、恩返しができたような気がした。

こうして、著者の受験生としての生活が終わった。一応一般入試の受験計画も立てていたけれど、使わなかった。とある先生が、公募推薦を受けるには、それと一般入試の2つの勉強を両立する余裕がなければならない、とおっしゃっていた。そもそも一般入試が危うい学生は、中途半端になってどちらも落ちてしまうということだろう。著者はその点、一般の勉強はそこそこに公募推薦の準備に力を入れることができたから、ラッキーだった。ラッキーなんかではない、自分がコツコツ勉強を積み重ねてきた成果だ、とも思っている。

これが、著者の大学受験の話。自分と向き合い続けるのが大変だったこともあるけれど、友人と切磋琢磨して支え合った日々は、結構楽しかった。

自己満で書いたが、ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。

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