鯉の話
鯉(恋)にかけて、色っぽい話でもしたいところですが、また思い出エッセイです。この歳になると昔を思い出すことが多くなる。
うちの実家には、父がコンクリで作った池(?)があります。物心ついたときから小学5年生まで、立派な鯉がたくさん泳いでいた。買ったときには小さかっただろう鯉は大きいものでは、全長40センチぐらいは、あったかもしれない。私は彼らに鯉のエサをやるのが日課で、指を吸わせたりして遊んでいた。絵にも良く描いたような気もする。それなりに愛していたし可愛がってもいた。料亭の庭にありそうなポンプで酸素を供給していて、これは毎週のようにフィルターを掃除して、人造池の水換えをしなければいけなかった。これは、父の趣味であり、父と結婚した母の仕事でもあった。
私が5年生の夏休み前、母が車で事故った。相手はなんと電信柱。人間で無くて良かったのかも知れないけど、母は詳細は省略するが死にかけて、長期入院した。時を同じくして私も体調を崩し、同じ市民病院に入院。大事に隠し持ってたらしい持病が発病したのだ。肺炎も併発していた。こうなると趣味などは、もちろん後回しにされる。詳しくは覚えていないが、いろんな状況が重なり、掃除と水換えは長いこと行われず、鯉は酸素不足でバッタバッタ死んでいった。父も、もういいやと思ったのかもしれない。なんでそうなったのか覚えていないが、登校班の皆から「鯉殺しの〇〇」と非難された。子供はストレートなぶん、残酷だ。確かにその通りだし間違ってはいない。私はちょっと傷ついたけど、家で猫を飼い続け、わりと動物の死が身近だったためか、仕方ないなぐらいの感覚だった。ヘンなところでドライなのか、厩務員時代、担当していた競争馬が予後不良になっても仕方ないな、という心境だったし。実際、こればっかりは、仕方なかったし。しかし、鯉たちにしてみれば、飼い主の都合でお世話を放棄され見捨てられたも同然で、彼らが擬人化したら恐ろしいことになる気がする。(何でも擬人化が流行っているので。)
鯉はうまく育てれば30年以上、長生きするらしい。巨大化した鯉の引き取り手など、見つからなかったかもしれないが(それどころでは無かったし)、あの池の宝石たちがもうちょっと生きられたら良かったなぁと思う。
ちなみに、今現在は両手の指に足りないぐらいの数の金魚が泳いでいるだけだ。水換えは頻繁でなくていいし、ポンプも必要なく、たまに猫が覗きこんでパンチをかましたり、鳥に狙われたりしてたけど、鳥はともかく猫はいなくなり、金魚も安心しているだろうと思う。
一度、青い小鳥を見たけど、あれはカワセミだったのかなぁ?
おしまい