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現実にもがんばりゲージが欲しい
今年の前半は、ゼルダの伝説ティアーズオブキングダム(以下ティアキンと略す)をプレイしていた。
プレイしながら、スペックがゲージとして可視化されるシステムっていいなと思ったのだ。
ティアキンではがんばりゲージなるものがあって、それを消費すると崖を登ったり泳いだりなどの大変な行動を取ることができる。
それがなくなると大変な行動を取ることができなくなる。
そのゲージが主人公の隣に常に表示されるようになっている。
このシステムが現実にあったら、頑張ろうにも頑張れない人が「怠け者め」と周囲や自身に責められるという地獄が減ると思う。
また、各人のゲージの大きさの違いが目に見えるようになるので「頑張れる量って人それぞれだよね」「頑張ろうにも頑張れない人も居るよね」という地に足のついた理解が世に広まり、この世に瀰漫する自己責任論への対抗となるのではないか。
今後の技術の進歩で、人間の頑張れる度合いについても数値化できるようになって可視化されるようになって欲しい。例えば、血圧やIQのように。
いまだに医師の診断済みの病気や障害をお持ちの方のことさえ怠け者呼ばわりして罵倒する人も居るので、可視化されても変化しない人も居るだろう。
でも、人間についてのより多くが数値として可視化されることで、救われる人の人数も増えると期待したい。
もっと夢想的なことを言えば、現実がゲームのようだったら良いのにと思う。
ゲームはプレイするかしないか選べる。最近ではプレイヤーの見た目や能力を選べるゲームも多い。プレイヤーが楽しめるようにお膳立てされた世界で望む姿で思うままに遊ぶことができる。そこでは悲劇もあるけれど、そこで傷つけられた存在は現実のものではない。
そんな感じのことを思った。おしまい!