誰も彼も
誰も彼も、ここで絶望している
って、浜松に戻って来てから実感する。
反転した思いを抱えて生活している。
愛憎。
良いじゃない。
人間らしくて。
現状に満足していなくて。
単純にポテンシャルがあるってことだと思う。
私は育ちが呑気でいられたから、
呑気に構えてるのかもしれない。
Uターン移住者に、
なんで浜松に来たの?
って、結構挑戦的な物言いで、
私は言われる度に、
すっごくその言葉にモヤつく。
というより、
失礼だな、って思う。
選ぶだけの理由も、
選んだ充足感も今の私にはある。
現状に満足してるわけじゃないけど、
文句を言っても、
仕方ないし、
草の根運動なんだよな、って。
認知や価値観を育てることは。
長くかかるし、
100年スパンくらいで
考えていいことだと思う
でも、生きてくためには、
100年を少しずつ刻むしかないけど。
堪えて堪えて
それで実を結んだものを
社会運動から学べばいい。
私は浜松にあるいろんなお店や
活動をしている一人一人の人を
尊敬してるから、
彼らが絶望しているのが
悲しくてたまらない。
私がUターンした理由の細部に彼らの絶望と愛憎が入り混じった活動があること。
実感が、次の行動を決めていく。