14年間続けたピアノをやめたきょうか。新たなアイデンティティを探しに東京へ。
みなさんこんにちは!KAMIKITA HOUSE住人のきどみです。
好評のKAMIKITA HOUSE住人インタビューシリーズ。23回目のゲストは、KAMIKITA HOUSEのOGであるきょうかさんです。
14年間続けたピアノをやめて、北海道から東京に来たきょうかさん。カミキタハウスではどんな光景を見たでしょうか?ぜひ、最後まで読んでみてください!
14年間続けたピアノをやめて、東京へ
ーー北海道から東京に来て、1年が経ちましたね。どんな変化がありましたか?
さまざまな変化がありましたが、1番は幼稚園からずっと続けてきたピアノをやめたことです。
5歳の頃からピアノを習い始め、小学1年生の時にはピアニストになると心に決めていました。それから東京に来るまでの14年間、ピアノを弾かなかった日はありません。
しかし、高校3年生の秋頃に進路について考えたとき「このままピアニストとして、ピアノを弾き続けるだけの人生でいいのだろうか」「もっと他のことにも挑戦してみたい」と思うようになり、悩んだ結果ピアニストになることをやめました。
ピアニストの夢が消えたあと、何をやりたいかは明確に決まっていなかったので、まずは大学に入学しようと決めました。そこから真剣に受験勉強に取り組み、浪人を経て、大学に入学します。
浪人中もピアノは弾き続けていたのですが、東京に来てからはピアノが無いということもありパッタリと弾かなくなってしまいましたね…。
ーーピアニストを目指していた頃は、弾かなかった日はないほどピアノに熱中したのですね。
ピアノとは、ストイックに向き合ってきました。公園に行ったり、友達と遊んだりすることはありませんでしたね。ピアノを弾く以外は全て切り捨ててきた14年間でした。
とくにコンクール前は、寝る時間以外ずっとピアノを弾いていました。時には食べながら弾いていたこともあります。ピアノを弾きすぎた結果、スポーツ選手のような筋肉が腕についてましたね(笑)。
ーーピアノが相当好きだったのですね。
いえ、実は好きだから続けていたわけではないんです。
幼い頃から「何かスキルを身につけたい欲」がすごい子どもで(笑)。毎日さまざまな習い事に通わせてもらいました。「やりたい」と言ったら「いいよ」と全部挑戦させてくれる両親だったので、感謝しています。
さまざまな習い事に通ううちに1番最初に芽が出たのがピアノでした。好きというより「できる」から続けていましたね。ピアノだったら将来につながるかも、と思って熱心に練習に取り組んでいました。今思うと、戦略的な子どもです(笑)。
ただ、ステージの上で演奏する時間は大好きでした。本番が近づくと緊張して体調が悪くなる子どもが多かったのですが、自分はもうすぐステージの上に立てると思うとゾクゾクするんです。アドレナリンが出ていたと思います(笑)。
ーー当時、憧れたピアニストはいましたか?
辻井伸行さんです。小3の時に、北海道のホールで演奏を生で聴きました。
辻井さんの演奏は、圧倒的に格が違うんですよね。技術的に上手なだけでなく、人柄が演奏に表れていて。辻井さんしか奏でることができない、独特な世界観がある演奏でした。
当時は毎日ピアノを弾いているだけの生活だったので、もっと色々な経験をして、辻井さんのように人間としての魅力を磨かなきゃと思った記憶があります。この時に「もっと色々な経験をしたい」と感じたことが、ピアノをやめる選択につながりますね。
ーーピアノをやめることは、人生の中で大きな決断だったと思います。両親は反対しませんでしたか?
全く反対されませんでした。もともとピアノは、自分から「やりたい」と自発的に始めたことなので、両親から強制されたことは一度もありません。だから、続けてこれたのかな、と思います。
両親に「ピアノをやめて、別のことに挑戦してみたい」と相談すると、「ピアノでも他のことでも、きょうかがやりたいことを自由にやりなさい。どちらにしても応援するよ」と言ってくれて。
今考えると「なんて寛大で素晴らしい両親なんだ」と思います。コロナ禍の2021年に北海道から東京の大学に送り出してくれたのも、かなり勇気がいる決断だったと思います。一度も「行かないで」と引き止められたことはありません。自分もいつかこんな親になりたいな、と思いますね。
大人と関わり、自分の世界を広げていく
ーーピアノをやめたあと、東京へ来てカミキタハウスに住みますね。新しく熱中するものに出会いましたか?
今、まさに探している途中です!
14年間続けたピアノをやめたことで、自分のアイデンティティが無くなってしまったように感じていました。そんなタイミングでカミキタハウスに来たことは自分の中でかなり大きかったですね。
カミキタハウスではさまざまな経験をさせてもらいました。ぬまさん(OB)やそら吉(OB)の写真や動画の被写体に挑戦させてもらいましたし、わたるさん(OB)には動画のナレーションを任せていただきました。
さまざまな経験を通して、自分の好きなことやできることが増えていくのは楽しいです。これまではピアノひとつに絞って、他のことは切り捨ててきた人生だったので、ひとつに絞らず色々なスキルを仕事に活かしている人たちを見ていると「こんな生き方もあるんだ」と非常に勉強になります。
▲そら吉が撮影した、きょうかの動画
ーーきょうかさんも、『整い食堂』(きょうかさんが始めた、カミキタハウス住人向けの食堂)で多くの住人の胃袋を支えていました。
人に喜んでもらうのが好きで、始めましたね。期待以上の食事を提供したい一心で励んでいました。
そしてもうひとつ、スキルや経験がない年下でも、みんなに必要とされ続けたくて始めたというのもあります。
社会人の入居者はスキルを持っている人が多く、入居者同士で仕事を受注したり発注したりしていることがありました。
自分はビジネスのスキルを持っていないので、ビジネスのスキルで必要とされることは難しいですが、料理だったらできるなと。必要な存在だと思ってもらうため、『整い食堂』を通して多くの人に料理を提供してきました。ここでも、戦略的に考えていましたね(笑)。
ーー策略家です(笑)。きょうかさんは、大人と会話するのが上手だと思います。
幼い頃から大人と話したり、一緒に何かをしたりするのが好きな子どもでした。
とくに覚えているのが、元NHKのキャスターである平野啓子さんとの出会いです。北海道で開催された、小学生向けの暗唱大会に平野さんがゲストで来ると知り、会場まで駆けつけました。その時、「さっぽろ雪まつりで開催するイベントに出場してくれる、やる気のある子どもを募集」と告知していたので、真っ先に「やりたいです!」と手を挙げたんです(笑)。
平野さんはその時からずっと交流が続いていて、今でも年賀状をやり取りするほどの仲ですね。
ーー行動力がすごいです。大人と関わるのが好きなのですね。
大学でも、講義後に教授とよく話をしています。教授は、その道のプロなので話が面白いんですよね。講義中にわからなかったことを教えてもらったり、自分が日頃考えていることを聞いてもらったりします。自分だけが教授の面白さを知っていると思うと、特別感があって嬉しいです(笑)。大学生の特権だと思います。
「きょうかと言えば〇〇」を探したい
ーーきょうかさんは今20歳で、節目の年だと思います。これから、どんな大人になっていきたいですか?
大人と一緒に何かをするのが好きでしたが、これからは自分も「大人」側になってしまいます。「きょうかと言えば〇〇」のように、何かひとつのスキルや強みを身につけたいですね。
理想はひびきさん(OB)です。ひびきさんは今、さまざまなビジネスを手がけていますが、「ひびきさんと言えば筋肉」のようにコアな部分ははっきりとしています。やりたいことがたくさんあって、やりたいことを応援してくれる人が周りにいる環境も素敵だなと思います。
これからもさまざまな経験を通して人間力を磨き、「きょうかと言えば」に続く「強み」を探していきます!
取材:きどみ、コージー
執筆、編集:きどみ
写真:本人提供
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