2留風俗嬢が結婚するまで
どうも、リリポです👿
前回の適当なnoteからかなり日が経ってしまいました、すみません。
病気になり、アプリで恋愛に失敗し、かと思えば人生が一転し内縁の妻になり…
という、トンデモ展開の記事を並べてますのでここら辺で私の人生でも軽くご紹介しようかなと思います。
長いので2〜3回に分けて書こうかと思います。
﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
知ってのとおり生まれも育ちも北海道🐄<モー
4姉妹の長女として生まれました。
妹たちのお手本となるような立派な長女にはなれませんでした…。
最近祖母にも言われたのですが「リリポは努力することができない子」。今もそうです。努力が何より嫌いなので。
「頑張らないことを頑張る」、前回の記事でも書いてますね。これが私のモットーです。
そんななので、高校も家から一番近いという理由で選び、大学も「資格あれば食っていけるか」と思い英語と小論文だけで受かってしまった看護大学に入学しました。(理系科目が苦手なのに医療系に入ってしまったことで地獄を見ることになります。)
看護師になりたい!という思いは全くなくて、「看護師になるわー」と言っておけば親や周りが安心するだろうな、と思っての側面もありました。
人生が色々おかしくなり始めたのは、この看護大学時代からです。
まず、札幌という地を離れ、北見市というど田舎で一人暮らしを始めました。北見市は神田笑一さんの地元でもあります、びっくり🧅
今までそれなりに友達も多く、コミュニティを形成するには困ってなかったのですがここで初めて頓挫します。
『なんかもうコミュニティ出来上がってる…』
結論から言えば、道東にある大学なのでその周辺の子たちが多く入ってきてたんですよね。高校も少ないなかからなので、同じ高校から出てきた子たちや同じ市内から出てきた子たち…
そんな中で、わざわざ札幌から学費の高い私立大学に来る方が少なかったんです。
オリエンテーションでも上手く人と接することができず、結局大学中退する頃には友達と呼べるのは2〜3人ほどでした。
それでも0よりはマシか!!笑
遊ぶ人や場所が無いとどうなるか
そう!インターネットですよね!私の居場所はずっとインターネットにありました。
斎藤さんでおじさんが勝手にオ◯ってる声をツイキャスで公開して笑いものにしたり、
クソ重いノートパソコンでどうにかpso2をやろうと試みたり、
ワサラーをフォローしたり、
そんなインターネットライフを送っていました。
インターネットが楽しくなるとどうなるか…、昼夜が逆転して朝起きれなくなります。大学に行けなくなり、ただでさえ理解できない生理学や計算学?(なんか点滴の計算とかするやつ?)も全くついていけなくなります。単位も落としまくります。そんなことが続いて…
学年で唯一の留年生となりました。
当時のことはよく覚えてないのですが、何故ここで退学という選択をしなかったのか分かりません。
一年目の留年を迎えたあたりで次回に続けようかと思います。唐突に終わってすまん^^;