忘れないこの日
今日は日本にとって特別な日
10年…ですね
被災した方の復興が進むように
私ができることをしていきたい。
行方不明者の方も
いち早く見つかるようにねがいます。
私は東北ではないのですが
あのときの体験は忘れられません。
被災者の方々はもっと怖く
もっと悲しかったと思いますが
風化させないためにもわたしの体験を記し
皆さんもそのときのこと
思い出していただきたいです。。
辛くない程度に。
あのときみていた子達が16歳…
被災者代表の挨拶をしていた子と一緒かあ…
もうあうことはないけれど…
あの子達は覚えているのだろうか…
ちょうど卒園おわかれ給食で年長さんが
みんなのためにクレープ屋さんになる日だった。
私が見ていたのは
少人数保育園
担当は年少さんだったけど
年中さんの先生も
クレープ作りに協力していたから
一部屋で年中年少の子どもをみていた。
ちょうどお昼寝から起きるときだった。
先生!またブランコゆれてる~‼️
ちょっと怖い話になっちゃうけど
たまに風もないのに揺れることが
もともとある園だったので
また遊びにきてるんぢゃない?って返した
そして顔を上げたら
ふつう、前後に揺れるはずのブランコが
あり得ないぐらい左右に揺れていた…
一瞬で眩暈が起きてるぐらい
ぐるぐるゆれて
ストーブが急に消えたときの
煙の焦げ臭い匂いと
不謹慎だけどクレープのやけた
いい匂いがしてきていた。
子どもたちにできるだけ不安感を
与えないように
必死にて手遊びをしたり
紙芝居を読んだり。
なぞなぞクイズやしりとりをしたり…
停電の中
上着を着て出来あがったクレープを
美味しいと言って
食べていたこと今でも覚えている。
それが子どもにとって
よかったのかもしれない。
一方で保護者との連絡がつかなくなり
ひたすらお迎えを待つ。。
近くの信号機は全部消えていて
すごく渋滞していたようだった。
だんだん日が暮れて部屋が暗くなる…
こどももお母さんおそいな…と不安になる。
今みたいにLINEがあるわけもなく。
緊急メールも届いたかわからない。
ただひたすら待つことしかできなかった。
家族の心配よりこの子たち…の使命がすごかった。
全員引き渡し家に帰る。
いつもの道が一時間以上かかった。
コンビニはまっくら。
信号もついていない。
いつものあたりまえが
当たり前でないこと
ひしひしと感じた。
いつ来るかわからないからそなえる。
私たちは何度もヒントをもらっている。
起きてからではおそいよね。
自分の命守れるのも自分。
人を助けるのも自分があってこそ。
日本人って本当に優しい。
日本人って復興できる。
日本人って美しい。
日本人は諦めない。
にほんにうまれてよかった
生きてることに感謝。
いかされていることに感謝。
生きているだけでもまるもうけ。
天皇陛下のお言葉…
平成の時代と明らかに違う…
空気が違う…
今日はやけに風がつよい。
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