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ジャッジをやめると、心穏やかになる。

一つの出来事に対して生じる、数百の解釈と感情

わたしは経営企画や広報の仕事柄、全社向けにアンケートをとることが多い。
年度始まりの全社キックオフミーティングとか、表彰式&忘年会とか。
そういった全社イベントのあとに、数百名の従業員向けに、感想や意見をきくアンケートをとる。

その回答が毎回本当に面白い。

みんな同じ場で同じ時間に同じ体験をしたとはとうてい思えないぐらい、ネガポジもそうだし、強い反応や無反応もそうだし、注目ポイントもそうだし、さまざまな回答が返ってくる。
アンケート回答のスプレッドシートの1人1行が、いろんな温度やエネルギーの波動を帯びていて、色とりどりのシマシマに見えるぐらい(笑

同じ話を聞いて、希望や期待を感じる人もいれば、怒りや裏切りを感じる人もいる。自分の色眼鏡や価値観をとおして、好きな解釈をして、自分の目から見える現実を無意識に選んで創り出している。

長い人生、悲しいときも怒るときもあって全然いいけれど、
ベースは自律的にポジティブに、人生の手綱は自分で握って生きていないと、外界に反応するだけではもったいないなあと思う。

ただの出来事に解釈をつけるのは自分

たとえば、車を走らせていて、自分の目の前で信号が赤に変わったとき。


「急いでいたのに!くやしい。早く青に変わらないかな」
とイライラするのか。
それとも、ちょっと一息ついて、空の青さや街路樹の葉の色に季節の移り変わりを感じてみるのか。

たとえば、病気になったとき。

「最近ムリが続いていたからなぁ。
 たっぷり休んで、美味しいもの食べて、自分にやさしくしてあげよう」
と、自分の体からのSOSメッセージを受け取るのか。

それとも
「頭は痛むし、体もダルいし。予定もキャンセルでイヤになっちゃう。
 気持ちも落ち込むなー。明日もっと悪くなったらどうしよう」
と悪いことばかり考えてしまうか。

起きたことは、ただの出来事。
その現実に、なにかの意味づけをして感情を湧き上がらせているのは自分自身なんだよね。

何か起きた時に、むくむくと湧き上がってくる自分の感情を感じたら、
少しだけ立ち止まって、自分のハートの声を聞いてみよう。

不満や罪悪感、強制、束縛、恐怖、不安に襲われたら、
「私はいま、ネガティブな感情を感じている」
と客観的に捉えてみよう。

自分の感情に気づくことができると、
ただの出来事に「意味づけ=ジャッジ」をしていた自分に気づくことができます。

それができたら大成功!

誰かが言ったあなたへの悪口でさえ、あなたとは関係がない。
それを大事に受け取って、怒ったり、心を痛める必要はない。
その誰かさんがそう言っただけ。そう思っただけ。
あなた自身の価値には何の影響もない。

ネガティブな感情は、あなたの意味づけでしかない。
ネガティブな感情が苦しくなったら、ただ、その意味づけ・解釈をやめて
ひたすらニュートラルでいよう。

心が解放されるよ。


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