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【はじめまして】UniCask、幕開けまでのストーリー vol.2

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https://note.com/unicask/n/n063950470c3b

シングルモルトという原点

1980年代におけるシングルモルトウイスキーの認知度は低く、ボトラー自体もゴードン&マクファイル(以下GM)とケイデンヘッドの二社くらいしかありませんでした。

当時は二社の存在もニッチなもので、GMはスコットランド土産のミニチュアボトル販売を重要なビジネスとして位置づけていましたし、ケイデンヘッドはエジンバラとキャンベルタウンの直営店で観光客をメインターゲットにモルトを販売していました。

GMの当時の取扱商品、ミニチュアボトル

免税店ではグレンフィディックが人気を集めていましたが、それは「シングルモルト」だからというよりも、三角形の変わった瓶が人目を引いていたからでした。

グレンフィディックの特徴的な三角形の瓶形

無論かの有名なマッカランやアードベックも、この時代には一般の方々にとって知られざる存在だったのです。
そう、消費者はBLの有名ブランドには有難みを感じるものの、「シングルモルト」それ自体には全く興味を示さない時代でした。

そこでJISはBLの全盛期にその原点であるモルトを世に紹介すべく、GMとケイデンヘッド二社の輸入元になったのです。

初の試みに挑む日々

最初の仕事は、スコットランドの全蒸留所を網羅した小冊子の作成でした。
シングルモルトを紹介したくとも当時は日本語訳された専門書はほとんどなく、読み方も覚束ない中で、このプロジェクトはひと筋縄ではいかない挑戦でした。

また、ワインの取引で知り合った英国人のロビン・バイヤー氏と共に英国で「キングスバリー社」を設立したのもそんな時です。
当初取り扱いの中心はワインでしたが、英国の大手酒類会社であるIDV(インターナショナル・ディスティラーズ&ヴィントナーズ)出身のロビン氏の下で、細々とではありますがウイスキーの取り扱いもスタートしました。

1990年代に入ると、三つの投資案件が持ち上がりました。すなわちハンガリーのトカイワイン、コニャックメーカー、そしてスコッチウイスキーの樽への投資です。

ロビン・バイヤー氏(左から2人目)キングスバリー社にて

トカイワインは三大貴腐ワインのひとつであり、資本主義陣営に移行したロイヤルトカイ社は特に注目に値する魅力を備えており、著名なワイン評論家のヒュー・ジョンソン氏らと共に投資を行いました。

また、当時コニャック市場も順調な伸びを見せており、自然派を代表するメーカーのさらなる成長を見込んで株を購入。
この二件の投資に関しては、時代を読んだつもりで密かに大きな期待を抱いていたものです。

「頼まれごと」だった樽への投資

さて、樽への投資はといえばその逆で、頼まれ半ば義理で引き受けたものでした。
90年代初頭のウイスキー業界は受難の時で、全世界的に健康志向の高まりからドリンクはノンアルや低アルコールに移行し、度数の高い、特にブラウンスピリッツは敬遠され始めていました。

蒸留所は生産調整をせねばならず、毎年造っていたウイスキーを各年での間引き操業に変えたり、あろうことか過剰在庫のウイスキー原酒を川へ捨てたりもしていた暗黒の時代だったのです。

そんな中、当時スプリングバンク蒸留所でプロダクション・マネージャをしていたジョン・マクドゥーガル氏が独立し、樽の投資会社を設立しました。
スプリングバンク蒸留所はJISが輸入元を務めるケイデンヘッドの姉妹会社であったという伝手もあり
「スプリングバンクが 100樽売れないで困っている。JISで買わないか?」と話を持ちかけられました。

スコッチウイスキー業界に長く携わった評論家、
ジョン・マクドゥーガル氏の著書 "Wort Worms & Washbacks"


設立間もない会社で資金的にも余裕はなく、ウイスキー樽を売るのも大変な時代。
ジョン・マクドゥーガル氏の力添えができればという思いで私はその100樽を引き受け、その後も買い増していきました。


ウイスキーも樽も売れないそのご時世、今では考えられませんがマッカランやアードベックの樽ですら、当時は簡単に入手できたのです。
こうして手に入れた名蒸留所の樽でしたが、最初はなかなか売れず在庫は増えていく一方でした。

時代の変化と新たな気づき

しかし2000年代に入って徐々に動きが変わり、次々と買い手がつくようになっていったのです。
売りにくかった時間は”熟成期間”となり、そのおかげでウイスキーの品質も価格も上がりました。
もちろん、大変な時期を一緒に支えあったスコットランドの同業者とのネットワークもより一層強いものになりました。

ウイスキー樽の熟成庫

投資の観点からすれば最終的に成功したのはウイスキーの樽のみで、自身の投資手腕不足に肩を落としはしましたが、その代わりに「ウイスキーの樽と熟成」という大きな魅力に気づくことができたのです。

ウイスキーは樽の中で熟成していきます。
ゆりかごのような存在である樽の中で、ウイスキーは進化し成長を続けます。
そして瓶詰されたウイスキーは緩やかな酸化で変化していくことはありますが、基本的には熟成はストップするので、しっかりと造られたものは100年以上経ってもその味わいを楽しむことができるのです。

その時代の麦、水、ピート、職人の技等を詰め込んだ、まさに「タイムカプセル」ともいえる存在――スコットランドで汚染がなかった50年代、60年代に造られたウイスキーを飲むと、明らかに麦や水などの要素に今とは違うものを感じ、環境の変化がいかに著しかったかを考えさせられたりもします。
そう、ウイスキーは究極の保存食といっても過言ではないのです。

今とは異なる酒税体系の下、80年代初めの高価なBLはまさに”高嶺の花”でした。
やがて大量生産が始まると価格も安くなり、BLは手が届く存在になりましたが、昔のものと量産品のそれとでは同じ銘柄の同一ラベルでもずいぶんと味わいが変わってしまいました。

ウイスキーブームの原点

ある時、昔の味を知る老舗のバーから、過去に瓶詰されたオールドボトルを探してほしいというリクエストが届きました。

調べるとイタリアにはこうしたオールドボトルを含むお酒のコレクターが相当数いることが分かり、そこから輸入した古酒を日本のプロフェッショナルの方々と色々試すようになりました。

イタリア人は収集には情熱を注ぐものの中身のお酒を試すことはあまりしないようで、私たちはその恩恵にあずかり、マッカランやグレンリベットのビンテージ品、限定ボトル、ティンキャップのBL等を当時の破格値で手に入れ、趣味の延長線上で気軽に飲むことができました。

知人のオールドボトルのコレクション

そのような日々の中で、マッカランは同じくらいの熟成年数でもビンテージによって味が異なり、BLも造られた時期によって別物と見紛うほど異なる表情を見せることを楽しみながら知りました。


現在、これらオールドボトルは香港のオークション等で驚嘆に値する高値で取引されています。
しかしながら熟成したウイスキーの微妙な味の違いや奥深さにいち早く気がつき、その良さを世界に知らしめたのは紛れもなく日本のプロの方々であり、彼らの味覚と遊び心こそがウイスキーブームの原点だと私は固く信じています。

当時のオールドボトルのリストやアルバム写真を見返しながら、古参のプロの一員として今のウイスキーブームの火付け役の一助となれたことを誇りに思っています。

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