主演、私
タイトルは中3の美術の課題で書いた一言である。
好きな言葉や座右の銘、自分を象徴する一言を筆で描き、背景を絵の具で塗る課題で、私は「主演、私」と書いた。
複数の保護者から梶本さんらしくてとても良いね、と褒められて嬉しかった。
私は昔から「自分は主人公である」という意識が強くあった。
活躍しても虐げられても逆境にいても、全ては人生という物語の筋書きであり、私は主人公である。
この考え方は苦しみを緩和してくれたし、生きるモチベーションになった。
小学生の頃、母親が家にいるのに鬱で寝てしまい、帰宅しても中に入れてもらえず4〜5時間外で待った時も、おしんのワンシーンだと思ったら「めちゃくちゃ人気出そうだな、私」なんて思っていた。
逆に嬉しいことがあった時は「そう長くは続かないんだなー、これが」と客観的に考えるようにしていた。
おかげで急転直下の不幸にも耐えられた。
特にアップダウンが激しい私の人生(物語)にはそのドライさが必需品なのであった。
苦しさや喜び、人生の全てを凝縮した物語で一番イメージしやすいのは「朝ドラ」である。
朝ドラはヒロインが子供の頃から始まって、学生時代、結婚、子育て、老後、ひいては三代先まで描くことだってある。
夢も葛藤も降って湧く絶望も、朝ドラの醍醐味だ。
そして朝ドラヒロインはとにかく物語を動かす。
夢があれば飛び込み、人を尽き動かし、血の滲むような努力をし、それでも結果は簡単に出ず、挫けそうになるが、続ければちゃんと報われる。
実際に挫けてしまって報われないこともあるが、それもまた人生である。
私は人生という朝ドラの主人公(ヒロイン)なのだ、と思うようになっていた。
そうすると、頑張っても芽が出ない時も、成果を出しすぎて先輩に目をつけられた時も、明らかに実力以上のノルマを課せられた時も、「こういう展開ね」と少しだけワクワクした。
困惑する私の顔がアップで映し出され右下に「つづく」の文字が出ている画面を想像すると、次回予告ではもう一波乱起こしていそうな予感がする。
なんとかなる、と自分を励まし続けるよりも、ここからまだまだ荒れるぞー!と視聴者の気持ちで楽しんだ方が私らしかった。
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