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自分ロボットは葬式の夢を見るか

生きている心地がしない。
自分を操縦しているのは別の誰かで、私が見ているのは主観のフィクションなのではないかと思うことがある。
そういう時、身体は自分の意図と関係なく動き出し、右手を動かすぞーと思っても首が左を向いたりして、何だかおもしろい。
目的地まで連れてってくれるロボットに乗ってるみたいだ。

脳の病気になって立てなくなった時、自分の身体が思うように動かなくなっておもしいと思った。
自分の意図と身体の動きが違うのは、この先何が起こるかわからないワクワク感があった。

去年の今頃、死ぬことを諦めた。
確実に出来るだけ誰にも迷惑をかけない方法で死ぬことを模索し続けてきたが、そんなことはかなり難しくて考えるのも面倒になってしまった。
「死ぬまで生きる」
何度も聞いたありきたりな言葉がみぞおちあたりにぐっと入ってきて、自分のものになった。

死ぬのをやめてから、苦手なものが増えてしまった。
今まではちょっと嫌だな、と思ったことでも、まぁ私が死ねば済む話だからな〜、と思ってスルーできたのだが、生き続けると決めてからは、克服しなければこの苦痛と生涯共にあるのか、と思ってしまい、不安と絶望に目の前が真っ暗になる。
やはり死は救済だったのかもしれない。

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