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「リスケ」という言葉の呪い

アポの重要性、師匠と弟子の関係とは何か、について注意を受けた私が考えたこと。

私は「リスケ」と言う言葉を知った時から、予定の変更を依頼することは立派な行為なのだと思うようになったらしい。

昨日やっと、私の「リスケ」の気軽さが一線を超えてしまっていたことに気づいた。

バイトのシフト変更は当たり前にしていたし、人との予定変更も当たり前。
なんとなくこれは良くないという感覚を持っていたが、「リスケ」という名詞の存在によって、これを改める必要性は実感できていなかった。

けれど、それはいけないこと
まして師匠と弟子の関係において許されてはいけないことだと言われ、二日考え抜きやっと理解できた。

実は、はじめに喝を入れてくださった時は、「そんな師匠・弟子だからとヒエラルキー的に、持っている権限に違いがあると叱ってくるのは懐が小さくて呆れるわ!」くらいに思ってしまったのは、ビフォーアフターの可愛い具体例ということで書いておこう。

本題に入ろう、師匠はこう教えてくださった。
弟子は師匠に対して、言論、時間の使い方は絶対的服従をするものだ』と。
これを師匠は尊敬にあたる存在だから、と一言で片付けてしまうのは、あまりに浅はかだと思ったので、考えてみた。

理由その1

師匠と弟子の時間の重みが違う。師匠が1時間で出せる価値と弟子があげられる価値は(特に私の場合)決定的に違う。金銭的に1時間で上げられる利益が違うということも、1時間で誰かのためになれる効果も違う。
だから時間の重みの軽い弟子の都合に合わせることによって、師匠が予定変更前の時間に比べて損失が出ているかもしてないし、救えた誰かを救われなかった可能性だって出てくる。よって弟子は師匠に予定変更をさせてはいけない。

理由その2

師弟関係を結ぶ、ということはつまり、弟子が師匠から全てを吸収し、師匠のしていること、できることをコピーすることを指す。となれば、師匠のいうことに従わなければ「何がしたいの」という話である。師匠のできることができるようになるわけがない。

こういうことから、弟子は師匠の指定した時間には全て都合を合わせなければならないし、師匠の言うこと・考えることをそのまま真似することに徹するべきである、と言える。


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