近況をただ、つらつら【01】
たまにはなんでもない記事もあげないと、堅っ苦しくなってしまうと思いつつ、そういう記事ばっかになるとこうネガティブな内容になりがちで、難しい塩梅だけど、色々あったしたまにはいいかと。
どうせならブログらしく見出しや目次でもつけてやるか、どうせならな。
人生初の車購入イベントをクリアする
今まで僕は親から譲って貰った車に乗るというありがたい環境だった訳だ。実家を出て県外で一人暮らし。もちろん維持管理費は僕が支払いをしていたけど最初の導入費用がない事は当時20歳の僕としては本当にありがたかった。今思えば給料も安くて収支プラマイゼロいや寧ろマイナスだったし。
あの車で何処へでも行った。振り返れば思い出があるもんだ。幸い無事故のままずっと乗り続けていたけどやはり車にも寿命があって、ちょうどそのタイミングが来たのだ。
田舎には車が必要で、でもほとんど街乗りだから軽自動車でもいいなって思っていて先日中古の軽自動車を買った。必要書類を集めたり、いつまにかローン組んでたりしてただならぬスピードで納車された。
軽自動車って結構違うんだな、思いつつ違和感に慣れないまま1ヶ月が経とうとしている。そもそもの赤にするつもりもなく、当たり障りのない色でいいと思っていたけど、気付いたら赤だった。まぁ運転している本人はあまり意識しないしいいだろう。というか、他の中古車に比べて元々ついているオプションもよかったし、赤でもまぁ、元気になりそうな色だし。と言い聞かせて楽しんでる。
今まで鍵を回してエンジンをかけていたけど、もうボタンスタートになってるし、ライトもAUTO機能がついていて進化を感じている。
まだ高速に乗ってないから気持ちに余裕がある時に乗ってみなきゃな。どこへでも行けるはずなのにどこかに行く気もない。健康な日々なんて一瞬だから行ける時に行っとかないと行けないのは分かるけどまあ手遅れかもしれない。
ラジオ番組「ナポリの男たちα」が始まった
私の好きなゲーム実況グループ「ナポリの男たち」をご存知だろうか。4人組のグループであり、結成は2016年。ニコニコ動画やYouTubeでの配信活動や定期生放送をやっていて、もちろん私もニコニコのチャンネル会員である。毎週土曜22:00からチャンネル生放送が始まり、トークテーマや企画をおよそ1時間半ぐらい喋るのだ。アーカイブも残るので、視聴できなかった時は、翌日部屋の掃除をしながら聞くのがルーティンだ。
そんなナポリの男たちが、地上波のラジオ番組「ナポリの男たちα」をやることになり、先日から放送されている。毎週土曜25:30から放送が始まる30分番組で、関東ではFMラジオで聴くことができる。私は地方のため、番組サイトからアーカイブを聞いている。確かにチャンネル放送ではできないコンテンツを披露していて面白い。素敵な番組だ。ちなみにすでに2回目まで放送が終わっている。
土曜日のコンテンツが増えすぎていてありがたい週末を過ごしている。定期コンテンツが与える安心感。生活の上昇。視聴するだけのファンなので、私としてはちょうどいい距離感のグループだ。これからのラジオも楽しみである。
「ピクミン4」をクリアしたと思ったけど、してなかったのかもしれない
先日、読まなくなった雑誌や本、漫画を売ってゲームを買った。NintendoSwitchのゲームソフト「ピクミン4」だ。ちなみに面白すぎて1週間でエンディングを迎えた。
ピクミンは3作目をプレイしたことがある。もちろんクリア済みだ。ハードはWiiUで、操作できるキャラは3人。1作目と2作目と違い、生き延びるためフルーツの回収に勤しむ。過去作を知らなくても楽しめる仕様だが、過去作はゲーム実況プレイ動画を見ていたのでおおよそ話がわかっていた。ただやはり操作してみると体感できる難しさややり込みが面白い。
もちろん今作のピクミン4は今までの要素を引き継ぎながらも新しい要素をふんだんに盛り込んで、かつ操作しやすくもなり、やめられなくなってしまうほど熱中してしまう。タスクゲーが好きな人、ピクミンの集合体に抵抗がない人にはぜひオススメしたい。過去作をやっていなくても、新しいストーリーになっているので抵抗なく始められるだろう。
エンディングを見て、もう終わってしまったと思ったが本編と同じぐらいボリュームのある続編があってなかなかやり込める。確かに気になる点がまだ解決されていないと思っていたら、ちゃんと続きがあった。
今はオッチンを救うべく奮闘中だ。可愛いだけじゃないピクミンの世界に浸ってみてはいかがだろうか。個人的にはダンドリチャレンジが面白い。
30歳は本当にやってくるのか
昔、30歳が人生の終わりだと思っていた。これはまぁ10代に思っていたことと今思ってることの比較だからテキトーに読んでもらうが吉だ。
30歳になったら、それっぽく歳をとって見た目もそこそこ変わって、仕事は慣れてできる人になってて、家はほどほどに綺麗な部屋を賃貸で借りて、やりたいことをやるための資金もあって、でもやりたいことは二十代でほどほど終わらせていて小綺麗な生活をしていると思っていた。もちろん今の生活が全て汚いわけではない。僕がやってきた人生だから誇っていい部分もたくさんある。
でもそれでも、寧ろ何も終わってないし何も始まっていないこともある。だからもう終わってもいいとさえ思える時がある。
まだこうしたいとかいう希望的なものがあるから生きていけるのかもしれないし、絶対にもう叶わないとわかっていることもあるから諦めがつくのかも。こういう時ってすでに手に入れているものの計算が出来てないのがネックだよね。気づけばちゃんと大事にしているものがあるはずだから、見失わないようにしないとね。
とりあえず具体的に言えば、もっと風呂が綺麗な家に引っ越したいし、広いベッドか布団で寝たいし、洗濯機を買い直したいし冷蔵庫でかくしたい。定期的に苦手な散髪に行けるようになりたいし、歯の健康を保ちたいし。でもそれを手に入れた先に何があるんだろうね。結局欲はつきないんだからさ。
でも20歳から振り返ればいろいろあった。それに僕より年上の人はちゃんと今も生きていてこれから何十年も生きて行くんだから、変わらない姿でありつつ進化してさ。だから30で大きな人生の終わりというのは浅はかだし、生きている人への侮辱でもあるし。でも自分に対しては考えちゃうけどね。ずっとここが分かれ目だって思って生きていたから。
これから成し遂げたり、スキルを得て成長するってことはこの先の若い人たちには到底敵わないだろうし、それでもやり続けてもいいんだけど次世代への突入を感じるというか。逆にこれが節目ってやつなのか。
半端なとこに来てしまったから下手に諦めもつかない。いくつもの分岐点があった二十代だった。いくつものパラレルワールドがあってあっちの世界ではこうなってたかもってのが山ほどあって、もしもっと歳を取ったらそれにもついに諦めがついて、もうこれでいくしかないって思う時がくるのだろうか。その考えすらまた、浅はかなのだろうか。
友達の子供はもう小学生や保育園に通い出して、その成長スピードに時間の差を感じて恐れている。僕の親はどんどん歳をとっていく。僕が1番手になって誰の死も悲しまないようにしたいとか思った時期もあったけど、迷惑も面倒だなとか。
私はどうしたら安心を得られるのか、例えばお金だとしてもいつになったら額が辿り着くのか、もっと先になったらもう限られてくる。どうせ台風みたいなことがやってきてめちゃくちゃに動かされてしまうかもしれない。これよりも厳しくなってすぐ選択肢の枯渇が起きるかもしれない。
と、うだうだ考えるのはやめてまた平日のタスクをこなす事にしよう。あと数日で終わる二十代だから。いつか気持ちも落ち着いてぐちゃぐちゃにならない日が来るといいな。一旦今の生活に感謝しよう。
毎晩悪夢を見る場合の解決策募集
人は何故悪夢を見るのか。
世の中にはあまり夢を見ないという人もいるらしいが私は毎日のようにみる。それも悪夢に近い状況ばかりだ。
出てくる人は、今まで出会った人たち。今の会社も前の会社も学生の頃の同級生も出てくる。もう会わないであろう苦手な人も。大体嫌な状況。例えば寝坊する夢とか、体操着を忘れて授業に出られないとか、ステージに立たなきゃいけないのに何も練習してなくて焦ってるとか。隣人とベランダが繋がっている物件に住んでいて大きな窓から部屋に入ってくるとか。シンプルに命に関わることとか。日常的な夢が多い。一瞬の映像が夢で流されて、まるで現実でもやったかのような状況も多々ある。朝起きて洗濯を回している映像とか、着替えを準備していたり、トイレに行っていたり。起きたらなんにも終わってなくてあぼーんとする。これって皆んな結構見るのかな?
どういう頭の構造しているんだ?と自分でも疑問に思うし、所謂ストレスや過去のトラウマからくるということは分かっているけど、引きずりすぎじゃない?と思う。
どうしたいかというと、ぐっすり眠りたい。朝起きるのが苦手でスッキリ起きられないことを改善したい。どうせみるならいい夢が見たい。どうすれば夢を見ないのか。夢占いとか信じ出したらもう終わりだ。いいことが書いてあるはずがない。
体を疲れさせるという方法も良いかもしれないけど、運動はやってこなかったし、ひどく疲れたくない気持ちもある。休日の1日は回復に使っているという悪循環。寝過ぎ説あるのか?
一説によると夢をみるから内容を覚えてしまう。それを繰り返すと夢のことばかり気になって覚えるようになってしまうらしい。なので気にしないor内容を忘れることがいいかもしれない。
ゴールは夢のことを考えなくなる生活かもしれない。
漫画「チ。−地球の運動について−」のアニメ化
この漫画は語るには非常に厄介で、なのでさらっと言うがとても好きな漫画だ。アニメ化を前にもう一度漫画を読み返した。最初に読んだ時よりもさらに気付ける箇所もあって、また定期的に読み直したい作品だ。
人それぞれ思うことや解釈する事がある、考えさせられる漫画であるから良いのだ。アニメ化されたことによって多くの人が作品に触れると思うと、いろんな感想が見れて楽しい。すごく、すごく人気になって各キャラのフィギュアとか、発売されないかなとか思うぐらいに好きだ。飾ることで元気をもらえる気がする。個人的にオクジー君が好きで、登場した時から他の人と出会うにあたりだんだん考え方が変わっていく姿に希望がある。そういう姿に共感と救いがあるのだ。
アニメ化前に発売されたトリビュートブックも読んだ。特にインタビューが面白かった。いろんな視点の考えや職業別の話題。これもまた読み直したいな。
アニメもとても素敵だった。アニメにしかないオープニング、エンディング、主題歌、動き。星空の表現が非常に綺麗で、こんなふうに現実でも星が見れたらと思ってしまう。見れそうな環境にいるので、メガネの度数を調整してちゃんと見れたらいいな。裸眼で目がよく見える人はどこまで捉えられるんだろう。乱視とか入ってないってどういう世界だろう。夜の光がブレないことがあるのかな?オクジー君はどのぐらい見えたんだろうとかまで考えてしまうので作品に触れるということ私にとっては良いことだ。
ハマりすぎるとそれしか考えられなくなるので適度を目指そう。
まとめ
なんとも自宅コンテンツに溢れる秋だ。あっという間に終わる。自宅にいるまま終わる。今年も終わる。
また気まぐれにそのとき思ったことを書くと思いますが、ゲームや音楽の話に戻ると思います。GGST始めてあと数ヶ月で1年経ってしまうことが恐ろしいけど、まだまだやるぞー。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?